御料車 その他の皇室の自動車

御料車

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/26 02:04 UTC 版)

その他の皇室の自動車

特別車

特別車は、皇室の人物(天皇・上皇皇族)が公務のために用いる車両。下記の2種類がある。いずれも品川ナンバーの車両。

  • 天皇・上皇の特別車
昭和天皇の時代まではなかったもので、公私の区別を付けたいという天皇明仁の意向により、1989年(平成元年)から導入された[125]
御用邸での静養や、私的な旅行や訪問などに使用されるほか、皇居内での移動も、公式な行事以外ではこの車両が用いられる[125]
基本的な仕様はセダンの御料車と同じだが、ナンバープレートが異なる(皇ナンバーではない)ということ以外に、車体側面の菊花紋章がなく、後部座席にサイドカーテンが装着されているといった違いがある[125]
  • 皇族の特別車
皇族の公用車。公務に用いられるほか、天皇の特別車と同様、私的な外出にも用いられる。
各宮家ごとに人数や家族構成を勘案して車種や台数が設定され、セダンだけではなく、ミニバンが配備されているケースもある[126]

内外装について、車両によっては、宮内庁が定めた仕様に基づいて特別架装を施すことが導入の条件となる[125]。そうした車両は随意契約によって購入され[注釈 47]、そうした条件がない場合は一般競争入札によって導入される[125]

御料車と同様、公用車として扱われ、導入には宮内庁予算である宮廷費が充てられ[125][127]、整備などの維持管理は宮内庁の車馬課自動車班によって行われる[126]

御料車が基本的に新車で導入され、セダンは10年程度で入れ替えがあるのとは異なり、特別車では、秋篠宮家の2000年式の三菱・ディグニティのような長年に渡って使われ続けているケースもあれば、中古車が導入されるケースもある[128]。塗色も、センチュリーについては黒または濃紺に限られているが、その他の車種はその限りではなく、白やグレー(シルバー)の車両が多い[126]

私的使用車

私用車しようしゃとは、公用車である御料車や特別車とは別に、天皇皇后や皇族が私有財産として所有している自動車[129]

御料車や特別車の場合、購入や維持にかかる費用に宮内庁の宮廷費が充てられ、管理や整備も宮内庁の車馬課によって行われるが、私用車については、購入費用や日常の燃料費などの維持にかかる費用を全て自前で負担し、内廷皇族の場合は内廷費から、その他の皇族は自身の皇族費から支払うことになる[130]

私有財産であるため、宮内庁の車馬課によるメンテナンスは行われず[130]、公用車でもないため、地方税である自動車税の課税対象となる[注釈 48]

使用されなくなった私用車は通常の廃車手続きが取られるが、上皇明仁のインテグラ(後述)については宮内庁車馬課の車庫で保管されている[13]

特筆される車両

明治期の皇太子献納車をはじめ、かつては、皇室の慶事にあたって自動車が献上されたことがあった[131]。それらは基本的には天皇や皇族によって使用されることはなく、民間に払い下げられているが[131]、中には皇族によって使用された個体もあった。

  • メルセデス・ベンツ・500Nニュルブルク・プルマン・リムジン英語版(1943年)
1937年型[62]。第二次世界大戦下の1943年(昭和18年)に、三井家から皇室へ献上された[62][132]。装甲板で補強された特注車[62]。黒塗りの地味なボディであり、万一空襲などで天皇が非難する際は、目立たないこの車を使用して欲しいとの配慮による[62]
戦後は内親王たちを学校に送迎するなどの役目で用いられた後、ヤナセ自動車に払い下げられた[114]
  • パッカード・スーパーエイト英語版(1950年)
1937年型[14][13]のこの個体は、第二次世界大戦後の戦後復興期に行われた昭和天皇の全国巡幸で、使用された[133]
パッカード・スーパーエイトは貴賓車や臣下車として当時の宮内省に大量に導入された車両で[134]、御料車のメルセデス・ベンツ・770に随従するための供奉車を務めることが多かった。
この個体は、元はフェートン(幌を持ち窓ガラスを持たない車両)だったが、(御料車のメルセデス・ベンツ・770をランドーレットに改造したのと同じ)富谷龍一住江製作所によって、両側に窓ガラスが立つよう改造が施され、ランドーレットに改装された[62]。あくまで供奉車という扱いの車両だったが、パレードにおいて都合がよかったことから、1950年(昭和25年)の四国巡幸に際して、昭和天皇がこの車に乗ってパレードを行ったことがある[133]
この車両は宮内庁の車馬課で保管されている[13]

