藤本軍次とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 藤本軍次の意味・解説 

藤本軍次

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/04 02:11 UTC 版)

藤本 軍次(ふじもと ぐんじ、1895年〈明治28年〉10月5日[3][1] - 1978年〈昭和53年〉秋[2])は、日本自動車実業家、自動車技術者レーシングドライバージョージ藤本の名でも知られる。


注釈

  1. ^ 「享年84」[2]
  2. ^ 『日本自動車工業史稿』では、1909年の出来事となっている[6]
  3. ^ この時の排日運動は「日本人の経営する販売店で買った車にはガソリンを売るな」という事態になるほどの激しさだった[9]
  4. ^ 『日本自動車工業史稿』では「28歳」となっているが[4]、これは数え年で、藤本は1895年10月生まれなので後の書籍では満年齢で「26歳」と記載されている[1]
  5. ^ 軍隊は例外で、帝国陸軍では東京・青森間などの長距離をトラックで試走したといった話が複数ある。
  6. ^ 道があまりにも狭く、大八車や馬車と行き合ってもすれ違ったり、追い越したりすることができず、遅い大八車に合わせた走行を強いられたりするなどして立ち往生させられ、加えて、橋の数が少なかったため渡河にも時間を要した[20][17][18]
  7. ^ 日本自動車教祖倶楽部の設立時期については諸説あり、第1回大会と第2回大会の間の時期という説もある[21]。日本自動車競争倶楽部は設立を「大正11年10月」としているので[22]、それに沿って記載している。
  8. ^ 米国時代にも扱っていたムーン英語版を扱う[24]。ムーン社は1930年に倒産。
  9. ^ マーモン英語版ルーズベルト英語版という車種を扱う[24]。マーモン社は1933年に倒産。
  10. ^ ハップモビル英語版を扱う[24]。ハップモビル社は1940年に倒産。
  11. ^ 1920年代当時、英字新聞の『ジャパン・アドバタイザー』によるレポート記事でも、藤本のハドソンの古さは各大会で言及されている。
  12. ^ 上記したように、こうしたセオリーについて、藤本は大会の他の参加者にも教えていたと考えられている[23]

出典

  1. ^ a b c d e f g h i 戦前日本の自動車レース史(三重2022)、p.268–p.276 「藤本軍次年譜」
  2. ^ a b c 日本の自動車レース史(杉浦2017)、p.108–p.109 「祖父 藤本軍次のこと」(藤本隆宏)
  3. ^ a b 戦前日本の自動車レース史(三重2022)、p.20
  4. ^ a b c 日本自動車工業史稿 第2巻(1967)、p.608
  5. ^ 日本の自動車レース史(杉浦2017)、p.8
  6. ^ a b c d e f g h 日本自動車工業史稿 第2巻(1967)、p.609
  7. ^ a b c d e 戦前日本の自動車レース史(三重2022)、p.12
  8. ^ a b c d e f g h i j k 自動車ジュニア 1965年1月号、「藤本軍次伝 (上)」第一章 pp.88–89
  9. ^ a b c d e 自動車ジュニア 1965年1月号、「藤本軍次伝 (上)」第二章 pp.90–91
  10. ^ 日本自動車工業史稿 第2巻(1967)、p.614
  11. ^ 日本自動車工業史稿 第2巻(1967)、p.612
  12. ^ 日本の自動車レース史(杉浦2017)、p.10 「インディアナポリスの自動車レース」
  13. ^ 日本自動車工業史稿 第2巻(1967)、p.613
  14. ^ a b 戦前日本の自動車レース史(三重2022)、p.3–p.5 「巻頭言 もうひとつの戦前史」(藤本隆宏)
  15. ^ 戦前日本の自動車レース史(三重2022)、p.25
  16. ^ 戦前日本の自動車レース史(三重2022)、p.30
  17. ^ a b c d e f g h i 自動車ジュニア 1965年1月号、「藤本軍次伝 (上)」第三章 pp.91–92
  18. ^ a b 日本の自動車レース史(杉浦2017)、p.10 「東京─下関間、急行列車と競走 藤本軍次氏談」
  19. ^ a b c 戦前日本の自動車レース史(三重2022)、p.65
  20. ^ a b c d e f 日本自動車工業史稿 第2巻(1967)、p.615
  21. ^ 戦前日本の自動車レース史(三重2022)、p.95
  22. ^ 日本の自動車レース史(杉浦2017)、p.143
  23. ^ a b c d 戦前自動車競走史-4 日本自動車競走倶楽部の活動と藤本軍次(岩立)、『Old-timer』No.72(2003年10月号)
  24. ^ a b c d e f g 自動車ジュニア 1965年2月号、「藤本軍次伝 (下)」第四章 pp.88–90
  25. ^ a b c d e f 自動車ジュニア 1965年2月号、「藤本軍次伝 (下)」第五章 pp.90–91
  26. ^ a b 自動車ジュニア 1965年1月号、「藤本軍次伝 (上)」経歴 pp.89
  27. ^ サンデー毎日 1967年8/27号、「レーサーの"年齢記録"にいどむ!」
  28. ^ a b c d e f g R・ダニエル(R. Daniell) (1923年7月23日). “Says auto racing in Japan will have promising future” (英語). The Japan Advertiser: p. 12 
  29. ^ 日本の自動車レース史(杉浦2017)、p.11
  30. ^ 戦前日本の自動車レース史(三重2022)、p.138
  31. ^ 戦前日本の自動車レース史(三重2022)、p.34
  32. ^ a b 戦前日本の自動車レース史(三重2022)、p.139
  33. ^ a b c d 日本自動車工業史稿 第2巻(1967)、p.610
  34. ^ a b 『官報』11672号(昭和40年/1965年11月6日)、p.11
  1. ^ 車屋四六 (2007年3月21日). “<風神雷神車神> No.74 日本自動車競争の始まり-1”. モーターファンダイアリー. 三栄書房. 2007年10月14日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年11月12日閲覧。


「藤本軍次」の続きの解説一覧



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  藤本軍次のページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「藤本軍次」の関連用語

藤本軍次のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



藤本軍次のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの藤本軍次 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS