御料車 供奉車

御料車

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/18 03:57 UTC 版)

供奉車

供奉車ぐぶしゃは、天皇の車列に随行する車両のこと。皇族の特別車内閣総理大臣専用車が車列に加わる場合、それらも供奉車ということになるが、多くは宮内庁の庁用車(戦前は「臣下車」と呼んだ)で占められている。

1920年代はピアース・アローが臣下車として多く採用され、1930年代にはパッカードスーパーエイト英語版(リムジン仕様)が好まれ、大量に導入された[134]。パッカードの臣下車にはランドーレットの車両があり、巡幸に際して都合がよかったことから、天皇が一時的に乗車することもあった(前記)。

耐久性に富んだパッカードは戦後まで長く使われたが、1950年代に入ると旧式化は否めず、メルセデス・ベンツ・300英語版(W186)に置き換えられていった[132]。1967年(昭和42年)に御料車が国産化されたことで1970年代以降は供奉車となる宮内庁の庁用車も国産車が主流となり、トヨタ・クラウン日産・セドリックプリンス/日産・グロリアなどが用いられるようになった[132]。現在はトヨタ・センチュリーのセダンが多い。

管理・運用

御料自動車は、1913年(大正2年)の導入からしばらくは宮内省の調度寮によって管轄された[40]。調度寮は1921年(大正10年)の「宮内省管制」の改正に際して廃止され、以降は主馬寮が自動車に関する事務を扱うよう定められ、戦前期までは主馬寮によって管理されていた[60]。戦後の宮内庁では、主馬寮自動車課、主馬寮車馬課、主馬寮業務課と管轄が変遷した後、1966年(昭和41年)に宮内庁管理部の車馬課自動車班の管轄となって現在に至る[60]

御料車には、宮内庁の職員で、運転士を務める「御料自動車操縦員」と、乗客のための扉の開け閉めなど、介添えを担当する「車従」の2名が技士として同乗する。

車庫

1913年(大正2年)の御料車導入に合わせて、皇居の桔梗門内の蓮池脇に280坪(825平方キロメートル)の車庫が新築された[44]。現在の宮内庁管理部自動車班の車庫も同じ場所に存在し[44]、整備工場も併設している[135]

皇居内の富士見櫓の下のあたりに位置することから[135]、宮内庁が撮影した御料車の記録写真は富士見櫓の石垣を背景にしたものが数多く残されている。

保存車両

御料馬車と異なり、御料自動車のほとんどは退役後に解体されているが、宮内庁によって参考車などの扱いで保存されている車両が2021年(令和3年)末時点で15台存在する(上皇明仁の私用車だったインテグラも含む)[136]。それらは宮内庁車馬課の車庫で保管されている[136]

そのほかに、退役後に宮内庁から譲渡された車両と貸し出されている車両があり、以下の施設で展示されている。

東京都立川市に所在。日産・プリンスロイヤルの旧第3号御料車を展示。宮内庁からの貸し出し車両。
  • メルセデス・ベンツ博物館英語版
ドイツ・シュトゥットガルトに所在。メルセデス・ベンツ・770の旧第8号御料車を展示。宮内庁から譲渡された車両。