注釈

  1. ^ 弔事は葬儀の際に寝台車が用いられる[4]
  2. ^ ナンバープレート一般についての規定を定めている。
  3. ^ 皇ナンバーの制度が始まる以前に、「第4号御料車」が存在したことはある[14]。鉄道や馬車の御料車では「4号」の車両も存在する。
  4. ^ 回送の際は、これら4つの紋章には革製もしくはビニール製のカバーがかけられる[18]
  5. ^ この装置は一部の特別車も有している。
  6. ^ 先代の日産・プリンスロイヤルも同様。メルセデス・ベンツ・770など、戦前期の車両では西陣織が用いられていた。
  7. ^ 正確な時期は不明とされていたが、2010年代に公刊された『大正天皇実録』では、1902年(明治35年)5月4日に、主馬寮分厩(赤坂分厩)広庭にて、嘉仁親王が電気自動車の試走を見たと記されている。
  8. ^ 『威仁親王行実』では12日のことは記載があるが[26]、15日のことについては記載がない。10月15日の出来事は『昭和天皇実録』に記述があり、当時の幼少の迪宮裕仁親王(後の昭和天皇)は自動車をとても気に入ったと記されている[23]
  9. ^ 吉田は当時の東京で唯一の自動車工場を経営していた人物[27]。依頼した時期について、「1905年冬」とする説[28][29]と、「1906年春」とする説[27]がある。
  10. ^ 威仁親王は日本に自動車を導入すべく精力的に活動していたが、病に倒れ、1909年4月にメルセデスが届いた頃には転地療養に入るほかなくなり、1913年の明治天皇の大喪の礼に際して、自身は参列できなくなっていたため、これらの車は外国来賓の接遇用にと宮内省に提供された[27]。療養先からも、御料車の選定には関与した(後述)。
  11. ^ 皇太子献納車について、皇太子成婚への献納品陳列所に明治天皇は行幸しており[31]、その際に見ていた可能性もある。
    ダラック号とタクリー号については、威仁親王が参内に用いたという記録はあるが、明治天皇がそれらを見たかは定かではない。
  12. ^ 三越に宮中にトラック(もしくは乗用車)を持って来させたという説[34][35]もある。三越は商用車(トラック)を日本で最初に導入した事業者で、三井呉服店だった頃の1902年に最初の1台を注文したとされる[36][37]。そのトラックは三越の宣伝にも巧みに用いられていたことから、当時の人々にはよく知られていた。
  13. ^ この写真でも運転席に座っている[38]。助手席には徳川昭武松戸徳川家)が座っている[38]。この写真は威仁親王が自身の運転で徳川慶喜とともに松戸(戸松邸)に出向いた時に撮影されたもので、同道した慶喜が写っていないのは撮影好きな慶喜が撮影した写真だからだと考えられている[38]
  14. ^ 当初、馬車を扱う主馬寮ではなく、物品を扱う調度寮が自動車を扱うことになったのは、国外からの物品の取り寄せに慣れていたからだろうと考えられている[40]
  15. ^ この時点で威仁親王は神戸舞子で病気療養中で、その後も東京に戻ることなく、1913年(大正2年)7月に同地で薨去することになる。
  16. ^ 一番最初に回答をしたのは駐英大使館の加藤高明で、最も詳細だったのもこの報告だった[40]。この中で、イギリス国王ジョージ5世の自動車がデイムラーのリムジンであることが報告されたが、イギリス王室ロールス・ロイスを最良と評価しつつ、価格面からデイムラーを採用しているということも伝えた[42]。ロシア、ドイツ、イタリアの3国の報告も届き[43]、それらも参考にされた。
  17. ^ 大倉は、車両製造監督の任を果たした上で、各国王室の運転士の服もサンプルとして入手して日本に持ち帰ったものの、馬車の御者のそれと比べてもあまりに華美だったため、採用は見送られることになる[47]。大倉が入手したそれらの服は、その後も宮内省の庁舎で保管されていたが、戦時中の空襲で焼失した[47]
