しんしん‐とう〔‐タウ〕【新進党】
新進党
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新進党(しんしんとう)は、1994年末から1997年末にかけて活動した日本の政党である。55年体制成立以後、自由民主党以外で初めて日本社会党を上回る数の国会議員を擁する政党であった。
- ^ 旧民社党本部。新進党解党後、自由党本部として使用される。
- ^ “ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 - 保保連合”. コトバンク (2021年11月16日). 2021年11月16日閲覧。
- ^ a b Kamikubo, Masato (2018年6月5日). “今の日本には「リベラル政党」より「極右政党」が必要な理由” [Why Japan needs a "far-right party" rather than a "liberal party" today?]. Diamond online. Diamond, Inc.. p. 2. 2021年4月29日閲覧。
- ^ a b Murakami, Hiroshi (2009). “The changing party system in Japan 1993-2007: More competition and limited convergence”. Ritsumeikan Law Review (Ritsumeikan University) 26: 30 2021年4月29日閲覧。.
- ^ 日本大百科全書(ニッポニカ)
- ^ Ronald J. Hrebenar; Akira Nakamura, eds (2014). Party Politics in Japan: Political Chaos and Stalemate in the 21st Century. Routledge. p. 81. ISBN 9781317745976. "The initial period of party system change found its first culmination in 1996 when a new catch-all party, the Shinshinto (New Frontier Party), got founded by Ozawa and others."
- ^ Japan - Shinshinto Party Inauguration - YouTube - AP Archive(英語)
- ^ “まだあった新進系会派が解散、知事の足元揺らぐ”. 読売新聞. (2012年12月20日) 2012年12月20日閲覧。[リンク切れ]
- ^ 藤村修は、この選挙で小沢派陣営が不正行為(票の捏造)を働いた可能性があり、当時の新進党関係者は皆その話を聞いていただろうと述べている(藤村修・竹中治堅(2014)『民主党を見つめ直す 元官房長官・藤村修回想録』毎日新聞社 223〜224ページ)。
- 1 新進党とは
- 2 新進党の概要
- 3 解党後の地方組織
- 4 役職
- 5 平成会
新進党
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/30 19:03 UTC 版)
新進党は1996年衆院選を迎えるにあたり、党首であった小沢一郎の方針により、比例区では1つの比例ブロックにつき1人しか重複立候補を認めない方針を取っていた。これにより東京5区の野村沙知代(東京ブロック6位)、千葉10区の須藤浩(南関東ブロック8位)、兵庫9区の宮本一三(近畿ブロック11位)、岡山4区の加藤六月(中国ブロック3位)、福岡4区の東順治(九州ブロック8位)が数少ない重複立候補の対象者となった。例外は比例北陸信越ブロックで、石川2区の一川保夫と福井3区の松田篤之の2名が重複立候補(ともに同一順位の4位)している。これ以外の北海道、東北、北関東、四国、東海の各ブロックでは重複立候補者がいなかった。この結果、小選挙区で競り負けた候補者のうち、惜敗率90%を超えていたにもかかわらず比例重複しなかったことで落選するケースが多発(代表的な例として千葉4区の野田佳彦が105票差、惜敗率99.86%で落選など)し、比例重複者も一川保夫と加藤六月の2名が復活当選(宮本一三は小選挙区で当選、新進党解党後に東順治が愛野興一郎の死去により繰上当選)したことに留まり、現有議席を下回ったことで党勢が伸び悩む一因となった。 結局、新進党は野党第1党として政権交代に失敗し、前述の衆院選の投票日から14ヶ月と11日後の1997年12月31日をもって政党助成法に基き、複数の政党に分党した。
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新進党
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新進党結党後の第41回衆議院議員総選挙では、三重1区より立候補し当選した。この選挙以降、自由民主党の川崎二郎と三重1区の議席を争っている。1997年(平成9年)、新進党が解散した。中井は小沢一郎らとともに自由党を結党した。
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新進党
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詳細は「新進党」を参照 1994年、村山内閣の発足により非自民勢力は下野し、小選挙区制になる次期総選挙に備え統一グループ(新・新党)の結成を目指した。創価学会を支持母体とする公明党との合流に反発し、一部議員は参加を見合わせたが、12月に衆参214名で新進党を結成した。 1995年、第17回参院選において新進党は比例区で自民党を上回る40議席を獲得したが、「自・社・さ」の獲得議席を上回ることはできなかった。さらに、1996年の第41回衆議院議員総選挙でも敗北し、以後、党内抗争が激化、1997年 公明党出身勢力が離脱する方針を固めたことに伴い、両院議員総会で分党を決定し、結局、政権の座につくことなく解散した。
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