ウィキペディア |
釜山広域市
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2012/02/10 21:23 UTC 版)
座標: 北緯35度06分 東経129度02分 / 北緯35.1度 東経129.033度
| 略称: Busan;부산;釜山;プサン | |
|
|
| 位置 | |
|---|---|
![]() |
|
| 地図 | |
![]() |
|
| 各種表記 | |
| ハングル: | 부산광역시 |
| 漢字: | 釜山廣域市 |
| 日本語読み仮名: | ふさん=こういきし |
| 片仮名転写: | プサン=グァンヨクシ |
| ローマ字転写 (RR): | Busan-Gwangyeoksi |
| 統計(2010年) | |
| 面積: | 766.12 km² |
| 総人口: | 3,414,950[1] 人 |
| 男子人口: | 1,676,689 人 |
| 女子人口: | 1,738,261 人 |
| 人口密度: | 4,457.5 人/km² |
| 行政 | |
| 国: | |
| 下位行政区画: | 15区1郡 |
| ISO 3166-2: | KR-26 |
| 行政区域分類コード: | 21 |
| 釜山広域市の木: | ツバキ |
| 釜山広域市の花: | ツバキ |
| 釜山広域市の鳥: | カモメ |
| 自治体公式サイト: | 釜山広域市 |
釜山広域市(プサンこういきし)は、大韓民国南東部に位置する広域市。対馬海峡に面し、古くから朝鮮半島と日本とを結ぶ交通の要衝として栄えてきた港湾都市である。首都ソウルに次ぐ韓国第二の都市として、政治・経済・文化の面で重要な役割を担ってきた。
目次 |
地理
朝鮮半島南東端に位置し、韓国の主要都市中で最も日本に近くに位置する。対馬海峡西水道(朝鮮海峡)を挟んで対馬を望む事ができ(海雲台区の冬柏などから肉眼で見える日が年間約60日あり)、福岡市までは200kmほどの距離である。このため、日本との関係も密接であり、とくに下関市・福岡市などの北部九州や山口県との関係が深い。
現在は広域市に位置づけられ、道には属さないが、かつては慶尚南道に属し、その道庁所在地であった。朝鮮の地方区分でいう慶尚道地方(嶺南地方)の中心都市である。
隣接自治体
読み、各種表記は大韓民国の地方行政区画を参照のこと
歴史
古代
古代は任那(伽耶)に含まれる地域である。新羅に合併された時に居漆山郡になり、統一新羅時代の757年に良州(現在の梁山市)所属の東莱郡を設置、現在の市街地地域に東平県、機張郡に機張県が東莱郡の下に設けられているが、地域の中心は金海にあった。
中世・近世
李氏朝鮮(朝鮮王朝)時代、釜山地域にははじめ東莱県、のちに東莱府(東莱都護府)が置かれた。対日防衛の要衝であることから慶尚左道都万戸が置かれた。また、対日交易の拠点としても重要な位置を占め、15世紀始めには富山浦に日本人居留地である倭館が設置された(浦所倭館)。以後、釜山地域は三浦の乱や文禄・慶長の役など中世日朝関係の曲折の舞台となった。
朝鮮王朝と江戸幕府の交渉が復活すると、龍頭山一帯に対馬藩の草梁倭館が設置された。江戸時代、鎖国下の日本では、唯一日本人が海外に居住できる場所となった。
近代
1877年の日朝修好条規によって朝鮮が開国した際、3ヶ所の開港地(他の2港は仁川・元山)の一つとなり、倭館はひきつづき日本人居留地となった。以後、釜山港の貿易港としての整備とともに、港湾都市釜山は発展することになる。1905年には鉄道(京釜線)が開通し、釜山駅が開業した。
この間、行政面では1895年に慶尚道が廃止されて東莱府(二十三府制)になったが、翌年に慶尚南道になり、道庁が釜山に置かれた。
日本統治時代、1914年に行われた行政区画の整理が行われた。このとき、東莱郡から釜山港周辺の日本人居留地一帯が分割されて釜山府(ふさんふ)が設置された。一方、郊外では機張郡が東莱郡に統合された。
