蓑田胸喜 蓑田胸喜の概要

蓑田胸喜

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/29 04:08 UTC 版)

蓑田 胸喜
みのだ むねき
生誕 明治27年(1894年1月26日
日本熊本県八代郡吉野村(現・八代郡氷川町
死没 昭和21年(1946年1月30日
日本・熊本県八代郡吉野村(現・八代郡氷川町)
出身校 八代中学校
第五高等学校
東京帝国大学
学派 国粋主義
反共主義
天皇主権説
主な概念 天皇機関説の批判
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生涯

生い立ち

熊本県八代郡吉野村(現・氷川町)生。八代中学校を経て、第五高等学校(五高)に学ぶ。五高での同期には佐々弘雄細川隆元がいる。

1917年(大正6年)、五高卒業後、東京帝国大学入学。最初は法科大学(法学部)に入学するが、文科大学(文学部宗教学科に転学し、宗教学者姉崎正治に師事する。1920年(大正9年)文学部卒業、さらに法学部政治学科学士入学する。帝大在学中は、天皇機関説と激しい論争を展開したことでも知られる君権学派憲法学者上杉慎吉が指導していた国粋主義的な学生団体である興国同志会に入会するとともに、三井甲之に私淑するようになる。

右翼の理論家

1922年(大正11年)4月、慶應義塾大学予科教授となり、若宮卯之助らと共に約10年間、論理学心理学を講義する。1925年(大正14年)11月7日、三井らと共に原理日本社を創立し、雑誌『原理日本』の刊行を始める。慶應義塾では「精神科学研究会」を組織し、そして、同誌上で国粋主義の観点から、マルクス主義自由主義的な学者・知識人批判を展開する。慶大で蓑田の受講生であった奥野信太郎(後に慶應義塾大学教授)によると、授業は論理学についてはほんの少し触れるのみで、マルクス主義の攻撃と、国体明徴に終始していたようである。試験に明治天皇御製を三首書いて出せば、及第点を与えたという[1]

1932年(昭和7年)4月、慶應義塾を退職し、国士舘専門学校教授となる。

貴族院議員であった美濃部達吉が辞職させられた、天皇機関説事件に始まる大学粛正運動の理論的指導者であり、滝川幸辰大内兵衛らの追放、津田左右吉の古代史著作発禁事件も、蓑田の批判論文がそもそものきっかけである。1934年6月6日、東京帝大教授末弘厳太郎を治安維持法違反・不敬罪・朝憲紊乱罪で告発した。

1936年11月の日独防共協定が締結後は、1937年4月に平沼騏一郎近衛文麿らが顧問を務める反共・国粋主義の国際反共連盟が結成され[2]、その評議員の一人として反共雑誌『反共情報』に寄稿していた。1938年には帝大粛正期成同盟を組み、対外防共協定に呼応した国内に対する滅共を唱えた[3]。1938年2月25日、松田福松と共著『国家と大学―東京帝国大学法学部の民主主義無国家思想に対する学術的批判』を刊行。

晩年

1941年(昭和16年)、内紛に巻き込まれて国士舘専門学校を退職。7月、『学術維新』を刊行。1942年(昭和17年)頃から健康状態が悪化し、論文の発表も『原理日本』1943年(昭和18年)5月号で途切れた。

1944年(昭和19年)6月、郷里の吉野村に疎開し、終戦後に自宅で首を吊って自殺した[4]。これには、発狂による自殺とする説もある。当時岩波書店社長であった岩波茂雄は、蓑田の死に際して遺族に金一封を送り、「それでは蓑田は本物であったか」という感想をもらしたというエピソードがある[5]

墓所は熊本県八代郡氷川町の阿弥陀寺。

蓑田の批判対象

大正デモクラシーの流れを汲む自由主義や左翼的な共産主義に留まらず、権藤成卿大川周明のような経済面で社会主義農本主義を支持する右翼も批判対象とした。同盟国のナチス・ドイツに対しても否定的であった。

学説

組織

人物


  1. ^ 松本清張 『昭和史発掘(6)』 P.205-206(文春文庫新装版(4)ではp.290)
  2. ^ 赤軍将校陰謀事件の真相 : スターリン暗黒政治の曝露 山内封介 国際反共聯盟調査部発行 1937年
  3. ^ 真の大学問題 ─ 六 帝大肅正期成同盟より長與東大總長への進言書/18 蓑田胸喜 1938年
  4. ^ 『朝日新聞』 1946年1月20日
  5. ^ 小林勇『惜櫟荘主人 : 一つの岩波茂雄伝』岩波書店、1963年(講談社文芸文庫、1993年)


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