標準模型 未解決の問題

標準模型

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/25 13:51 UTC 版)

未解決の問題

標準模型は2014年現在までに行われた素粒子物理学に関する実験結果をほとんど全て矛盾することなく説明することができているが、その一方で、理論的または実験・観測的観点から解決すべき問題をいくつか抱えている。このことは標準模型を超える物理の存在を示唆する。この節では標準模型において未解決の問題を列挙する。

重力の量子化

標準模型は基本的な相互作用とされる4つの力のうち、電磁気力、弱い力、強い力の3つをヤン=ミルズ理論に基づき量子論的に記述することに成功している。しかし、残りの1つである重力についてはその記述を欠いている。言い換えれば、重力を媒介するとされる重力子は標準模型の粒子のリストに含まれていない。これは、標準模型の基礎的な枠組みとなっている場の量子論における量子効果による発散の相殺を重力理論に適用できないからである。重力を量子論的に扱うことができる枠組みの候補としては、超弦理論ループ量子重力理論などが挙げられる。

大統一理論

標準模型が記述する3つの力のうち、強い力は、電磁気力と弱い力とは別のゲージ対称性により記述されている。このため、3つの力を統一的に理解することは難しい。しかし、電磁気力を記述するU(1)ゲージ対称性がゲージ対称性がヒッグス機構により自発的に破れた結果あらわれたものであるように、標準模型のゲージ対称性もより大きなゲージ対称性が自発的に破れた結果あらわれたものである可能性が指摘されている。この可能性に基づいた理論は大統一理論と呼ばれている。のおおもととなった大統一理論のゲージ対称性にはいくつか候補があるが、SU(5)、SO(10)、などが提案されている。強い力と電弱相互作用を統一的に記述する大統一理論では、クォークをレプトンに変換するような相互作用が可能になる。具体的な現象としては陽子崩壊が予言される。カミオカンデなどの実験で陽子崩壊を実証するための実験が続けられているが、2014年現在、実験的証拠は得られていない。

階層性問題(fine tuning問題)

標準模型は場の量子論に基づいた模型であるため、物理的に意味のある量を計算するために繰り込みと呼ばれる操作が必要となる。このことと関連して、標準模型ではヒッグス機構による電弱対称性自発的破れの大きさを観測事実と合わせるために、理論のパラメーターを非常に精密に調整する必要がある。この問題は、プランクスケール(1019 GeV)と電弱対称性が破れるスケール(102 GeV)の間に大きな隔たりがあることに起因しており階層性問題と呼ばれている。この問題を解決する模型として提案されているものはいくつかあるが、代表的なものの1つが超対称性模型である。

強いCP問題

中性子電気双極子モーメントの測定により、その大きさは2014年現在の観測精度を下回る値であることが分かっている。このことは、標準模型の弱い相互作用以外の部分でCP対称性がよく成り立っていることを示しており、強い相互作用に関するパラメーターとクォークの湯川行列の位相がCP対称性がよく成り立つような値に設定されていることを意味している。標準模型ではこの2つのパラメーターは特に関連性の無いものであり、精密に調整されているという状況は不自然である。この不自然さの問題は何らかの機構によって解決されるべきであると考えられており、強いCP問題と呼ばれている。解決策の一つとして有力視されているものが、ペッチャイ・クイン機構英語版である。この機構によりアクシオンと呼ばれる新しい粒子の存在が予言される。

世代構造の謎

標準模型のフェルミオンはヒッグスの真空期待値との結合(俗に湯川結合という)により質量を獲得しているが3世代が独立に結合しているわけではない。たとえば荷電レプトンの1世代と2世代とヒッグスという3点結合が存在し、3世代合わせると3×3行列として書ける質量行列として質量を得ている。この質量行列を対角化した後の質量固有状態として物理的なモード、すなわち電子やミュー粒子などのモードが書ける。標準模型の質量行列の要素はフリーパラメータとなっており、その値には数桁の開きがある。またレプトンとクォークでは質量行列の構造が大きく違い、レプトンの質量行列では非対角要素が大きく、クォークの質量行列では非対角要素が比較的小さい値を取っている。すなわち標準模型を使って現実の粒子描像を記述するためには質量パラメータに微細な調整が必要になってくる。この構造を対称性やオーダー1のパラメータを用いた理論から再現する研究が広く進められている。

標準模型における世代を俗にフレーバー(flavor)と呼び、フレーバー構造(flavor structure)、フレーバー物理(flavor physics)、フレーバー混合(flavor mixing)等の呼称で広まっている。

ニュートリノ振動

1998年神岡鉱山に設置されたスーパーカミオカンデによりニュートリノ振動が発見された[27]が、これは質量を持ったニュートリノが存在することの証明となっている。標準模型ではニュートリノの質量は厳密に0であるため、この実験結果は標準模型には何らかの修正が必要であることを示すものの一つとして重要である。単純にニュートリノの質量項を標準模型の枠組みに加える場合は右巻きニュートリノを導入すればよいが、標準模型の荷電を用いると右巻きニュートリノはマヨラナ粒子となり右巻きニュートリノだけで組む質量項(マヨラナ質量項)が現れ、質量構造が複雑化する。これを取り入れた枠組みとして代表的なものの一つがシーソー機構である。

暗黒物質

現在の宇宙のエネルギー密度の約4分の1を暗黒物質が占めていることが明らかになっているが、標準模型には暗黒物質の候補となる粒子が存在しない。そのため、暗黒物質の正体を素粒子に求める場合は標準模型の拡張が必要である。仮説上の粒子として、通常の物質と暗黒物質を繋ぐ役割を持つ「Z’ボゾン」、その他「アクシオン」等が考えられている。2020年現在は未発見である”超対称性粒子”の中の「ゲージーノ」や「ヒグシーノ」の一部が暗黒物質の候補として挙げられている。

バリオン数の非対称性

標準模型に含まれるフェルミオンは粒子と反粒子の2種類に分類される。粒子と反粒子はほぼ対等な存在であるが我々の住む宇宙では粒子の量が反粒子に比べて多い。この非対称性はバリオン数の非対称性として知られている。標準模型はヒッグスとフェルミオンの結合を通してCP対称性の破れを引き起こすことが可能であり、これにより粒子・反粒子数の非対称性を生み出せることが知られているが、標準模型の持つ位相だけでは十分なバリオン数を作り出すことが出来ないことが知られており[28]標準模型を超える物理の存在を示唆していると考えられている。

ミューオンの歳差運動のずれ

2001年、ブルックヘブン国立研究所は、ミューオンの歳差運動が、標準模型の予測からずれている実験結果を報告した。2021年にフェルミ国立加速器研究所ミューオンg-2実験でも同様の結果が示された[29][30]


  1. ^ 南部 et al. 3章(牧二郎 著)
  2. ^ C・ロヴェッリ『すごい物理学講義』河出文庫、2019年、168頁。 
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  29. ^ 素粒子物理学を覆すミューオンの挙動、未知の物理法則が存在か”. ナショナルジオグラフィック日本語版 (2021年4月13日). 2021年4月27日閲覧。
  30. ^ 素粒子「標準理論」のずれ検証に一歩 実験値を高精度測定 米研究所、(朝日新聞、2023年8月11日)


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