蓑正高とは? わかりやすく解説

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蓑正高

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/10/27 23:54 UTC 版)

蓑 正高(みの まさたか、貞享4年(1687年) - 明和8年8月7日1771年9月15日))は、江戸時代猿楽師。後に抜擢され江戸幕府の幕臣となり、関東の農政に携わる。通称は庄次郎。妻は田中休愚(田中喜古)の娘。天正の頃より蓑家の者は「蓑笠之助」を名乗っていた[1]


  1. ^ a b c d e f g h i 『新訂 寛政重修諸家譜』第十八 379頁
  2. ^ a b c d e f g 富士山噴火災害文献調査報告書東京大学社会情報研究所廣井研究室、2003/11/14
  3. ^ 関東の新田開発や治水などの農政を掌る役職。
  4. ^ a b c 『撰要類集』。
  5. ^ 大岡越前守と武蔵野新田の開発真下祥幸、江戸東京博物館友の会会報『えど友』第84号 平成27年3月
  6. ^ 田中休愚は享保15年(1730年)に病没。
  7. ^ 翌年の暮から5年間で返済するという条件での拝借となっている。
  8. ^ 普請工事の終了後、東岸は小田原藩領となったが、治水が不十分なため流域の住民たちが支配替えを願い、享保17年4月に東岸地域も幕府領となった。
  9. ^ 困窮民に扶持米を支給するための普請事業。
  10. ^ 小松郁夫「酒匂川治水の地方巧者蓑笠之助と大岡越前守」、中根賢「町奉行大岡忠相の小田原領支配―享保十〜十七年の酒匂川治水を中心に―」、同「町奉行大岡忠相の地方御用とその特質―享保十七〜延享五年の酒匂川治水を中心に―」、『開成町史・通史編』、『神奈川県史・通史編3・近世2』。
  11. ^ 追加された支配地は小宮領・三田領・府中三町・玉川通・新座郡入間郡の土地の中から割り当てられた。
  12. ^ 『徳川実紀』。
  13. ^ 正高とともに酒匂川普請を行った伊沢為永の子。
  14. ^ 『蓑笠之助家系由緒之事』(佐屋町史編集委員会編集『佐屋町史』史料編二、愛知県佐屋町史編纂委員会発行、1980年)
  15. ^ a b c 『大岡越前守忠相日記』(大岡家文書刊行会編)。
  16. ^ 正高とこの時ともに御目見えをした田中善乗は、まだ御家人身分だったため、対面形式の謁見ではなく、将軍が奥へ入御する際に白書院勝手に平伏したままの通御(つうぎょ)の御目見えであった。
  17. ^ 『新編相模国風土記稿』第5巻。
  18. ^ 『蓑笠之助家系由緒之事』311頁。
  19. ^ 猿楽師・蓑笠之助の3代目。


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