朝鮮の歴史観
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韓国起源説史観
韓国起源説史観(かんこくきげんんせつしかん)は、民族史観を拡張したもので、中国史や日本史の著名人物を朝鮮人と認定することで、韓国人の民族主義や自尊心を満足させようとするものである。
事例
- 『大朝鮮帝国史』の作家金珊瑚は画集『韓国105代天皇尊影集』で、満州は元々韓民族の領土であり、「愛新覚羅」は「新羅を愛し、新羅を思え」という意味だから、新羅からの亡命者の子孫と主張[90]。また、「金」の完顔阿骨打を金阿骨打(キム・アグタ)という名で韓民族と主張。桓因、桓雄、檀君朝鮮、北扶餘、卒本扶餘、高句麗、百済、新羅、倭(日本)、渤海(大震国)、後百済、高麗、遼、金、李氏朝鮮、清、大韓帝国はつながっていて、1万年の我々の歴史と主張している[90]。
- 金ウンフェ(東洋大学)は、著書『大ジュシンを探して』において、「満州族が建てた金と清の歴史書が、自分たちの始祖を新羅出身の金函普だと明かしていることに注目」しており、金と清の姓の「愛新覚羅」は、「新羅を愛し、記憶する」という意味だと主張している[91]。
- キム・ドゥギュ(又石大学)は、「韓民族とも血縁関係がある金の時代のこと。金の始祖函普が高麗出身だということは『金史』が明らかにしている」と述べている[92][93]。
- 高句麗研究会(理事長・徐吉洙、朝鮮語: 서길수、西京大学)は、学術セミナーにおいて「女真族の金と満州族の清を広い意味で韓国史の一部に編入し、中国の悪意的な歴史歪曲に積極的に対処しなければならない」と主張している。キム・ウィヒョン(明知大学)は、「『宋史』には金の太祖阿骨打の8代祖が統一新羅王族出身の金函普という記録がある」「統一新羅と渤海を南北国と記述するように金・高麗時代を南北朝に分類することができる」と述べている[94]。
- 韓国メディア『ファイナンス・トゥデイ』は、「清はどういう国か! 高句麗と渤海を継承し、聖山とした白頭山を中心に活動した女真族は『金史』に記録された通り高麗からの移住者である金函普の後裔阿骨打が開国した金の継承国だ。清以前の明も開国始祖はまさに『大明一統志』において、『朕の先祖は朝鮮人だ。先祖の墓は朝鮮にある』と話した朝鮮の朱元璋だ。結果的に今の広大な領土を所有した中国を存在させた人物は朝鮮の後裔だ」と報じている[95]。
- 韓国放送公社(KBS)は、「中原で最初で漢族を押し出した阿骨打、彼の祖先は驚くべきことに新羅人である函普だった。これは伝説や外史に出るのではなく正史である『金史』と金建国時に宋人が書いた『松漠紀聞』に明確に出ている」「高麗から来た身分である新羅人の阿骨打」の生年から計算すれば函普が満州に行った時期は、統一新羅、高麗時代であり、「彼の姓が金であり新羅の後裔であることは確実」「新羅後裔である王族と渤海子孫の王妃族が建てた国、金」「金滅亡後、1606年、女真は再び中原を掌握した。まさに中国の最後の王朝清であるが、清の皇帝姓は愛新覚羅であり、愛新とは、金という意味であり、かつて女真族が興した王朝名であり、そして後にヌルハチが興した王朝からとった族名である」「新羅王族の人種金氏は、彼の子孫である金皇帝、清皇帝まで、彼らの姓はすべて金氏だった」「満州の歴史は中国の歴史ではない」「古朝鮮、夫余、高句麗、渤海、金、清につながる満州の歴史は我が民族と深い連関性を持っている」「漢族の領土である中原を満州と合併して、今日の中国を完成した女真族、それらの先祖が新羅人であるという事実」というドキュメンタリーを報道した[96]。
- 在日本朝鮮人科学技術協会が1977年に刊行した『朝鮮學術通報』14~15巻の21ページには、「『金史』世紀によれば、完顔部女真の始祖は、その弟保活里とともに移住してきた高麗人函普」と記述している。
- 李基白(朝鮮語: 이기백、西江大学)は、「金を建国した阿骨打は、新羅末期から高麗初期の黄海地方で生活していて、その後満州に移住した金氏の末裔という記録があります。『金史』世紀には、阿骨打の7代祖先の函普が金の始祖となっており、『満洲源流考』には、函普は新羅後裔の金氏なので国号を金にした記録されています。だからといって金や清を、朝鮮民族史に接続させることは無理だと思います」と述べている[97]。
