群集事故
群集事故
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「群集事故」、「パニック」、および「en:List of human stampedes and crushes」も参照 1807年9月20日(文化4年旧暦8月19日) - 現在の東京都中央区の永代橋の落橋事故(永代橋崩落事故)。死者440人、負傷者・行方不明者を入れると1,400人以上。「永代と かけたる橋は 落ちにけり きょうは祭礼 あすは葬礼」 (大田南畝) 1896年 - ロシアのモスクワで、皇帝ニコライ2世即位記念に配給された食物を求める人々が将棋倒しとなり、1,389人が死亡。 1897年(明治30年)8月10日 - 隅田川にかかる両国橋の崩壊事故。両国川開きの花火を見ようと詰めかけた見物人の重みで欄干が壊れ、見物人が川に落ちた。死傷者数十名を出し、花火は中止となった。 1903年(明治36年)12月30日 - アメリカ合衆国のイリノイ州シカゴのイロコイ劇場火災。逃げ惑う観客がパニックとなり、焼死者の他に多くの圧死者を出した。火災全体で602人死亡。 1934年(昭和9年)1月8日 - 京都駅跨線橋転倒事故。京都府京都市下京区の京都駅で発生した海兵団入隊の見送り客による群衆雪崩事故。 1946年(昭和21年)3月9日 - バーンデン・パークの惨事。イギリスのイングランドグレーター・マンチェスターボルトンで行われたサッカー試合で将棋倒しが発生し33人が死亡、400人以上が負傷。 1947年(昭和22年) - 埼玉県秩父市の秩父夜祭の見物を終えた群衆が御花畑駅方面に殺到し、6人が圧死。 1948年(昭和23年)8月23日 - 新潟県新潟市中央区の萬代橋で、新潟まつり前身にあたる「川開き」の花火見物に集まった群衆が殺到、欄干が落下し観衆が信濃川に転落して、死者11名、重軽傷者29名を出す大惨事となった。 11月4日 - 東京都新宿区の明治神宮野球場で、プロ野球の読売ジャイアンツ創設15周年記念無料オープン戦(対戦は阪急ブレーブス、金星スターズ、急映フライヤーズの3球団からの選抜チーム)観戦に集まった群衆を時間を繰り上げて入場させたところ、将棋倒しが起き死者2人、重軽傷者29人が発生した。 1949年(昭和24年)4月24日 - 兵庫県西宮市の阪神本線甲子園駅で、野球観戦のために集まった利用客が将棋倒しとなり、死者1人・重軽傷者46人を出す。 1950年(昭和25年)5月5日 - 宮城県仙台市の宮城球場で、プロ野球公式戦観戦に集まった群衆を時間を繰り上げて入場させた際、入口のトンネルでの転倒により将棋倒しが発生、3人が死亡した。 1954年(昭和29年)1月2日 - 二重橋事件。東京都千代田区の二重橋で皇居の一般参賀に集まった群衆が将棋倒しとなり、16人が死亡した。 1956年(昭和31年)1月1日 - 彌彦神社事件。新潟県西蒲原郡弥彦村の彌彦神社で福餅撒きに集まった参拝者が将棋倒しとなり、124人が死亡した。 1月15日 - 大劇(大阪劇場)事件。美空ひばり公演客1名が圧死、9名が重軽傷。日本ドリーム観光#事件参照。 1959年(昭和34年)7月17日 - 韓国の釜山広域市にある釜山市民運動場で開催された野外市民コンサートの途中で突然の豪雨が降り、これにより3万人もの観客が屋根のある出口付近に殺到。67名が圧死した。犠牲者の大半は子どもだった。 1960年(昭和35年)1月26日 - 韓国のソウル特別市にて旧正月の帰省客で混雑していたソウル駅で列車に乗ろうとした乗客が将棋倒し、31人が死亡。 3月2日 - 横浜歌謡ショー将棋倒し事故 。神奈川県横浜市中区の横浜公園体育館で行われた『歌謡曲ゴールデン・ヒット・ショー』公開録音の開門時に殺到した観客が将棋倒し、12人が死亡・14人が重軽傷。主催したラジオ関東(現・アール・エフ・ラジオ日本)が、会場の収容定員を上回る招待券を出していたことが原因。 1961年(昭和36年) - 岩手県岩手郡松尾村(現・八幡平市)の松尾鉱山小学校で行われた祝賀会のあとで、映画鑑賞会へ向かう小学生などが将棋倒しとなり10人が死亡、10人が負傷。 