皇室の人物と自動車

皇室の人物(天皇と皇族)で、皇室と自動車とのつながりに転機をもたらした人物と、自動車との縁が特に深い人物、逸話は以下の通り。

第122代天皇。治世最末期に、御料自動車の採用に向けた調査をするよう下命し、御料自動車が導入される道筋を付けた。(→#御料自動車導入の経緯
1900年代に、自動車に興味を持ったという逸話はあるものの、自身は乗車しなかったと考えられている[54][24]。(→#明治天皇による関心
1910年(明治43年)に御料自動車の導入を裁可したが、自身はヨーロッパで製造された御料車の到着を待たず、1912年(明治45年)7月30日に崩御した[54]。明治天皇の大喪の礼で外国からの弔問客用として自動車が必要になり、宮内省は、宮家、官庁、民間所有の約60台の自動車を借り上げてその任に充て、これは日本の皇室が公式に自動車を用いた初の例となった[54]
有栖川宮幟仁親王の第4王子で、1878年(明治11年)に明治天皇の猶子となる[27][注釈 49]。「自動車の宮様」として知られる[27][33]
上述したように、皇室と自動車との初期の接点を作った人物で、国産車の奨励を積極的に図った人物でもあることから、日本の自動車史全体においても先駆者の一人に数えられている。
1905年(明治38年)に皇室の人物としては初めて自動車を購入して所有し、自身で運転も行った。国産自動車の必要性をいち早く説き、国産吉田式自動車(タクリー号)の製造を後押しした[38]。皇室においては、御料自動車の導入に取り組み、薨去する直前まで、静養先の舞子兵庫県)から御料車選定で中心的な役割を担った[138]。(→#有栖川宮威仁親王の尽力
第123代天皇。自動車に乗車した最初の天皇にあたると考えられている。在位中に御料自動車を導入し、御料馬車との併用を始めた。
皇太子時代の1900年(明治33年)、結婚に際しての献納品の中に電気自動車があり、皇室と自動車の最初の接点となった。(→#皇太子献納車の渡来
北白川宮能久親王の第3王子で、明治天皇の娘婿の一人。皇室の人物としては唯一の、自動車による交通事故死者[137]
フランス留学中の1922年(大正11年)に現地の運転免許を取得し、同地で自らの運転で自動車に乗車していた[139]。その運転技術は未熟で、翌1923年(大正12年)4月1日、自らの妃である房子内親王(明治天皇の第7皇女子)、義弟で、同じくフランス留学中だった朝香宮鳩彦王を伴って、ドライブに出かけた際、スピード超過から交通事故を起こした[139]。この事故で、運転していた自身は即死し、房子内親王と鳩彦王も重傷を負った[139]
明治期からの皇族や華族の子弟らは、欧米各国への留学を通して、現地の最新の学問や技術を吸収して、日本の発展に寄与することが期待されており、自動車を単なる移動手段以上の愉しみとして捉える、自動車文化のような現地のライフスタイルもそうしたものの一部だった[140]。皇室では、有栖川宮威仁親王が生前に自動車の利用を奨励していたこともあって、大正期のこの時期、海外留学中の皇族の運転は比較的自由に許されていた[137]。しかし、この惨事によって、以降は皇族による自動車の運転には制限がかかるようになったと言われている[137]
昭和天皇の従兄海軍航空隊に所属していた皇族軍人で、「空の宮様」として知られる。航空機の構造に精通していたことから、自動車にも関心を持っていた[141]
1922年(大正11年)11月に日本初の本格的な自動車レースとして開催された自動車大競走(第1回日本自動車競走大会)に関心を示し、その中心的ドライバーだった藤本軍次らを宮邸に呼び、藤本が駆ったハドソンの詳細を下問した[141]
1926年(大正14年)8月には、日本初の純国産量産乗用車であるオートモ号(1924年発売)を自家用車として購入し、率先垂範として、国産車奨励の意向を示した[141]
第124代天皇。皇太子(皇太子摂政宮)の頃から御料自動車を常用。皇太子時代までは儀式や台湾行啓(1923年4月)などで馬車に乗ることもあったが、即位した時点で儀装馬車が壊滅状態だったこともあって[注釈 50]、在位中に馬車を用いた例は1928年(昭和3年)の即位の礼に伴う一連の儀式を除いて皆無で、それまで馬車が用いられていたような移動にもっぱら御料自動車を用いた[注釈 51]