以後、日本統治下では1936年、1942年の二度にわたって釜山府は府域拡張を行っている。1936年には西面など(現・釜山鎮区などの一帯)が、1942年には東莱邑など(現・東莱区などの一帯)が東莱郡から府域に編入された。
第二次大戦後
1949年に釜山府は釜山市に改称した。1950年に朝鮮戦争が勃発し、ソウルが陥落すると、釜山は1953年まで大韓民国の臨時首都となった。釜山には戦争を避けた難民が多く移り住んで人口が増加した。
1957年には出張所を改めて区が設置され、1963年には釜山直轄市に昇格した。朝鮮戦争後は、金海郡の一部(現・江西区一帯)を編入するなど数次の市域拡大を行っている。1995年に釜山広域市に名称を改めるとともに、梁山郡内の旧東莱郡域(現・機張郡)を市域に編入した。
長らく市庁は港に近い旧市街地の古い建物を使っていたが、1999年に蓮堤区に市庁の庁舎を建設して移転、裁判所等も蓮堤区に所在している。
市庁跡地には高層ビルのロッテワールドが建設中で、2013年に完成する予定である。
市の人口は近年まで増加の一途をたどり、一時400万人前後に達したが2000年以降徐々にドーナツ化現象によって減少傾向にあると言われる。
- 1910年10月1日 - 慶尚南道東莱府が釜山府に改称。
- 1914年4月1日 - 釜山府を分割し、一部が新たな釜山府となる。残部が機張郡と合併し、東莱郡となる。
- 1936年4月1日 - 東莱郡西面および沙下面の一部を編入。
- 1942年10月1日 - 東莱郡東莱邑・沙下面・南面および北面の一部を編入。
- 1949年8月15日 - 釜山府が釜山市に改称。
- 1957年1月1日 - 中区・西区・東区・影島区・釜山鎮区・東莱区を設置。
- 1963年1月1日 - 慶尚南道釜山市が釜山直轄市に昇格。
- 慶尚南道東莱郡亀浦邑・沙上面・北面および機張面の一部を編入。
- 1975年10月1日 - 釜山鎮区・東莱区・東区のそれぞれ一部が合併し、南区が発足。
- 1978年2月15日
- 慶尚南道金海郡大渚邑および鳴旨面・駕洛面の各一部を編入。
- 釜山鎮区の一部および同日編入され金海郡の部分をもって、北区を設置。
- 1980年4月1日 - 東莱区の一部を分離し、海雲台区を設置。
- 1983年12月15日 - 西区・北区のそれぞれ一部が合併し、沙下区が発足。
- 1988年1月1日 - 東莱区の一部を分離し、金井区を設置。
- 1989年1月1日
- 1995年1月1日 - 釜山直轄市が釜山広域市に改称。
- 1995年3月1日
行政と議会
- 市長:許南植(허남식、2010年7月1日~現在)・・・第23代(民選5期)。
- 議会:47名(地域区42名/比例代表5名)・・・地域区は小選挙区制。他に教育議員6名。
- 出典:“釜山広域市議会”の現役議員名簿(政党別)を参照。
|
|||||||||||||||||
- ^ 大韓民国国家統計ポータル > 人口・世帯 > 総調査人口(2010) > 年齢・性別人口 - 邑面洞、性別外国人 - 市郡区, 2011年6月2日閲覧
- ^ 安相英・釜山市長が拘置所で自殺。2004年2月4日付東亜日報(日本語版)
- ^ “평년값자료(1981–2010) 부산(159)”. Korea Meteorological Administration. 2011年5月27日閲覧。
- ^ 釜山~金海のライトレール開通、金海国際空港も経由.聯合ニュース2011年9月9日
- ^ はぐれ刑事純情派 新春スペシャル
- ^ 日本統治時代には釜山商業、釜山中学が朝鮮代表として全国高校野球選手権大会に出場している。
- ^ ロッテのガルシア「今年も大砲で釜山ファンを沸かせたい」 東亜日報
釜山広域市に関係した商品
- 【送料無料】息子よ 真実のパク・ヨンハ楽天ブックス
- カメリア 【DVD】HMV ローソンホットステーション R
- 【送料無料】建築のウンチク楽天ブックス


