碁所就位運動
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/05/18 08:04 UTC 版)
寛保3年(1743年)、門入は道知の死後空位となっていた名人碁所就位を出願する。これに井上因碩は賛同したが、秀伯の後を継いだ本因坊伯元、安井仙知は反対し、この時の寺社奉行大岡忠相により、争碁で決着すべしとの裁定を受ける。しかし門入は争碁を打たず、碁所を断念。同年に隠居して、跡目門利が六世林門入として家督を継いだ。延享2年(1745年)没。
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