- 李道学は、清以前の女真の歴史は中国の歴史ではなく、朝鮮の歴史であると主張しており、「満州で生成、成長、消滅した民族のなかで、夫余、高句麗、渤海は朝鮮の歴史に編入されたが、満州で活動していた女真族の歴史は、曖昧な状況になった」「(女真族が立てた)後金が山海関を南下して中原を制覇して以後は、中国の歴史であることは明らかである」が、それ以前の女真は「中国の歴史であるはずがない」として、その根拠として、『高麗史』『異域志』『神麓記』『満洲源流考』などの中国史料が金の始祖を「新羅人」或いは「高麗人」と記述していることを挙げており、「民族主義の歴史家である朴殷植は、女真の歴史は朝鮮の歴史と認識しており、解放後に出版された孫晋泰も著書で、粛慎以来女真の金まで朝鮮の歴史に編入している」として、さらに「後金の歴史も朝鮮の歴史に編入する作業が有効である」と主張している[98]。
- 孫晋泰は、渤海史はもちろん、金も朝鮮の歴史であると主張していた。李鍾旭(朝鮮語: 이종욱、西江大学)は、「高麗時代になって女真族が金を建国します。女真族は朝鮮人とほぼ断絶して暮らしてきた民族です。それでも孫晋泰が渤海や金を強調したのは時代的な側面があると思われます。朝鮮は大日本帝国から独立したものの、あまりにもみすぼらしかったことから、ナショナル・アイデンティティを鼓吹し、国民を団結させるためには、朝鮮の歴史をより強化する必要があると感じたのでしょう。しかし、実際は高句麗滅亡後、鴨緑江以北の地域は朝鮮の歴史とは関係がありません」「孫晋泰が全国の歴史教師たちに講演したとき、渤海史はもちろん、金の歴史も教えるべきだと主張した。孫晋泰は朝鮮戦争のときに拉致されたため、著書『朝鮮民族史概論』は統一新羅までの歴史しか書けませんでした。その後、続けて書いていたなら、おそらく金も朝鮮の歴史の附録に入れたと思います」と分析している[99]。
- 東北アジア歴史財団のキム・インヒ委員は、『金史』には、「函普は高麗から来たが、女真の地に到着したときおよそ60歳ほどで、部族間の対立を解決した」という記録がみえ、『高麗史』には、「平州(現在の黄海北道平山郡)に住んでいた今俊または金克守という人物が女真の地へ逃亡し、金の始祖になった」とみえ、『松漠紀聞』『神麓記』には、函普の出身地を「新羅」とし、阿骨打が「われらの始祖が高麗から来たことを忘れるな」ということを遺訓として残した、と主張しており、「日本の学者は函普を架空の人物とみなしたが、韓国は函普が実在した新羅人あるいは高麗から来たという説を支持している。中国では函普の実在性や出自について様々な見解が提出されたが、全般的に『高麗出身の女真人』と考えている」『高麗史』『金史』『松漠紀聞』『神麓記』を検討し、「函普に説話は口伝で伝えられてきたが、その後、文字として定着し、情報提供者も違っている。…編纂者によって多少の差はあるが、金の始祖が韓半島を出発して女真完顔部に行って、女真社会に定着したという点は類似している」「『函普』は女真人ではなく新羅人の名前。…国文学者の梁柱東の研究によると、『プ』は新羅で普遍的に使われていた人称接尾辞で、『居夫』や『異斯夫』などの『夫』とも通じ、現代韓国語の『パボ(ばか者)』『ヌリムボ(怠け者)』などの『ボ』に継承されている。…函普のもともとの国籍が新羅あるいは高麗と食い違っているのは、彼が女真の地へ移住した920年から930年ごろは新羅と高麗がまだ共存している時期だったからで、彼の出身地である平州は当時高麗の征服地だったことから、函普は『新羅系高麗人』である」と主張している[100][101]。
- 韓国メディアでは、中国人が高句麗を中国の歴史であると主張するなら、韓国人は「金及び清を朝鮮の歴史の附録或いは外史として扱う」という対抗論理も可能であるという主張もある[67]。これに対して李鍾旭(朝鮮語: 이종욱、西江大学)は、「現代の韓国及び韓国人をつくった歴史が重要だという観点では、渤海と金は韓国人と血縁関係にないので、朝鮮の歴史の正史に入れることはできないと思います」「朝鮮の歴史の正統性は、古朝鮮、三国時代、統一新羅、高麗王朝、李氏朝鮮です。高麗王朝は、統一新羅の領土と人民をそのまま継承し、その支配体制をそのまま受け入れた。渤海は高麗王朝の建国に貢献していません。高句麗-渤海を朝鮮の歴史の正統性とみる歴史観は、目下の政治状況を合理化するための政治行為です」「20世紀に入って大日本帝国の侵略に抵抗する過程で、朝鮮人は高句麗を特別とみる歴史観をつくりあげました。活発な征服活動と広大な領土を掌握し、隋及び唐などの大帝国と堂々と戦った高句麗を朝鮮人は誇りと栄光の対象としたのです。しかし、韓国の経済規模が世界11位を占める今日に至り、民族史観を過度に強調するなら、むしろ世界の警戒対象となる恐れもあります」と批判している[67]。
注釈
出典
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