しゅうぎいんぎいん‐そうせんきょ〔シユウギヰンギヰン‐〕【衆議院議員総選挙】
読み方:しゅうぎいんぎいんそうせんきょ
⇒総選挙
衆議院議員総選挙
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/28 13:18 UTC 版)
衆議院議員総選挙(しゅうぎいんぎいん そうせんきょ)とは、日本国の下院である衆議院[注釈 1]の議員を選出する選挙である。
注釈
- ^ 旧憲法下では貴族院議員と並び帝国議会議員、現行憲法下では参議院議員と並び国会議員。
- ^ 日本国憲法下では、第49回が初めてかつ唯一の例である。
- ^ 貴族院は皇族・華族・勅任議員で組織されていた(大日本帝国憲法第34条)。
- ^ 公式令第1条「大權ノ施行ニ關スル勅旨ヲ宣誥スルハ別段ノ形式ニ依ルモノヲ除クノ外詔書ヲ以テス」
- ^ 第41回衆議院議員総選挙が59.65%、第42回衆議院議員総選挙が62.49%、第43回衆議院議員総選挙が59.86%、第44回衆議院議員総選挙が67.51%、第45回衆議院議員総選挙が69.28%、第46回衆議院議員総選挙が59.32%、第47回衆議院議員総選挙が52.66%、第48回衆議院議員総選挙が53.68%、第49回衆議院議員総選挙が55.93%で、いずれも小数点以下四捨五入しない場合。太文字は、投票率が60%を切った選挙。
- ^ 民主党政権が誕生した第45回衆議院議員総選挙は投票率が69.28%と、小選挙区制で実施された衆議院議員総選挙としても投票率がもっとも高く、唯一平均投票率に到達している。
出典
- ^ 宮沢俊義・芦部信喜『全訂日本国憲法』125 - 126頁、日本評論社、1978年
- ^ a b “選挙権年齢「18歳以上」に 改正公選法が成立”. 47NEWS. (2015年6月17日) 2017年10月14日閲覧。 ※ 現在はインターネットアーカイブ内に残存
- ^ “法定得票数と供託物没収点”. 取手市. 2021年2月24日閲覧。
- ^ a b 選挙の種類 - 総務省 - このページに衆議院議員比例代表選挙ブロックの正式な名称が記載されている。
- ^ 総選挙事務700億円 貴重な一票忘れずに - 東京新聞・2014年11月22日付け《2017年10月14日閲覧;現在はインターネットアーカイブ内に残存》
- ^ 12年衆院選は「違憲状態」1票の格差で最高裁 日本経済新聞 2013年11月20日
- ^ 14年衆院選、1票の格差は「違憲状態」 最高裁大法廷 日本経済新聞 2015年11月25日
- ^ 滝口亜希 (2013年3月26日). “猶予なしの立法府 判断は「違憲状態」「有効だが違憲」…”. 産経新聞 2017年10月14日閲覧. "全2頁構成(→記事2頁目)" ※ 現在はインターネットアーカイブ内に残存
- ^ 衆院小選挙区の定数配分、15都県で「10増10減」…総務省がアダムズ方式で試算 読売新聞 2021年6月25日
衆議院議員総選挙
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 08:45 UTC 版)
結党以来、衆議院議員総選挙に公認候補を擁立したことはない。 思想的に近く、新風の党友となっている他党の候補者を推薦・支持することはある。これまでに推薦・支持した候補として、福井県本部が推薦した若泉征三(元職・民主党→無所属)、大阪府本部が推薦した西村眞悟(元職・連合の会→民社党→新進党→自由党→民主党→無所属→改革クラブ→たちあがれ日本→太陽の党→日本維新の会→無所属→太陽の党→次世代の党→日本のこころを大切にする党)、兵庫県本部が支持した大前繁雄(元職・民社党→無所属→自民党)がいる。 上に挙げた議員は新風の党友として党大会に祝電を送り、あるいは来賓として出席している。塩田晋(元衆議院議員・民社党→新進党→自由党→民主党)や滝沢幸助(元衆議院議員・民社党、現新風顧問)も同様に祝電を送った。
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衆議院議員総選挙
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小選挙区では、門司区は小倉北区、小倉南区とともに福岡県第10区を構成し、比例代表では九州ブロックに属する。
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衆議院議員総選挙
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1979年10月7日 - 第35回総選挙(旧愛知1区)。自民党で出馬するも自民前議員だった丹羽久章と票を食い合い落選。 1980年6月22日 - 第36回総選挙(同上)。再び自民党から出馬し、春日一幸に次ぐ得票数2位で初当選を果たした(丹羽は落選)。 1983年12月18日 - 第37回総選挙(同上)。次点で落選(丹羽は自民党公認も得られず再下位落選)。 1986年7月6日 - 第38回総選挙(同上)。同じ自民党公認で立候補した田辺広雄や無所属で出馬した丹羽の息子・章夫と支持層を取り合う中で、トップ当選で返り咲く。 1990年2月18日 - 第39回総選挙(同上)。連続再選を果たすが、同じ自民党公認で当選した田辺広雄や春日の秘書から自民党の追加公認を受けた河村たかしと票を分け合うことになった。 1993年7月18日 - 第40回総選挙(同上)。河村が日本新党より出馬して大量得票した中、田辺とともに共倒れとなる。 1996年10月20日 - 第41回総選挙(愛知1区)。小選挙区制が導入された中で自民党は候補者一本化に成功。今枝が立候補するも、河村に敗北。惜敗率64.3%で比例復活も叶わなかった。
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「衆議院議員総選挙」の例文・使い方・用例・文例
- 第45回衆議院議員総選挙が8月30日に行われた。
- 新党の名称は2009年衆議院議員総選挙の際の民主党のスローガンからつけられた。
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