海兵団
海兵団
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/15 00:53 UTC 版)
「海兵団」も参照 海兵団は兵種ごとに分隊(陸軍の中隊に相当)を編成した。分隊を15-16人程度の教班に分けて教育を行った。分隊長は大尉で、海兵団長は少将であった。海兵団は鎮守府の下部機関で、横須賀、呉、佐世保、舞鶴にあった。出身県ごとに配属される海兵団は決まっていた。 分隊長は兵学校出身の大尉が大半だったが、中には一般の兵から叩き上げた特務大尉や特務中尉もいた。 海兵団の兵種は次の通りである。 水兵 飛行兵(当初は航空兵、整備兵が分離されるとともに改称) 整備兵(航空兵から分離) 機関兵 工作兵 軍楽兵 主計兵 看護兵(後に衛生兵と改称) 兵の受けた教育に次のものがある。 短艇橈漕教練 短艇(カッター) 陸戦教練 陸軍と同じように銃を担いでの教練であった。海軍に陸戦隊があったことによる。 手旗信号 必須科目 相撲、銃剣術 甲板掃除 結索術 ロープの結び方の学習 座学 教室で行う普通の授業。修身と軍事学が中心で、国語と算術も学んだ。 海軍では陸軍と異なり「しごき」や肉体的制裁が公然と認められていた。日本海軍に於いて特に有名な「しごき」は海軍精神注入棒(軍人精神注入棒、大東亜戦争勝ち抜き棒)等と呼ばれる硬い樫の木の太棒(他には止索(とめなわ)と呼ばれる太い係留用ロープやラッタルの手摺(通称、真剣棒)が使われる事さえあった)やを構えた下士官や古兵が、教育の名の下に壁に手をつかせた新兵の尻を叩く行為(所謂ケツバット、当時の海軍ではバッタと呼ばれていた)が有名である。叩かれ腫れ上がった尻のせいで、その夜はまともに仰向けで寝る事が出来ずに奥歯を噛み堪えながら夜を明かす新兵が多かった。中には叩く力が強すぎて肛門が裂けた新兵、叩きどころが悪く背骨に当たり死亡した(=殺された)新兵さえいた。 この「しごき」は海兵団での教育中は勿論、艦や部隊に配属された先でも変わらず常態化していた。特に大和型などの戦艦や空母といった大型艦(軍艦)程「しごき」の壮烈さは酷く、新兵は水を飲む暇すら無かった。逆に駆逐艦や潜水艦といった戦艦等と比較し所帯染みた小型艦は「しごき」のレベルは弱かった。他に見方によっても違うが、甲板掃除は「しごき」のひとつと言える。
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