回航に至る経緯
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 16:38 UTC 版)
「辰悦丸 (復元北前船)」の記事における「回航に至る経緯」の解説
北海道檜山郡江差町の檜山青年会議所では、かねてから江差に縁のある北前船を町おこしにという議論があがっており、実際に北前船を建造する案も検討されていた。時を同じくして「くにうみの祭典」期間中の辰悦丸展示が評判となっている中、その展示を前に行われた進水式を紹介した新聞記事が檜山青年会議所会員の一人である萩原猛志氏を主とした青年会議所会員の目に留まった。その辰悦丸がそもそも実際に航海可能な設計である事から、青年会議所と活動を同じくしていた当時の江差商工会会頭からのアドバイスも受けて、青年会議所及び商工会の関係者を中心ににわかに辰悦丸を実際に回航させる案が持ち上がった。その計画にともなって、当時の木村義信江差町長を会長とした江差町と檜山青年会議所による北前船回航計画実行委員会(以下、回航計画実行委員会)が組織された。その後、北前船サミットが催されると同時に回航計画実行委員会と兵庫県及び寺岡社長との間で辰悦丸を借りる交渉が行われて貸し出しの内諾を得られ、また、江差町の回航計画実行委員会によるこの計画を知った瀬戸内海と日本海沿岸の北前船に縁のある市町村から寄港の申し出が次々と現れて、そこから辰悦丸を中心とした一大イベントが組まれることとなり、ここに辰悦丸回航の一大プロジェクトが実施される事となった。 回航を実施するにあたって、そもそも動力を持たない船である事や、航海においての安全上の問題などから海上保安庁より自力帆走の許可が下りなかったために、航行は全航路においてタグボートによる.mw-parser-output ruby.large{font-size:250%}.mw-parser-output ruby.large>rt,.mw-parser-output ruby.large>rtc{font-size:.3em}.mw-parser-output ruby>rt,.mw-parser-output ruby>rtc{font-feature-settings:"ruby"1}.mw-parser-output ruby.yomigana>rt{font-feature-settings:"ruby"0}曳(えい)航で行われた。そのほかにも、神戸海運局(現、神戸運輸監理部)より「明石・来島・鳴門の難関を夜間航行するのは危険」と指摘されたためにこの区間は日中のみ航行する事となり、それに伴って出港の日程が5月10日から5月5日に変更され、辰悦丸の船体そのものも各関係公的機関からの指摘・助言等も受けた上で、航海に耐えられるように各種の補強が行われる事となった(後述)。 この回航計画事業においては、NHKがNHKサービスセンター創立35周年の記念事業として北前船プロジェクトを編成して取り組む事が決まって後援という形で参加する事になり、航行中及び寄港時のテレビ取材は全てNHKが行う事と、それ以外のマスコミ取材は寄港地に縁のある各新聞社が担う事となった。
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