  18. ^ 到着した車両の購入手続きや、前年に建設が進められた車庫などの設備、訓練が行われていた運転士の準備などが全て整ったことによる[46]
  19. ^ 1920年(大正9年)に、裕仁親王の東京市内の非公式な外出について事情がない限りは自動車を使うことが決められた[55]
  20. ^ この時の随衛は御料車の前方を走る第1供奉車に乗車していて、事件が発生した際にすぐに車外に出ようとしたが、敏速な行動ができなかった[55][57]
  21. ^ 騎馬による側衛は即座に完全に廃止されたわけではなく、公式の鹵簿では廃止されたが、式外の鹵簿ではその後もしばらくは用いられることがあった[57]
  22. ^ 鹵簿の平均速度は、1924年までは通常は時速12マイル(19 km)、最大で時速15マイル(24 km)とするよう決められていたが、1925年10月の改定でサイドカーに統一されてからは通常時の速度は時速16マイル(25 km)に引き上げられた[57]
  23. ^ 「ドイツと接近していたから御料車がドイツ車になった」と説明されることがしばしばあるが、時系列としては齟齬がある。国際関係に原因を求める場合、御料車の研究者からは、イギリスとの関係が冷え込み出したことが理由として挙げられている[59][60]
  24. ^ 実車や外装部品、色見本などが残っておらず、写真も白黒写真しかない。2代目御料車のロールスロイスの導入時に、この塗料は宮内省の指示でイギリスの塗料会社で作られた特色だと説明されている[75]
  25. ^ 具体的には、戦前期の警視庁内務省)による自動車車両検査取扱覚書の施行規則第13条に禁止の規定がある[76]。輸入車については、(華族の車両などで)当局の承諾があれば赤い車の使用は可能だったものの[76]、そうして許された例でも御料車に遠慮して塗り替えが行われている[77]。この規定は戦後もしばらく残り、1962年(昭和37年)に本田技研工業S360S500を発表する際に運輸省から認可を取得し、これが赤い市販車の始まりとなった[76]
  26. ^ このことに感激した同社は自社の車両の名前を「TGE」から「ちよだ」へと順次改名した[80]
  27. ^ 窓や側面パネルを防弾にするだけでなく、タイヤも厚さ25 mmのタイヤがダンロップに特注された[83][82]
  28. ^ 1927年(昭和2年)に宮内省が陸軍省に御料車改造の照会を行った記録が残っている[82]。その際に費用として「1万7000円」かかると見積もりの記録があるものの、実際に発注が行われたのか、定かではない[82]。この額は臣下車を新車で1台購入するのに相当する額だった[82]
  29. ^ ただし、2010年代の調査で、現存している5号車(1932年式)の車体のシリアルプレートに刻まれている型式は「30/150/240」で、770Kとして製造された車体であることが判明している[88]。過給機(スーパーチャージャー)は搭載されていないものの、車体は770Kを流用している可能性が指摘されている[88]
  30. ^ 巡幸先でも塗装の補修が可能なよう、塗料はどこでも売られているものとするよう、開発段階で宮内庁からプリンス自動車に要望が出された[100]
  31. ^ 菊花紋章が外された状態で引き渡されたため、フードマスコットはスリーポインテッド・スター、車体側面の紋章はレプリカ(花弁の枚数が16枚ではない)で代用されている[101]
  32. ^ 赤坂離宮の車庫が空襲を受けた際に失われたとされる[59]。「焼失した」[89]とも言われているが、詳しい状況は不明。
  33. ^ 車体のシリアルプレートに刻まれている型式は「30/150/240」で、一般に知られている770ではなく、過給機搭載型の770Kの型式に当たる[88]。ただし、保存車両に過給機は搭載されていない[88]
