回航の実施へ
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「辰悦丸 (復元北前船)」の記事における「回航の実施へ」の解説
回航は兵庫県津名郡津名町(現、淡路市)の津名港を出港地とし、瀬戸内海から関門海峡を通過して日本海を北上する航路で北海道檜山郡江差町の江差港までの各寄港地(下表参照)を経由し、津軽海峡を経由して函館市の函館港に寄港後、太平洋を東京都の東京港大井埠頭まで南下するという、本州を時計回りする航海が行われた。この航海では、江差追分師匠の青坂満氏を船頭役として、ほかに寺岡社長、戎谷(えびすだに)綱平船長、NHK取材班、タグボート船員の合わせて16名(うち、全行程同乗者11名)で構成された船員が乗船している。 辰悦丸に乗船中の船頭役以下船員が夜間の航行時、安全上の交代での見張り人員を除いて就寝中に日本海の高波を受けて揺れる船の中で身体が転がってしまう事が多く、そのため就寝時は付近の帆柱などにロープを掛けて身体を固定して寝たという航海中のエピソードがある。 回航における寄港地港間マイル寄港地入港出航備考29 津名 1986年 5月 4日 8:00 1986年 5月 5日 11:00 大阪 5月 5日 19:00 5月 7日 13:00 86 丸亀 5月 8日 9:00 5月 10日 8:00 130 杵築(守江湾守江港) 5月 11日 14:00 5月 12日 17:00 88 下関 5月 13日 15:00 5月 15日 17:00 108 浜田 5月 17日 5:50 5月 18日 15:00 94 美保関 5月 19日 9:00 5月 19日 18:00 現、松江市美保関町 43 鳥取(賀露) 5月 20日 13:00 5月 21日 9:00 32 竹野(兵庫) 5月 21日 15:30 5月 22日 18:00 56 小浜 5月 23日 9:00 5月 25日 7:30 35 敦賀 5月 25日 12:00 5月 26日 19:00 40 三国 5月 27日 9:00 5月 28日 16:00 87 輪島 5月 29日 9:00 5月 30日 17:00 73 小木(佐渡島) 5月 31日 13:30 6月 1日 13:00 39 新潟 6月 1日 19:00 6月 4日 17:00 74 酒田 6月 5日 9:00 6月 7日 8:00 54 秋田土崎(秋田港) 6月 7日 18:00 6月 9日 10:00 47 能代 6月 9日 18:00 6月 11日 9:00 32 深浦 6月 11日 16:00 6月 13日 18:00 81 江差 6月 14日 10:00 6月 21日 21:00 83 函館 6月 22日 10:00 6月 23日 9:00 540 東京 6月 27日 8:00 6月 30日 13:00 * 同じ入出港年は最上段のみ記載し、以降は省略しています* 寄港地の名称は参考文献に記載されている回航当時のもので、名称変更等されている場合は備考欄に記載しています 出港地の津名と各寄港地では辰悦丸の見学会が行われたほかに、次のような数々の式典や歓迎行事が行われた。 兵庫県津名郡津名町(現、淡路市) - 津名港 ここでは出航式典が執り行われた。伊弉諾神宮から聖火を採火して辰悦丸船内に搬入され、文楽やタコ踊りなどの伝統芸能が披露された。 大阪府大阪市 - 大阪港 歓迎式典のほか、航行の安全祈願として住吉大社に船絵馬が奉納された。また寄港中とその前後に、大阪港沖や港湾内にてソビエト連邦(当時)などの船舶と交歓している。 香川県丸亀市 - 丸亀港 入港接岸時、陸上自衛隊第二混声団音楽隊(当時)による「こんぴら舟々〔ママ〕」の演奏と、市内の東・西・城北・丸亀高校付属幼稚園児(当時)及び丸亀市立西中学校生徒による団扇の打ち振るい歓迎が行われた。歓迎式典は丸亀お城まつりの「24時間お城まつり実行委員会」により開催され、青坂満氏の江差追分と丸亀民謡同好会との民謡交歓や、塩飽八幡太鼓による歓迎が行われた。また、港内航行中にすれ違ったフェリーに乗船中だった修学旅行中の生徒と交歓している。 大分県杵築市 - 杵築(守江港) 入港時は大漁旗と竹を上げた漁船の一段によって歓迎の出迎えがあり、接岸後の歓迎式典として「豊の国海の祭典IN城下町杵築」が停泊地を中心に大々的に行われた。式典には15,000人が詰めかけたと報じられている。 山口県下関市 - 下関港 入港時は消防艇による歓迎放水が行われたほか、接岸直前には花火の打ち上げも行われた。接岸後には下関海洋少年団による青坂満船頭役・林正信江差町議会議長(当時)他5名への花束贈呈の後、平家踊りや下関市吹奏楽団の演奏が披露された。寄港中は市内のシーモールパレスにて「北前船セミナー」も開催されたほか、淡路島の伊弉諾神宮から採火された御神灯の火を地元の亀山八幡宮に奉納する神事も行われた。 島根県浜田市 - 浜田漁港 寄港後、大歳神社(浜田市長海町)への船絵馬奉納が行われ、歓迎式典として岩見神楽「八岐の大蛇〔ママ〕」や郷土芸能の和太鼓演奏が披露された。 島根県八束郡美保関町(現、松江市) - 美保関漁港 大漁旗を上げた20隻の漁船の出迎えを受けて入港し、接岸する岸壁には300本の歓迎の幟が立てられた。接岸後は58年ぶり(当時)に復活した地元祝賀行事の「ホーラエッチャ」や「壇尻」が繰り広げられ、美保神社までの行列が行われたほか、江差追分と関の五本松節の競演会が開かれた。 鳥取県鳥取市 - 鳥取港(賀露) 鳥取港賀露地区が元は賀露港と呼ばれ、北前船交易ゆかりの港だった事に由来しての寄港で、当時の西尾邑次鳥取県知事による歓迎挨拶と、因幡のかさ踊り披露、辰悦丸からの御神灯本納、地元の賀露神社や羽合町(現、湯梨浜町)の湊神社からの祈願札贈呈が行われた他に、岸壁にて海産物フェアと、羽合町(現、湯梨浜町)所蔵の実際に北前船で使われた船道具を集めた歴史資料展が開催された。 兵庫県城崎郡竹野町(現、豊岡市) - 竹野港(竹野浜・竹野漁港) 竹野浜漁業協同組合(当時、現在のなぎさ信用漁業協同組合連合会)に所属する20隻の大漁旗を上げた漁船団に伴走されつつ入港し、接岸までの間に打ち上げられた花火を合図にウィンドサーフィンによる歓迎セーリングも行われた。接岸後は竹野町(現、豊岡市)の鷹野神社への御神灯及び船絵馬奉納が行われ、竹野浜の砂浜特設ステージにて傘おどり・相撲甚句・青坂満船頭役による江差追分の競演が披露された他に、ステージ周辺で丹波の物産展も催された。 福井県小浜市 - 小浜漁港 大漁旗を上げた漁船・蘇洞門巡りの観光遊覧船・ヨットなど10数隻の船舶と市民ら2,000人の出迎えを受けて入港・接岸。中学生によるブラスバンド演奏と丁髷と裃姿の小浜藩主に扮した吹田安兵衛市長や武士・町人姿に扮した関係者による歓迎式典が行われ、そのまま市長以下関係者と共に八幡神社(男山神社)への御神灯奉納が行われた。また市内の会場でレセプションが行われて郷土芸能が披露され、その宴席には限定商品の、北前船の絵をあしらった缶ビールが振る舞われた。 福井県敦賀市 - 敦賀港 大漁旗を上げた5隻の漁船に歓迎されて蓬莱岸壁に接岸。青坂満船頭役が船絵馬を持っての下船時は福井県立敦賀高等学校のブラスバンド演奏や集まった市民などの見物客による拍手による歓迎を受けた。その後の式典で篠原憲司敦賀青年会議所理事長・栗田正敦賀市助役(いずれも当時)による歓迎挨拶を受け、北前船模型などを曳きながらの氣比神宮への御神灯・船絵馬奉納行列が行われた。また敦賀市民文化センターにて北前船シンポジウムも行われ、シンポジウムにおいて江差追分を含めた民謡の交歓なども行われた。 福井県坂井郡三国町(現、坂井市三国町) - 三国港(福井港・三国港地区) 歓迎式典が開催され、その一環で三国町消防団(当時)による梯子乗りが披露されたほか、社団法人三国・芦原青年会議所と三国町商工会の共催で北前船シンポジウムが行われた。また、回航中の辰悦丸は各寄港地において必ず点検を行っているが、三国港寄港時において寺岡社長自らが辰悦丸を点検している様子を写した写真が残されている。 石川県輪島市 - 輪島港 大漁旗を立てた約20隻の漁船による出迎えを受けて入港の後に接岸。青坂満船頭役の下船後には4歳(当時)の子供2名による花束贈呈が行われ、輪島まだら保存会20名による伊勢音頭を謡いながらの先導によって輪島岬〔ママ〕の弁天神社の歓迎式典会場に移動し、式典が行われた。式典では「昭和の北前船 辰悦丸寄港之碑」除幕式の後、陣羽織姿で代官に扮した塩安誠治北前船寄港実行委員会会長兼輪島商工会議所会頭による歓迎挨拶を受け、郷土芸能の「御陣乗太鼓」なども披露された。 新潟県佐渡郡小木町(現、佐渡市) - 小木港 入港時は佐渡島名物のたらい舟50艘による海上パレードの歓迎を受け、その後は大漁旗を上げた漁船パレードの先導を受けて接岸。接岸後は寺岡社長をたらい舟みこしに乗せての歓迎が行われた。歓迎式典は小木町(当時)主導で結成された北前船回航計画小木町実行委員会主催で行われ、歓迎式典、江差・小木芸能大会、サザエ祭りなどといったイベントが行われた。 新潟県新潟市 - 新潟港 入港時は消防艇からの7色の歓迎放水が行われた。接岸後は信濃川右岸に設けられた会場にて歓迎式典が行われ、新潟市消防局音楽隊の演奏と花火の打ち上げに迎えられて青坂満船頭役を先頭に乗組員が上陸したのを皮切りに、民謡流し(万代太鼓)・ブラスバンド演奏などが行われた。また寄港中、寺岡社長と古川長四郎佐渡汽船株式会社社長(当時)との交流が行われている。 山形県酒田市 - 酒田港 入港前には沖合で万国旗を掲げたヨットなど約30隻の歓迎を受けた。入港接岸後の岸壁では歓迎式典が行われ、式典では郷土芸能・酒田ばやし保存会による篠笛と太鼓の演奏などが行われた。歓迎式典後には地元の「荷主」役の家屋に場所を移してて船頭にお神酒を振る舞う「入船祝の儀」も行われている。また辰悦丸の寄港期間中に合わせて酒田港を見下ろす日和山公園にて、酒田JCが主体となって北前船往来当時の賑わいを再現した「江戸村」を開村し、昔の扮装をした店員による居酒屋や船箪笥屋などの営業のほか、大道芸の披露も行われた。 秋田県秋田市 - 秋田土崎(秋田港・土崎港) 入港時間が18:10となった事から港に篝火が焚かれ、北前船最盛期さながらの夜間入港となった。寄港中は歓迎式典の他に江差追分の民謡大会や資料展が行われている。なお寄港中は帆を張る事が出来なかったためにその点が不評だったが、寄港中に出店した20数店の出店は賑わいを見せていた。 秋田県能代市 - 能代港 地元のボートや漁船など約20隻の出迎えを受けて入港し、接岸までは郷土民謡・能代舟歌のメロディーが流れ、ふ頭から能代たこ揚げ大会に使われる能代凧のベラボー揚げと能代役七夕の灯籠による出迎えを受けた。歓迎式典ではミス北前船らによる花束贈呈のほか、能代市側からあきたこまちの米俵・秋田杉の板材・阿仁町(現、北秋田市)の鉱石と、能代市商工会議所からミニ七夕の贈呈が行われた。寄港中は能代市文化会館大ホールに会場を移して太鼓フェスティバルが開催されたほか、船頭以下乗組員を含む関係者による日吉神社への参拝も行われている。 