愛子内親王
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来歴
2001年(平成13年)12月1日14時43分、皇太子徳仁親王(現・天皇)と皇太子妃雅子(現・皇后)の間に第1子(第1皇女子)として、東京都千代田区の宮内庁病院で出生。誕生時の身長は49.6センチメートル、体重は3,102グラム[6]。
皇室においては、清子内親王(黒田清子)以降9人連続の女子(内親王4名・女王5名)の誕生となった(詳細は「皇室#現行皇室典範下で誕生した皇室の子女」参照)。
同日、祖父である第125代天皇明仁から守り刀(人間国宝である大隅俊平作)と袴が贈られる「賜剣の儀」が行われた[7][8]。刀身は約25センチで、全長約40センチ。
また、内閣総理大臣小泉純一郎(当時:第1次小泉内閣)が「内親王殿下の御誕生を迎えて」の内閣総理大臣謹話を発表した[9]。
同年12月7日、「浴湯の儀」・「命名の儀」・「賢所皇霊殿神殿に誕生命名奉告の儀」が行われ、天皇から「愛子(読み:あいこ)」と命名され、「敬宮(読み:としのみや)」の御称号を受けた。名と御称号の由来は
「 | 人を愛する者は人恒に之を愛し、人を敬ふ者は人恒に之を敬ふ。 | 」 |
—『孟子』離婁下 |
に拠る。皇太子・同妃(当時)、そして学者[10]が相談して内定し、祖父の天皇明仁(当時)も両親である皇太子・同妃(当時)の意向を尊重して命名した[11][12]。
浴湯の儀に伴って行われる「読書鳴弦」の儀式では、元・学習院大学長児玉幸多により、『日本書紀』から8人10代存在した女性天皇のうち最初の女帝にあたる推古天皇に関する部分が読まれている[12]。お印のゴヨウツツジは那須御用邸でも5月に咲く花で、両親の「この純白の花のような純真な心を持った子供に育ってほしい」という願いを込めた[13]。
平成の皇太子夫妻の待望の第一子誕生に対して、国民の祝賀の記帳は宮内庁関連で12万人、全国の自治体で65万人、合計77万人に達した。12月2日夕、皇居前広場で「新宮さまのご誕生をお祝いする国民の集い」が開かれ、奉祝国会議員連盟会長の麻生太郎をはじめ政治家や竹下景子、西田ひかるなどの芸能人、毛利衛、長嶋茂雄などの著名人が祝辞を述べ、2万5千人が集まり万歳して祝意を表した[14][15]。
幼時には、両親(皇太子・同妃)から「愛ちゃん」と呼ばれた[16]。
2005年(平成17年)春から週2回、東京都渋谷区のこどもの城に通い、音楽遊びなどを通じて集団生活に親しんだ[17]。
2006年(平成18年)4月11日、学習院幼稚園に入園。同年8月、皇太子・同妃(当時)である両親のオランダ旅行・滞在に同行して、初めて海外訪問した[18]。
同年11月11日に、袿(うちき)と袴をつけ「着袴の儀」を行った。このとき着けた「濃色(こきいろ、濃い赤色)」の袴は、誕生のときに贈られたものである。この頃には自転車の練習なども始めている[19]。
2008年(平成20年)3月に学習院幼稚園を卒園し、同年4月に学習院初等科に入学。2009年(平成21年)の初等科2年生時には、漢字の書き取りや習字を行う姿が報道された。
2010年(平成22年)2月下旬から風邪を疾患するなど体調不良が原因となり学校を欠席しがちだった[20]が、同年3月5日になって野村一成(当時の東宮大夫)が、「3月上旬に発生した初等科での児童同士のトラブルから体調不良となり、学校を欠席した」と発表した後、同日にまた学校法人学習院側も記者会見を開き同様の発表がなされ、大きな波紋を呼んだ(詳細は「愛子内親王不登校騒動」)[21][22][23][24]。
2011年(平成23年)秋より、初等科への通学は平常な状態に戻った[25][26]。
2012年(平成24年)には学習院初等科5年生となり、「管弦楽部(パートはチェロ)、バスケットボール部などの部活動での練習にも励み、学習院女子大学で開催された英会話セミナーにも通い出した」と報道された[27]。
2014年(平成26年)3月に学習院初等科を卒業し、同年4月に学習院女子中等科に入学[28][29]。同年7月15日に自身の曽祖父母にあたる昭和天皇・香淳皇后の武蔵野陵を初めて参拝し[30]、また、7月30日に伊勢神宮を初めて参拝した[31]。同年8月3日、全国高等学校総合体育大会を両親との一家で訪れ、女子サッカーと男子バレーボールの試合を観戦した[32]。
同年12月1日、13歳の誕生日を迎え、皇居内の御所に居住する祖父母の天皇明仁と皇后美智子(当時)を初めて一人で挨拶のため訪問した。春からはテニスとソフトボールを始めている。授業の科目数も増え、学業にスポーツにと忙しい日々を過ごす[33]。