  34. ^ 車体のシリアルプレートに刻まれている型式は「30/150」[88]
  35. ^ 貴賓車だった頃から数えると19年間。
  36. ^ この「マッカーサーの計らい」についてはどういったものだったのかが定かでない。「マッカーサーからの贈答品」だと紹介されることがあるが、自動車評論家の五十嵐平達は、そうではなく、当時の日本で禁止されていた自動車の輸入とドルの使用が、この車両の導入時には(GHQから)特別に許可されたというものだったと述べている[103]
  37. ^ 外装のデザイン(スタイリング)の責任者を務めた森典彦は、「華麗さは避け、質実な中にも重厚さ、貴賓を感じさせるもの」とすることをコンセプトにしたと述べている[104]
  38. ^ 元々は外務省日本万国博覧会(1970年。大阪万博)に際して国外からの来賓を送迎するために導入したもので、万博終了後は日産自動車に譲渡され、同社で保管されていた[14]。1978年(昭和53年)に「皇1」のプリンスロイヤルを退役させた際に、その代替として、宮内庁が日産自動車から購入した[14](御料車としては珍しい中古車)。
  39. ^ 同社の横浜工場(子安工場)で動態保存されているとされる[14]
  40. ^ 市販車のカタログスペック上は2.7トン[59]
  41. ^ 1996年に「皇1」で登録された車両の場合も、導入時の価格は989万2120円で[112]、当時の市販仕様と比べても、大差はない。
  42. ^ 2021年末時点で、第8号御料車は3代目センチュリーに置き換わっている。第13号御料車として2代目センチュリーが1台使用中で[13]、第8号から番号が変わったとも考えられるが、裏付けとなる典拠がない。
  43. ^ 2019年(令和元年)9月に第9号御料車は3代目センチュリーに置き換えられている[16]。その時点で退役していると考えられるが、裏付けとなる典拠がない。
  44. ^ 皇室の人物では、1953年(昭和28年)に秩父宮雍仁親王が薨去してから、1987年(昭和62年)に高松宮宣仁親王が薨去するまでの34年の間で弔事が一度もなかった。宣仁親王が薨去した時点ではプリンスロイヤルの1台が既に寝台車化されていたため、この車両の出番はなかった。
  45. ^ この車両は1991年以降も整備と試運転が行われて維持されていたが、2006年に燃料ポンプの故障から走行できなくなったという[122]。ロールス・ロイス社へ修理部品の問い合わせが行われたものの、(オーダーメイドのため)納品がいつになるかわからないという回答で、修繕の見込みが立たなかった[122]。宮内庁としては、高額で納期のわからない調達はできないため、導入から16年が経過し、使用予定も当面なかったことも考慮し、廃車手続きを取ることにしたという[122]
  46. ^ このことが2018年5月1日に『朝日新聞デジタル』によって報じられた際は、「4000万円で購入した車両が2回しか使われなかった」という報じ方の報道姿勢や、「ロールス・ロイスは修理体制が整っており、直せるはず」といった点について、物議をかもした[123][119]
  47. ^ 特別架装を行えるメーカーが現在では実質的にトヨタ自動車しかなく、競争入札が成立しないため随意契約となる[125]
  48. ^ 前記したように、御料車のような公用車であれば、国税である自動車重量税などは納める必要があるが、地方税である自動車税は免除される(皇室が用いる公用車であっても一般的な公用車と扱いは変わらない)。
  49. ^ 猶子は相続権を持たない養子。長じた後の威仁親王への明治天皇からの信頼は非常に厚く[25]、1899年(明治32年)には東宮輔導を任され、皇太子嘉仁親王(後の大正天皇)の教育係を務めた。このことは大正天皇と自動車との関係に影響を及ぼしたと考えられている[137]