1923年(大正12年)12月、皇太子摂政宮だった当時、御料車のロールス・ロイスに乗車中に無政府主義者の襲撃を受けた(虎の門事件)。大事には至らなかったものの、このことは御料車に防弾車の導入を促すことになる[51][142][94]
1960年代に初の国産の御料車(日産・プリンスロイヤル)が開発されるにあたり、外観は国民から親しみやすく、内装は華美を避けて簡素にするよう希望した[65]
大正天皇の第2皇子。「スポーツの宮様」として知られる。
イギリス留学中の1926年春から自動車の運転をするようになった[143]。皇族付武官として随行していた岡崎清三郎(後の陸軍中将)からは運転しないよう諫められたが聞く耳は持たず、向こう見ずな運転によってしばしば事故寸前の状態となり、岡崎を慌てさせたという[143]
1937年(昭和12年)、イギリス国王ジョージ6世の戴冠式に兄である昭和天皇の名代として参列した際、タイ王国の王子であるプリンス・ビラと知り合った[143]。ビラ王子はレーシングドライバーとして著名な人物で、戴冠式参列の後、スイスで静養していた雍仁親王は、ビラ王子の誘いで、同国で開催されていた第4回ベルン・グランプリ英語版を観戦しに訪れた[143][注釈 52]。開催地のブレムガルテン・サーキットでは、ビラ王子が運転する車に同乗してサーキット走行も楽しんだ[143]
自身の愛車の1台であるランチェスター英語版・40リムジン(1928年製)のフードマスコットはスキーヤーの像に変えていた[143][注釈 53]
大正天皇の第3皇子。1913年(大正2年)、上記の威仁親王の薨去により有栖川宮家の継承者がなくなることを惜しんだ大正天皇が[注釈 54]、同宮家の祭祀を祭らせるため、当時8歳の宣仁親王に高松宮の称号を与えた[144][27][145][注釈 55]
宣仁親王も威仁親王と同様に自動車に多大な関心を寄せ、少年時代は大正期の日本における主要な自動車雑誌である『モーター』(極東書院)を愛読し、自動車の機構面にも精通していた[145]。長じて自身で運転できる年齢になると、メルセデス・モデルK英語版[注釈 56]アームストロング・シドレーハノマーグ・2/10 PS英語版、といった、外国車を数台保有し、自身の運転で愛用するようになった[145]。日本車についても、日本製としては初の前輪駆動車であるローランド号(筑波号)、川崎車両の六甲号、といった自動車を購入し、そのことを知らしめることで自動車の国産化を後押ししていた[145]
戦後の自動車工業にも引き続き後援の意を積極的に表し、1954年(昭和29年)の第1回全国自動車ショウから自身の晩年まで、東京モーターショーの名誉総裁を長らく務めた[146][145][130]。自動車レースにも関心を寄せ続け、1963年(昭和38年)の第1回大会をはじめとする1960年代の日本グランプリ、1976年(昭和51年)のF1世界選手権イン・ジャパン、など、数々のレースで大会名誉総裁を務め[145]、多くのレースで会場にも足を運んだ。この際、鈴鹿サーキットで開催されたある大会では、大正期のレーシングカーで、本田宗一郎が製作に携わったカーチス号のデモ走行に同乗したこともある[145][注釈 57]
本田とは個人的にも親しく接し、1955年(昭和30年)頃に知り合って以降、終生の友人となった[注釈 58]
晩年も、ホンダ・ビガーを愛車として自ら運転していた[145]。薨去した際、宮内庁は思案の末、葬儀(斂葬の儀)で、牛車輿(葬輿)、馬車(霊柩馬車)は用いず、日産・プリンスロイヤルの寝台車(霊柩車)を用いた[注釈 59]。この車両は宣仁親王の葬儀で初めて霊柩車として使われ、後に昭和天皇の大喪の礼や[114]、香淳皇后の葬儀でも使用された。
  • 上皇明仁(1933年生)
    皇太子明仁親王(当時)とプリンス・セダン(1954年)
第125代天皇。自動車運転経験を持つ最初の天皇で[148]、かつ、在位中に自動車を運転した最初の天皇にあたる。