1964年(昭和39年)5月24日 - エスタディオ・ナシオナルの悲劇。ペルーのリマで行われたサッカーの国際試合の判定を巡って観客が暴徒化し、警官隊が鎮圧のため催涙弾を使用。出口に殺到した観客が将棋倒しとなり319人が死亡、500人が負傷。 1967年(昭和42年)4月22日 - 大阪府大阪市北区の桜の通り抜けで一般開放していた造幣局本局で、観客の1人が転倒したことから観客が将棋倒し。女性1人が死亡し、27人が負傷。 11月5日 - 奈良市の近鉄あやめ池遊園地でザ・タイガースのコンサートの入場待ちをしていた観客が入口に殺到し、6人が重軽傷。 1971年(昭和46年)1月2日 - アイブロックスの惨事。イギリスのスコットランドグラスゴーで行われたグラスゴー・レンジャーズFC対セルティックFCのサッカーリーグ戦の試合後、出口へ向かう観客が階段上で将棋倒しとなり10数メートル下まで転落。66名が死亡、負傷者約200名。 12月24日 - 関西テレビ『4時だぜ!飛び出せ!!ワイワイワイド クリスマス大会』生放送に参加予定の小・中学生たちが、スタジオのある新朝日ビルディング地下一階のSABホールに向かう階段で将棋倒しとなった。重傷9名・軽傷24名。 1973年(昭和48年)6月3日 - 千葉県千葉市中央区にある千葉県文化会館でNETテレビ(日本教育テレビ。現・テレビ朝日)の公開録画が行われたが、開門時に殺到した観客が将棋倒しになり11人が重軽傷を負った。会場の収容定員を上回る招待券を出していたことが原因。 1976年(昭和51年) - 年末ジャンボ宝くじの複数の販売所で買い求めに集まった客が殺到。長野県松本市と福岡県福岡市の会場で各1名が死亡、全国で40名以上が負傷。この事故を受け、翌年より購入は往復はがきによる申し込み制に変更された(1995年まで)。 1978年(昭和54年)1月27日 - 札幌市の中島スポーツセンターで行われたレインボーのコンサートで、開演と同時に興奮した約500人の観客がステージに殺到し、詰めかけた観客が将棋倒しとなった。死者1人、負傷者7人。 1979年(昭和54年) - 兵庫県西宮市の第51回選抜高等学校野球大会開催中の阪神甲子園球場で、入場券売り場前にいた群衆が販売が開始されたと思いこんで殺到、倒れた小学生2名が死亡。 1982年(昭和57年)千葉県松戸市のダイエー新松戸店(現・イオンフードスタイル新松戸店)で当時大ブームだったアニメーション番組『ガンダム』のプラモデルを購入するため、開店と同時にエスカレーターに殺到した小中学生250人による将棋倒し事故が発生した。 ルジニキの惨事。ソビエト連邦モスクワのレーニン・スタジアム(現・ルジニキ・スタジアム)で発生した将棋倒し。公称の死者は66人と発表されたが、後年、死者340人超と推定されている。 1985年(昭和60年)5月29日 - ヘイゼルの悲劇。ベルギーのブリュッセルにあるヘイゼル・スタジアム(現・ボードゥアン国王競技場)で、暴徒化したサポーターが相手チームの観客席になだれ込み、老朽化した競技場の一部が崩壊。死者39名、負傷者400名以上を出す大惨事になった。 1987年(昭和62年)4月19日 - ラフィンノーズ公演雑踏事故。東京都千代田区の日比谷野外音楽堂で行われたロックバンドLAUGHIN' NOSEのコンサート中に観客がステージ前に殺到、将棋倒しに。死者3名重軽傷者27人。LAUGHIN' NOSEは引責謹慎。担当していたラジオ番組も降板した。 12月10日 - 1987年上海陆家嘴轮渡站踩踏事故(中国語版)。中華人民共和国上海市の黄浦江にある陸家嘴渡船場で自転車に乗った乗客らが殺到、将棋倒しとなり66人が死亡、30人近くが重軽傷。現場は2014年に起きた群集事故(後述)と至近距離にあり、27年後に同様の事故が発生したことで、このときの教訓が生かされなかった。 1989年(平成元年)4月15日 - ヒルズボロの悲劇。イギリスのイングランドシェフィールドにあるヒルズボロ・スタジアムで、立見席に観客が詰め込まれ、圧死者96人、負傷200人以上のイングランドサッカー史上最悪の事故となった。