寛保3年 - 延享2年
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「関東地方御用掛」の記事における「寛保3年 - 延享2年」の解説
寛保3年7月、上坂は支配地増加に伴い大岡支配下から勘定奉行支配へと移管、川崎平右衛門は武蔵野新田などの支配地3万石を、蓑正高は7万石支配となることが決められた。 延享元年に大岡は地方御用掛の辞意を伝え、翌2年5月に正式に職を辞する。大岡配下として最後まで残った川崎平右衛門と蓑正高は勘定所へ異動となり、武蔵野新田は他の幕領と同様、勘定所支配となる。川崎と蓑の2人が武蔵野新田支配から退くのは寛延2年(1749年)のことで、業務は関東郡代・伊奈半左衛門忠辰へと引き継がれる。
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