車歴:
皇太子時代の1954年(昭和29年)に運転免許を正式取得[注釈 60]してから運転をやめるまでの約65年間に、のべ11台の自動車(私用車)を乗り継いだ[150]。車歴は、皇太子時代のプリンス・セダンに始まり、プリンス・スカイラインプリンス・グロリアといった具合に、プリンス自動車の新型車が発売されるたびに乗り換え、同社が合併により消滅する1960年代半ばまでに9台のプリンス車を乗り継いだ[151][130][注釈 61]。この間にトヨペット・クラウン・デラックス(初代)にも乗り、皇太子時代だけで、10台の車両を乗り継いだ[130][注釈 62]
最も長く乗っていたのは、1989年(平成元年)の即位後に購入したホンダ・インテグラ(1991年製)で、1991年(平成3年)に購入して以降、運転免許証の更新を止めるまで、30年近くに渡って自らの運転で同車を愛用した[150][130][注釈 63]。即位後の運転は原則的に皇居内のみで行い[153]、非常に低速の安全運転を行ったと言われている。
自動車観・御料車観:
自動車のオートマチックトランスミッションが技術的に未熟な時期に運転を始めたこともあって、本当にスムーズな走行はマニュアルトランスミッション(MT)でなければできない、という考えを持っており[152]、私用車はいずれもマニュアル車だった[注釈 64]
御料車のこともただの移動手段とはみなさず、国民との関係性から、そのあるべき姿という点にこだわりを持ち、大型リムジンだけを御料車とすべきではないという考えを皇太子時代から示していた(前述)。その意向を受け、1989年(平成元年)にセダンの日産・プレジデント(3代目)が「皇1」として導入された[152]。そこでも自身の御料車観を示し、同車は滑らかな姿を持っていたのに対して、随従する供奉車の2代目プレジデントは角ばった厳めしい姿をしており、車列が調和に欠けることを指摘し、供奉車が更新されるまでは御料車のプレジデントをほとんど用いなかった[152]
自動車関係の事跡:
1953年、エリザベス2世の戴冠式に昭和天皇の名代として参列するため渡欧した際のヨーロッパ歴訪で、ドイツグランプリニュルブルクリンク)を訪れたことでも知られる[155][156][157]。これは日本人がフォーミュラ1(F1)を観戦した初の例だと考えられている[156]
その自動車好きは、結果として、御料車の選定にも間接的な影響を与えた。皇太子時代、当時の明仁親王がプリンス自動車を愛用していることは一般にもよく知られており、同社と宮内庁の間のやり取りも多かったことから、宮内庁から「国産御料車」開発の諮問を受けた自動車工業会(日本の自動車メーカーの業界団体)は、それを踏まえてプリンス自動車を推薦した[66]。このことは、日産・プリンスロイヤル誕生につながることになる。
前記したように、大型リムジンのプリンスロイヤルのみを御料車とすることは国民との間に距離を生むのではないかと懸念し、御料車にセダンを導入するよう働きかけ、1989年(平成元年)の即位直後からリムジンとセダンの使い分けを始めた。(→#セダン御料車の導入
上皇明仁の第2皇子。
秋篠宮家では、公用車(特別車)として、三菱・ディグニティ(年式違いで複数)やトヨタ・アルファードなどを使用していることで知られる[126][128]。三菱・ディグニティの内、2000年式の車両は総販売台数が59台という希少車にあたる[126]。この車両は20年以上に渡って秋篠宮家の公務車として使用されている[158]。同車は2019年(令和元年)に文仁親王が皇嗣になるにあたって、皇嗣車として使用できるよう、皇嗣旗を掲げる台座が新たに設けられた[128]。その後、2021年(令和3年)9月に車検が切れた同車は、宮内庁の車庫で一時的に保管されていたが、その後、再登録が行われ、2022年(令和4年)元日時点で皇嗣車に復帰している[128]
公用車以外に、私有車としてBMWや三菱・デリカなど複数台を所有している[126]フォルクスワーゲン・タイプ1(グリルをロールス・ロイス風に改装)を愛車としていたことでも知られる。