これ以後、イギリスのスタジアムから立見席が廃止されることとなった。 1990年(平成2年)7月2日 - 1990年メッカ巡礼事故(アラビア語版)。イスラム教の大巡礼ハッジの群集がメッカからミナへ通じるトンネル内で将棋倒しを起こし、1,426人が死亡。ハッジでの群集事故としては当時史上最悪のものとなった。 1993年(平成5年)1月1日 - 蘭桂坊将棋倒し事故(中国語版)。午前0時過ぎ、香港のランカイフォン(蘭桂坊)にて新年を迎える人々が揉み合い状態になり徳己立街との境界地点で将棋倒しが発生、日本人1人を含む21人が死亡し62人が重軽傷を負った。 2001年(平成13年)7月21日 - 明石花火大会歩道橋事故。兵庫県明石市大蔵海岸の花火大会後にJR神戸線朝霧駅付近の歩道橋で発生した群集雪崩事故。 2003年(平成15年)6月11日 - 岐阜県岐阜市にある長良川球場で行われた中日ドラゴンズ対阪神タイガース戦の終了後(試合は阪神が7-2で勝利)に阪神ファンがグラウンドに乱入し中日ファンを挑発、中日ファンもグラウンドに乱入し乱闘となった。その際に防犯用の唐辛子系催涙スプレーとみられるものが噴射され、観客53人が目やのどの痛みで治療を受け、うち31人が病院搬送、7人が入院する事態となった。この一件以降、中日は阪神との主催地方試合の開催を2013年(平成25年)まで行わなかった。 2005年(平成17年)イラクのバグダードで巡礼者が移動中、自爆テロの流言が流れパニックとなる。将棋倒しにより965人が死亡。 10月3日 - 韓国の慶尚北道尚州市の競技場で行われたコンサートで将棋倒しが発生、11名が死亡し70名あまりが負傷。 2008年(平成20年)8月3日 - インドのヒマチャルプラデシュ州のヒンズー教寺院で将棋倒しとなり、約150人が死亡、50人以上が負傷。 2010年(平成22年)3月26日 - 東京都渋谷区の竹下通りで芸能人が見られるとの噂が立ち、人々が殺到して将棋倒しとなる事故が発生。 7月24日 - ドイツのデュースブルクで行われたラブパレードで、2つのルートから会場に入ろうとする人と、会場に入れずに帰ろうとする人が一か所に押し詰められる状況となり、21人が圧死、500人以上が負傷した。この結果、ラブパレードは廃止されることとなった。 11月22日 - カンボジアのプノンペンで、年中行事「水祭り」で夜に行われたボート競技に集まった見物客が、メコン川にかかる橋の上で倒れるなどして、345人以上の死者と、300人以上の負傷者が生じた。この日は祭りの最終日で、全国から300万人以上の観客が集まっていた。 2014年(平成26年)12月31日 - 2014年上海外灘雑踏事故。上海市の外灘で年越しを迎えようとした市民が、広場の階段で揉み合い状態になった挙句に転倒。36人が死亡、47人が負傷した。 2015年(平成27年)9月24日 - 2015年メナー群衆事故。ハッジに訪れていた多数の巡礼者が将棋倒しとなり2,181人以上が圧死。ハッジでの群集事故として1990年の事故を上回り史上最悪となった。
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群集事故
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/25 23:47 UTC 版)
メッカは、常に膨大な数の巡礼が集まっており、何かの理由でパニックが起きた際、将棋倒しによる群集事故が絶えない。1990年以降の大事故のみ数え上げても 1990年7月2日 - 1,426人死亡 1994年5月23日 - 270人死亡 1998年4月9日 - 119人死亡 2004年1月1日 - 251人死亡 2006年1月12日 - 362人死亡 2015年9月24日 - 2,181人死亡 - 2015年メナー群衆事故 といったものがある。死者が上記ほど多くない小事故については数え上げることすらできない。
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