2015年(平成27年)戦後70年の節目の夏には、初めて第二次世界大戦の企画展示(「昭和館」東京都千代田区)に足を運び見学したほか、戦争体験者からも直接話を聞いた[34][35][36]。
2016年(平成28年)8月、学習院女子中等科第3学年在学中の夏休みに両親の皇太子徳仁親王同妃雅子(当時)の地方公務に初めて同行し長野県上高地を訪れた[37][38]。同年9月26日から胃腸が弱りふらつきなどの症状のため学校を欠席したが[39]、休養に努め11月に学校に復帰した。
2017年(平成29年)3月、学習院女子中等科を卒業し[40]、発表された卒業文集の作文「世界の平和を願って」[41]では、「『平和』は、人任せにするのではなく、一人ひとりの思いや責任ある行動で築きあげていくものだから」などと、修学旅行で広島を訪れ原爆の悲劇を見て感じた平和を築いてゆく願いを綴り、多くの国民の感動を呼んだ。同年4月、学習院女子高等科に入学[42]。
2018年(平成30年)7月22日 - 8月9日まで、イギリスに短期留学した。(学習院女子高等科の海外研修プログラム) 首都ロンドン郊外のイートン校で英語教育、更にポーツマスやオックスフォードで英国の文化を体験した[43]。
2019年(令和元年)5月1日、天皇の退位等に関する皇室典範特例法の施行(前日の2019年(平成31年)4月30日に祖父の天皇明仁が退位し上皇となり、祖母の皇后美智子は上皇后となる)により父の皇太子徳仁親王が第126代天皇に即位、母の皇太子妃雅子も皇后となる。
2020年(令和2年)3月に学習院女子高等科を卒業。新型コロナウイルスの感染拡大を受け、両親である天皇徳仁と皇后雅子は卒業式への出席を控えた。
同年4月より父の母校でもある学習院大学文学部日本語日本文学科に入学(父の天皇徳仁は、同学部史学科出身である)[44]。
2021年(令和3年)3月26日に、第204回国会で成立した令和3年度予算に同年12月1日に成人する愛子内親王のティアラ代が、宮内庁の予算としては盛り込まれなかった。ティアラは成年の女性皇族が宮中晩餐会など公式の場で付ける髪飾りだが、宮内庁では「新型コロナの状況に鑑み、盛り込まなかった」とした。11月16日、コロナ禍の状況を鑑みてティアラを新調しないことが宮内庁より発表され、叔母の黒田清子のティアラを借用して成年行事に臨むこととなった[45]。なお、女性皇族の成年に際してのティアラの制作は近年の実例で、2011年(平成23年)10月23日の眞子内親王成年の際は、指名競争入札で和光が、2014年(平成26年)12月29日の佳子内親王成年の際は、初めて企画コンペティションによる公募入札が行われ、大手宝飾品製作のミキモトがそれぞれ落札した。予算はイヤリングなどと合わせ眞子内親王が2856万円、佳子内親王は2793万円[46]で、宮内庁が管理する公金から支出された。そのためティアラは国有財産で、結婚により皇室を離脱する際には返還される。父徳仁の即位に伴い、母雅子は祖母の上皇后美智子から、義叔母の文仁親王妃紀子は皇后雅子から、それぞれ由緒あるティアラを引き継いだとされる。
同年12月1日、成年(20歳)。これにより、女性皇族10名全員が成人し、未成年の皇族は悠仁親王のみとなった。4日後の12月5日、父の天皇徳仁より宝冠大綬章を授与された(ただし、受章日は誕生日となる12月1日付である)[47][48][49]。
2022年(令和4年)3月17日、成年の記者会見を行った[50]。
同年夏、宮内庁は来年度予算案に愛子内親王が着用するティアラなどの装飾品の制作費を再び計上しないことを明らかにした。理由はコロナ禍で国民が苦しむなかで、天皇皇后の気持ちを内親王が考慮し、固辞したためとされる[46]。
2024年(令和6年)1月22日、大学卒業後の同年4月1日から日本赤十字社に就職することが内定したと発表される[51]。事業局パートナーシップ推進部ボランティア活動推進室青少年・ボランティア課に配属され、常勤嘱託職員として勤務[52]。
同年3月20日、学習院大学日本語日本文学科を卒業。卒業論文は『式子内親王とその和歌の研究』[53]。また、3月26日に伊勢神宮[54]、3月27日に神武天皇陵を参拝[55]。これに伴い斎宮歴史博物館、いつきのみや歴史体験館も視察。自身初の単独地方訪問となった[56]。4月1日、日本赤十字社入社[5]。
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固有名詞の分類
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