注釈

  1. ^ 弔事は葬儀の際に寝台車が用いられる[4]
  2. ^ ナンバープレート一般についての規定を定めている。
  3. ^ 皇ナンバーの制度が始まる以前に、「第4号御料車」が存在したことはある[14]。鉄道や馬車の御料車では「4号」の車両も存在する。
  4. ^ 回送の際は、これら4つの紋章には革製もしくはビニール製のカバーがかけられる[18]
  5. ^ この装置は一部の特別車も有している。
  6. ^ 先代の日産・プリンスロイヤルも同様。メルセデス・ベンツ・770など、戦前期の車両では西陣織が用いられていた。
  7. ^ 正確な時期は不明とされていたが、2010年代に公刊された『大正天皇実録』では、1902年(明治35年)5月4日に、主馬寮分厩(赤坂分厩)広庭にて、嘉仁親王が電気自動車の試走を見たと記されている。
  8. ^ 『威仁親王行実』では12日のことは記載があるが[26]、15日のことについては記載がない。10月15日の出来事は『昭和天皇実録』に記述があり、当時の幼少の迪宮裕仁親王(後の昭和天皇)は自動車をとても気に入ったと記されている[23]
  9. ^ 吉田は当時の東京で唯一の自動車工場を経営していた人物[27]。依頼した時期について、「1905年冬」とする説[28][29]と、「1906年春」とする説[27]がある。
  10. ^ 威仁親王は日本に自動車を導入すべく精力的に活動していたが、病に倒れ、1909年4月にメルセデスが届いた頃には転地療養に入るほかなくなり、1913年の明治天皇の大喪の礼に際して、自身は参列できなくなっていたため、これらの車は外国来賓の接遇用にと宮内省に提供された[27]。療養先からも、御料車の選定には関与した(後述)。
  11. ^ 皇太子献納車について、皇太子成婚への献納品陳列所に明治天皇は行幸しており[31]、その際に見ていた可能性もある。
    ダラック号とタクリー号については、威仁親王が参内に用いたという記録はあるが、明治天皇がそれらを見たかは定かではない。
  12. ^ 三越に宮中にトラック(もしくは乗用車)を持って来させたという説[34][35]もある。三越は商用車(トラック)を日本で最初に導入した事業者で、三井呉服店だった頃の1902年に最初の1台を注文したとされる[36][37]。そのトラックは三越の宣伝にも巧みに用いられていたことから、当時の人々にはよく知られていた。
  13. ^ この写真でも運転席に座っている[38]。助手席には徳川昭武松戸徳川家)が座っている[38]。この写真は威仁親王が自身の運転で徳川慶喜とともに松戸(戸松邸)に出向いた時に撮影されたもので、同道した慶喜が写っていないのは撮影好きな慶喜が撮影した写真だからだと考えられている[38]
  14. ^ 当初、馬車を扱う主馬寮ではなく、物品を扱う調度寮が自動車を扱うことになったのは、国外からの物品の取り寄せに慣れていたからだろうと考えられている[40]
  15. ^ この時点で威仁親王は神戸舞子で病気療養中で、その後も東京に戻ることなく、1913年(大正2年)7月に同地で薨去することになる。
  16. ^ 一番最初に回答をしたのは駐英大使館の加藤高明で、最も詳細だったのもこの報告だった[40]。この中で、イギリス国王ジョージ5世の自動車がデイムラーのリムジンであることが報告されたが、イギリス王室ロールス・ロイスを最良と評価しつつ、価格面からデイムラーを採用しているということも伝えた[42]。ロシア、ドイツ、イタリアの3国の報告も届き[43]、それらも参考にされた。
  17. ^ 大倉は、車両製造監督の任を果たした上で、各国王室の運転士の服もサンプルとして入手して日本に持ち帰ったものの、馬車の御者のそれと比べてもあまりに華美だったため、採用は見送られることになる[47]。大倉が入手したそれらの服は、その後も宮内省の庁舎で保管されていたが、戦時中の空襲で焼失した[47]
  18. ^ 到着した車両の購入手続きや、前年に建設が進められた車庫などの設備、訓練が行われていた運転士の準備などが全て整ったことによる[46]
  19. ^ 1920年(大正9年)に、裕仁親王の東京市内の非公式な外出について事情がない限りは自動車を使うことが決められた[55]
  20. ^ この時の随衛は御料車の前方を走る第1供奉車に乗車していて、事件が発生した際にすぐに車外に出ようとしたが、敏速な行動ができなかった[55][57]
  21. ^ 騎馬による側衛は即座に完全に廃止されたわけではなく、公式の鹵簿では廃止されたが、式外の鹵簿ではその後もしばらくは用いられることがあった[57]
  22. ^ 鹵簿の平均速度は、1924年までは通常は時速12マイル(19 km)、最大で時速15マイル(24 km)とするよう決められていたが、1925年10月の改定でサイドカーに統一されてからは通常時の速度は時速16マイル(25 km)に引き上げられた[57]
  23. ^ 「ドイツと接近していたから御料車がドイツ車になった」と説明されることがしばしばあるが、時系列としては齟齬がある。国際関係に原因を求める場合、御料車の研究者からは、イギリスとの関係が冷え込み出したことが理由として挙げられている[59][60]
  24. ^ 実車や外装部品、色見本などが残っておらず、写真も白黒写真しかない。2代目御料車のロールスロイスの導入時に、この塗料は宮内省の指示でイギリスの塗料会社で作られた特色だと説明されている[75]
  25. ^ 具体的には、戦前期の警視庁内務省)による自動車車両検査取扱覚書の施行規則第13条に禁止の規定がある[76]。輸入車については、(華族の車両などで)当局の承諾があれば赤い車の使用は可能だったものの[76]、そうして許された例でも御料車に遠慮して塗り替えが行われている[77]。この規定は戦後もしばらく残り、1962年(昭和37年)に本田技研工業S360S500を発表する際に運輸省から認可を取得し、これが赤い市販車の始まりとなった[76]
  26. ^ このことに感激した同社は自社の車両の名前を「TGE」から「ちよだ」へと順次改名した[80]
  27. ^ 窓や側面パネルを防弾にするだけでなく、タイヤも厚さ25 mmのタイヤがダンロップに特注された[83][82]
  28. ^ 1927年(昭和2年)に宮内省が陸軍省に御料車改造の照会を行った記録が残っている[82]。その際に費用として「1万7000円」かかると見積もりの記録があるものの、実際に発注が行われたのか、定かではない[82]。この額は臣下車を新車で1台購入するのに相当する額だった[82]
  29. ^ ただし、2010年代の調査で、現存している5号車(1932年式)の車体のシリアルプレートに刻まれている型式は「30/150/240」で、770Kとして製造された車体であることが判明している[88]。過給機(スーパーチャージャー)は搭載されていないものの、車体は770Kを流用している可能性が指摘されている[88]
  30. ^ 巡幸先でも塗装の補修が可能なよう、塗料はどこでも売られているものとするよう、開発段階で宮内庁からプリンス自動車に要望が出された[100]
  31. ^ 菊花紋章が外された状態で引き渡されたため、フードマスコットはスリーポインテッド・スター、車体側面の紋章はレプリカ(花弁の枚数が16枚ではない)で代用されている[101]
  32. ^ 赤坂離宮の車庫が空襲を受けた際に失われたとされる[59]。「焼失した」[89]とも言われているが、詳しい状況は不明。
  33. ^ 車体のシリアルプレートに刻まれている型式は「30/150/240」で、一般に知られている770ではなく、過給機搭載型の770Kの型式に当たる[88]。ただし、保存車両に過給機は搭載されていない[88]