  50. ^ 1923年(大正12年)9月の関東大震災で宮内省の馬車舎が被災し、主だった儀装馬車がいずれも大破したため。
  51. ^ 次代の天皇明仁もこれを踏襲し、在位期間中に即位の礼以外で馬車に乗ることはなかった。
  52. ^ この年のグランプリで、ビラ王子は前座の下位クラスに参戦[143]。翌年はグランプリに参戦している。
  53. ^ このマスコットは皇居の三の丸尚蔵館に収蔵されている。
  54. ^ 威仁親王は明治天皇からの信頼も厚く、大正天皇の皇太子時代の東宮輔導を任されており、大正天皇にとっては教育係にあたり、強い結びつきがあった。
  55. ^ 有栖川宮は元は1672年(寛文12年)に高松宮から改称された宮号[38]
  56. ^ この車両のカーナンバーは有栖川宮家が登録していたナンバープレートの「380」を継承した[145]
  57. ^ どのレースのことかは不明。レストア車が完成披露されたのが1979年(昭和54年)11月のJAFグランプリなので、その時か、1980年代のことだと考えられる。
  58. ^ ゴルフや私的な旅行で何回か同道したことがあると本田は述べており[147]、本田の著作にも時折り登場する。
  59. ^ 皇族の死は上記した雍仁親王以来34年振りだったため、検討が必要になった。まず、霊柩車を馬車にするか自動車にするかで議論され、交通渋滞を避けるため、自動車に決まった[4]。次いで、民間から借り上げた霊柩車を使用するか、プリンスロイヤルを改造した寝台車を霊柩車として使用するか検討され、両車両を併用することに決まった[4]。このプリンスロイヤル寝台車は当時の第2号御料車で、1980年から1981年にかけて行われた改造でリムジンから寝台車に改装されていた[114][4]
  60. ^ 前年の1953年(昭和28年)秋に軽井沢に滞在していた際に、運転技術を習得したとも言われている[34]。運転免許は品川の自動車試験場(鮫洲運転免許試験場)で取得した[146][149]
  61. ^ 大手のトヨタ自工日産自動車ではなく、小メーカーに過ぎなかったプリンス自動車を選んだ理由はいくつかあったとされる。
    まず、同社の技術力は大手メーカーと比較して見劣りしないどころか、むしろ先進的だったという点[152]、2点目に、同社が東京に拠点を置いていたことは、アフターサービスを受ける上で好都合だった[152]
    加えて、東宮侍従の戸田康英(後の侍従長)の実兄・戸田康泰が同社の社員だったこと[146]、その上司の新山春雄の父親は御料牧場長の新山荘輔だったこと[146]、同社設計部長の中川良一の母方に宮内省次官がいたこと[146](母方の祖父の中村雄次郎は宮内大臣経験者)、といった人的関係も影響したと考えられている[152]。同社が日産自動車と合併した後は、明仁親王の学友で、日産自動車の系列会社に在籍していた明石元紹により、宮内庁との間で円滑な関係が築かれた[146]
  62. ^ ほかに、学習院の学友のアルファロメオ・1900を運転したであるとか[148]、静養先で宮内庁の庁用車を運転した[130]、といったエピソードもある。
  63. ^ 2016年(平成28年)に運転免許の更新を行っており[153]、これが最後の更新となる。2018年(平成30年)12月23日の天皇誕生日(85歳)の記者会見に際して、翌年1月の運転免許更新を行わないことを表明した[154][129]
  64. ^ 1966年(昭和41年)にプリンス自動車が日産自動車に吸収された後、当時の私用車プリンス・グランドグロリア(4速MT)の後継として日産・プレジデントの購入を勧められたが、「プレジデントにはMTがない」という理由で不満を示したという[152](購入もしなかった)。

出典

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