青森県西津軽郡深浦町 - 深浦港 往時の北前船運行当初から難所とされてきた岩崎村(現在は深浦町の一部)・大間越沖合から黄金崎までの間を無事に通過し、艫作漁業協同組合(現在の新深浦町漁業協同組合艫作支所)と深浦漁業協同組合から出迎えの漁船30隻が辰悦丸の船尾に続きつつの入港となった。接岸後の歓迎式典ではミス深浦による青坂満船頭役への花束贈呈、御神灯の木村義信江差町長から浜田勇総務課長への引き継ぎ、来賓祝辞を経て鏡開きとテープカットによる一般公開開始行事が行われた。到着日からは「北前船まつり」が開催され、国鉄(当時)の五能線・弘前駅 - 深浦駅間で国鉄初の黄金の花列車が運行されたのをはじめ、近隣15市町村(当時の数)参加の西北五物産展、郷土芸能の深浦小唄流し踊り、「侫武多(ねぶた)」を歌唱した歌手の桜井かずみをゲストに迎えてのカラオケ大会、ミニSL列車運行、網掛け(網引き)などといったイベントが行われた。 北海道檜山郡江差町 - 江差港 入港・接岸時には姥神大神宮渡御祭に使われる山車(ヤマ)の内の8基による出迎えを受け、接岸後は古式に則った船改めを行った後に無事航海を終えた事を姥神大神宮へ報告する神事が奴振り先導のもとで行われた。 寄港期間中は歓迎イベントとして「北前船まつり」が開催されて、歓迎式典、北前船サミットの開催、「芝居小屋」開設による日本海芸能祭の開催、日程別に町内の下町(現、いにしえ街道)から鴎島、及び上町(江差町道円山通りと北海道道215号江差停車場線を含めた経路)から鴎島までの経路で行われた奴振り・武士・商人・花魁・芸者・追分踊りなどによる時代行列、メイン会場となる辰悦丸の停泊場所に近い鴎島の近辺で杉間伐材を用いて作られた浜小屋(屋台)や北前炉ばたを含めた飲食スペースが設けられた。 メイン会場となった鴎島以外でも、中村家・横山家・江差追分会館を会場とした北前船特別展が行われ、その内の江差追分会館では吉村昭氏をゲストに「夜なべ講義」も開催されたほか、上町・本町「山の上商店街」でも各種協賛行事が開催された。 最終日の出航式典では厳かな鎮魂祭が執り行われ、式中にて回航計画実行委員会事務局長・萩原猛志氏による「北前船宣言」が読み上げられた。式典終了後は、鴎島遊歩道に設置の松明の篝火と町内の各寺院によって打ち鳴らされた梵鐘の音に見送られて出航した。 北海道函館市 - 函館港(豊川ふ頭) 接岸直前、当時は運行中だった青函連絡船・摩周丸とのすれ違いがあり、摩周丸の乗客や見物客を喜ばせたという。着岸後は入港式典の後に高田嘉七氏(七代目高田屋嘉兵衛)・斉藤貢五色町長(当時)・ミス函館による凱旋パレードが、高田屋嘉兵衛銅像の立つ宝来町の高田屋通(北海道道675号立待岬函館停車場線)まで行われ、到着後は銅像への献花も行われた。その他には、高田屋嘉兵衛の菩提寺である称名寺での墓参が、高龍寺ではお茶会が行われた。夜には会場を変えて三波春夫氏による講演と歌の夕べが開催され、ステージにて「高田屋嘉兵衛」「北前船あゝ」が熱唱された。 この他にも、各寄港地に辰悦丸が入港した日に誕生した新生児(1寄港地につき5名)へ記念認定書と記念品を贈る「日本海神聖児」と名付けられた行事が行われ、さらに船上での結婚式が出港地の津名と寄港先の下関・浜田・鳥取・竹野・輪島・酒田・秋田・深浦・江差で行われて14組が成婚した。その内、江差の寄港時においては5組が成婚し、その結婚式中では、江差町在住者を含めて観世流の能楽を習得して趣味として嗜んでいた4名(当時)による「高砂」が披露されている。
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