  34. ^ 車体のシリアルプレートに刻まれている型式は「30/150」[88]
  35. ^ 貴賓車だった頃から数えると19年間。
  36. ^ この「マッカーサーの計らい」についてはどういったものだったのかが定かでない。「マッカーサーからの贈答品」だと紹介されることがあるが、自動車評論家の五十嵐平達は、そうではなく、当時の日本で禁止されていた自動車の輸入とドルの使用が、この車両の導入時には(GHQから)特別に許可されたというものだったと述べている[103]
  37. ^ 外装のデザイン(スタイリング)の責任者を務めた森典彦は、「華麗さは避け、質実な中にも重厚さ、貴賓を感じさせるもの」とすることをコンセプトにしたと述べている[104]
  38. ^ 元々は外務省日本万国博覧会(1970年。大阪万博)に際して国外からの来賓を送迎するために導入したもので、万博終了後は日産自動車に譲渡され、同社で保管されていた[14]。1978年(昭和53年)に「皇1」のプリンスロイヤルを退役させた際に、その代替として、宮内庁が日産自動車から購入した[14](御料車としては珍しい中古車)。
  39. ^ 同社の横浜工場(子安工場)で動態保存されているとされる[14]
  40. ^ 市販車のカタログスペック上は2.7トン[59]
  41. ^ 1996年に「皇1」で登録された車両の場合も、導入時の価格は989万2120円で[112]、当時の市販仕様と比べても、大差はない。
  42. ^ 2021年末時点で、第8号御料車は3代目センチュリーに置き換わっている。第13号御料車として2代目センチュリーが1台使用中で[13]、第8号から番号が変わったとも考えられるが、裏付けとなる典拠がない。
  43. ^ 2019年(令和元年)9月に第9号御料車は3代目センチュリーに置き換えられている[16]。その時点で退役していると考えられるが、裏付けとなる典拠がない。
  44. ^ 皇室の人物では、1953年(昭和28年)に秩父宮雍仁親王が薨去してから、1987年(昭和62年)に高松宮宣仁親王が薨去するまでの34年の間で弔事が一度もなかった。宣仁親王が薨去した時点ではプリンスロイヤルの1台が既に寝台車化されていたため、この車両の出番はなかった。
  45. ^ この車両は1991年以降も整備と試運転が行われて維持されていたが、2006年に燃料ポンプの故障から走行できなくなったという[122]。ロールス・ロイス社へ修理部品の問い合わせが行われたものの、(オーダーメイドのため)納品がいつになるかわからないという回答で、修繕の見込みが立たなかった[122]。宮内庁としては、高額で納期のわからない調達はできないため、導入から16年が経過し、使用予定も当面なかったことも考慮し、廃車手続きを取ることにしたという[122]
  46. ^ このことが2018年5月1日に『朝日新聞デジタル』によって報じられた際は、「4000万円で購入した車両が2回しか使われなかった」という報じ方の報道姿勢や、「ロールス・ロイスは修理体制が整っており、直せるはず」といった点について、物議をかもした[123][119]
  47. ^ 特別架装を行えるメーカーが現在では実質的にトヨタ自動車しかなく、競争入札が成立しないため随意契約となる[125]
  48. ^ 前記したように、御料車のような公用車であれば、国税である自動車重量税などは納める必要があるが、地方税である自動車税は免除される(皇室が用いる公用車であっても一般的な公用車と扱いは変わらない)。
  49. ^ 猶子は相続権を持たない養子。長じた後の威仁親王への明治天皇からの信頼は非常に厚く[25]、1899年(明治32年)には東宮輔導を任され、皇太子嘉仁親王(後の大正天皇)の教育係を務めた。このことは大正天皇と自動車との関係に影響を及ぼしたと考えられている[137]
