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日英同盟

読み方にちえいどうめい
【英】:Anglo - Japanese Alliance

明治35年1902年1月30日中国朝鮮での利害一致していた日本イギリスが結んだ同盟条約です。 ここでは、どちらか一方一国戦争する際には他方中立を保ち、複数国と戦争をする際には共同で戦うことが定められています。 この条約もとづいて日露戦争の際にイギリス中立立場守りました。


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日英同盟

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2012/01/30 09:52 UTC 版)

日英同盟によりガーター勲章を受ける明治天皇(1906年)
日英同盟の調印が行われたランズダウン・クラブ(ランズダウン侯爵邸)入口

日英同盟(にちえいどうめい, the Anglo-Japanese Alliance)は、日本イギリスとの間の軍事同盟1902年1月30日調印発効、1923年8月17日失効。

第一次日英同盟は、1902年1月30日に調印され即時に発効した。その後、第二次(1905年)、第三次(1911年)と継続更新され、1923年8月17日に失効した。第一次世界大戦までの間、日本の外交政策の基盤となった。

日英同盟は、イギリスのロンドンランズダウン侯爵邸(現The Lansdowne Club 地図)において、林董駐英公使とイギリスのペティ=フィッツモーリス外相により調印された[1]


  1. ^ それから遡ること120年前の1782年、アメリカ合衆国の独立を認めるパリ条約が、この全く同じ場所(日英同盟の調印されたランズタウン侯爵邸)でイギリスの首相シェルバーン卿(後のランズダウン侯)とベンジャミン・フランクリンによって作成されている。
  2. ^ 「栄光ある孤立」政策放棄の原因としては、ボーア戦争での予想以上の苦戦や、強制収容所や焦土作戦に対する国際的非難があった。
  3. ^ MSN産経ニュース【グローバルインタビュー】 - ヒュー・コータッツイ元駐日英大使「日本の人種差別撤廃条項を米英が否決したのは誤り」
  4. ^ 2007年2月18日 NHK BS特集『世界から見たニッポン 大正編 日本はなぜ孤立したのか』






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