寛保の大洪水とは? わかりやすく解説

寛保の大洪水

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/30 07:24 UTC 版)

奥貫友山」の記事における「寛保の大洪水」の解説

寛保2年1742年8月関東一円台風もたらした大風があり、荒川利根川などの河川決壊氾濫して江戸時代最大大洪水発生した(寛保の大洪水)。川越藩領内でも被害28に及び、被災民の数は近郊含めると10万人を超えた、という。 友山は率先して救助にあたり、米25俵、麦70石、雑穀266石等の自己私財すべてを農民拠出、自ら粥を作って振る舞い続け1万6000人の命を救ったという。さらに自らの田畑江戸商人質入し、その金で食糧を買い続け1年渡って窮民救援し続けた最終的に4810万6千名の命を救ったとされる自費水塚呼ばれる植林続けた。また江戸出て師の錦江通じて幕府防災策を言上した。川越城秋元凉朝狩野周信筆の絵1幅などを贈り友山を高く賞したその後明和元年1764年)、武蔵国から信濃国一帯発生した大規模な一揆中山道伝馬騒動)では、村内で奥貫家だけが打ち壊し免れた伝える。 天明7年1787年11月10日80歳で没した。墓は川越市大字久下戸にある。 大正13年1924年)、従五位追贈された。

※この「寛保の大洪水」の解説は、「奥貫友山」の解説の一部です。
「寛保の大洪水」を含む「奥貫友山」の記事については、「奥貫友山」の概要を参照ください。

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