  50. ^ 1923年(大正12年)9月の関東大震災で宮内省の馬車舎が被災し、主だった儀装馬車がいずれも大破したため。
  51. ^ 次代の天皇明仁もこれを踏襲し、在位期間中に即位の礼以外で馬車に乗ることはなかった。
  52. ^ この年のグランプリで、ビラ王子は前座の下位クラスに参戦[143]。翌年はグランプリに参戦している。
  53. ^ このマスコットは皇居の三の丸尚蔵館に収蔵されている。
  54. ^ 威仁親王は明治天皇からの信頼も厚く、大正天皇の皇太子時代の東宮輔導を任されており、大正天皇にとっては教育係にあたり、強い結びつきがあった。
  55. ^ 有栖川宮は元は1672年(寛文12年)に高松宮から改称された宮号[38]
  56. ^ この車両のカーナンバーは有栖川宮家が登録していたナンバープレートの「380」を継承した[145]
  57. ^ どのレースのことかは不明。レストア車が完成披露されたのが1979年(昭和54年)11月のJAFグランプリなので、その時か、1980年代のことだと考えられる。
  58. ^ ゴルフや私的な旅行で何回か同道したことがあると本田は述べており[147]、本田の著作にも時折り登場する。
  59. ^ 皇族の死は上記した雍仁親王以来34年振りだったため、検討が必要になった。まず、霊柩車を馬車にするか自動車にするかで議論され、交通渋滞を避けるため、自動車に決まった[4]。次いで、民間から借り上げた霊柩車を使用するか、プリンスロイヤルを改造した寝台車を霊柩車として使用するか検討され、両車両を併用することに決まった[4]。このプリンスロイヤル寝台車は当時の第2号御料車で、1980年から1981年にかけて行われた改造でリムジンから寝台車に改装されていた[114][4]
  60. ^ 前年の1953年(昭和28年)秋に軽井沢に滞在していた際に、運転技術を習得したとも言われている[34]。運転免許は品川の自動車試験場(鮫洲運転免許試験場)で取得した[146][149]
  61. ^ 大手のトヨタ自工日産自動車ではなく、小メーカーに過ぎなかったプリンス自動車を選んだ理由はいくつかあったとされる。
    まず、同社の技術力は大手メーカーと比較して見劣りしないどころか、むしろ先進的だったという点[152]、2点目に、同社が東京に拠点を置いていたことは、アフターサービスを受ける上で好都合だった[152]
    加えて、東宮侍従の戸田康英(後の侍従長)の実兄・戸田康泰が同社の社員だったこと[146]、その上司の新山春雄の父親は御料牧場長の新山荘輔だったこと[146]、同社設計部長の中川良一の母方に宮内省次官がいたこと[146](母方の祖父の中村雄次郎は宮内大臣経験者)、といった人的関係も影響したと考えられている[152]。同社が日産自動車と合併した後は、明仁親王の学友で、日産自動車の系列会社に在籍していた明石元紹により、宮内庁との間で円滑な関係が築かれた[146]
  62. ^ ほかに、学習院の学友のアルファロメオ・1900を運転したであるとか[148]、静養先で宮内庁の庁用車を運転した[130]、といったエピソードもある。
  63. ^ 2016年(平成28年)に運転免許の更新を行っており[153]、これが最後の更新となる。2018年(平成30年)12月23日の天皇誕生日(85歳)の記者会見に際して、翌年1月の運転免許更新を行わないことを表明した[154][129]
  64. ^ 1966年(昭和41年)にプリンス自動車が日産自動車に吸収された後、当時の私用車プリンス・グランドグロリア(4速MT)の後継として日産・プレジデントの購入を勧められたが、「プレジデントにはMTがない」という理由で不満を示したという[152](購入もしなかった)。

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