御料車 代表的な御料車 (リムジン)

御料車

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代表的な御料車 (リムジン)

御料車の代表的車種はいずれもリムジンタイプの大型乗用車であり、以下、しばしば名前が挙げられる代表的な6車種について記載する。

デイムラー・リムジン 57.2HP

第1号御料車
使用時期 1913年(大正2年) - 1927年(昭和2年): 14年間
輸入業者 大倉組[60]日本自動車合資会社[70]
車両数 2台(#各車両

最初の御料自動車として、1913年(大正2年)3月10日、宮内省にデイムラー・リムジン 57.2HPと同・ランドレー 38.4HPの2台が導入され、御料自動車の使用が始まった[50][46][51][52][53]

御料自動車の導入を決めたのは明治天皇だったが、1912年(明治45年)に崩御したため、大正天皇が御料自動車に乗った最初の天皇となった。

車種選定の経緯

1911年(明治44年)、御料車導入に向けて行われた事前調査の結果、最後に候補に残ったのはこのデイムラーと、ダイムラーのメルセデスだった[41]。最終選考に際して、宮内省は両車の仕様書を東京大学総長である濱尾新に送り、同大に内容の精査を依頼した[41]。そこで、デイムラーの仕様書は同大から酷評を受けたことから、最終的に同年11月に、御料車はメルセデス、貴賓車はデイムラーということで決定し、発注が行われた[41]

宮内省は大倉喜七郎(当時は喜七)に製作の監督、試運転の立ち合い、日本への輸送を委任してヨーロッパへと派遣し、大倉には発注車両について「出先ニ於テ此ノ仕様書ニ優リタル廉アルトキハ変更スルモ差支ナシ」という大きな権限を与えた[71]。現地で製作を監督した大倉は、そうした権限に基づいて、御料車として2台のデイムラーを採用し、メルセデスは貴賓車とする変更を行った[71]

1912年(大正元年)12月31日にメルセデスの貴賓車が三島丸で横浜港に到着し、次いで、1913年(大正2年)1月15日入港の加賀丸で臣下車の運搬車(トラック)とバス(メルセデス・12人乗りバス[72])の2台が、1月27日に熱田丸でデイムラーの御料車2台を含む6台が到着した[49]。到着した車両はすぐに試運転に回され、その結果も良好で、2月末までにすべての試運転を終え、2月25日には兵庫県舞子で療養中の有栖川宮威仁親王にもその旨を知らせる電報が送られた[49]

1913年(大正2年)3月10日、輸送を手掛けた大倉の日本自動車合資会社から、御料車2台が正式に宮内省に納入された[70](同日、宮内省の調度寮で自動車部が発足[47])。同年4月14日、青山離宮にて、大正天皇が御料車に初めて試乗し、御料自動車に乗車した最初の天皇となった[49]

初代の正運転士は、有栖川宮家のお抱え運転士だった有馬純篤が務め[34]、同じく、大倉組(日本自動車)出身の佐藤武夫、川原房吉も宮内省技手として加わり、この3名が主馬寮付きの最初の運転士となった[47][27][35][73]。この3名が御料車や貴賓車の運転士を務めつつ、指導役となり、他の各車両の運転士が養成された[47]

車両の特徴

第2号御料車。ランドーレット(ランドレー)で、後席はメイソン・アンド・サンズ社製の幌型になっている[70]

第1号御料車はイギリス国王のジョージ5世の公用車と基本的に同じ仕様の車両で、当時のデイムラー社では最大の6気筒9.4リッター、57.2馬力(HP)のエンジンを搭載している[70]。7人乗りの自動車[70]

第2号車は車体やボディはほとんど同じ仕様で、エンジンは38.4馬力のエンジンを搭載している[70]。発注時点では予定されていなかった車両で、臣下車として予定されていたデイムラーの2台の内の1台を御料車としたもの[70]。追加は大倉の判断によるものだが、追加された理由はよくわかっていない[70]

外装について、溜色ためいろと呼ばれる、漆塗りに由来を持つ濃い赤色で塗装された[74]。この色がどういった仕様だったかは不明だが[74][注釈 24]、御料馬車の塗色に近いものだったと考えられている[74]。これを機に、戦前期は自動車を溜色で塗装することが法規で禁止された[70][注釈 25]

コーチビルダーはフーバー社(Huber)[78]。2台ともオープンドライブリムジンで、運転席部分には横の窓がない[70]。運転席と後部座席はガラスで仕切られていることから、行き先などの指示は伝声管によって運転士に伝えられる[70]

内装は、絹の太いモールを配した淡黄褐色の生地で、螺鈿細工を施した銀製の金具が使われていた[70]

当時の写真から、車体側面の菊花紋章や、乗車中であることを示す屋根上の識別灯は日本に到着した後で装着されたと考えられている[70]

各車両

分類 車種 年式 導入年月日 備考
第1号御料車 デイムラー・リムジン 57.2HP[35] 1912年式 1913年(大正2年)3月10日 1927年6月20日に退役[74]陸軍自動車学校へ寄贈[74][14]
第2号御料車 デイムラー・リムジン・ランドレー 38.4HP[35] 1912年式 1913年(大正2年)3月10日 1927年6月20日に退役[74]陸軍造兵廠へ寄贈[14]
出典: [79][14]

ロールス・ロイス・シルヴァーゴースト

第3号御料車
使用時期 1921年(大正10年) - 1936年(昭和11年): 15年間
輸入業者 東京瓦斯電気工業[80][78]
車両数 2台(#各車両

1921年(大正10年)9月に、2代目の御料車としてロールス・ロイス・シルヴァーゴーストが2台納入された[80][78]

導入されたのが大正天皇の病状が思わしくない時期だったことに加え、1923年(大正12年)9月の関東大震災、同年12月の虎の門事件(後述)といった社会情勢の影響を受け、活躍は長いものとはならなかった[72]

導入の経緯

この車両が導入された経緯は不明だが、初代御料車であるデイムラーの導入から10年の節目を迎えたことや、導入年の1921年(大正10年)11月に皇太子裕仁親王が摂政に就任するといったことが影響したと考えられている[78]

この時期、イギリス王室は以前と同様にデイムラーを使い続けており、比較的新興のロールス・ロイス社製の車両を使うという日本の皇室の選択は、他の国の状況と比較して先進的なものだった[78]。貴賓車についても、1920年(大正9年)からデイムラー、ピアース・アロー(米国車)、1922年(大正11年)にはロールス・ロイス(ツーリング仕様)が追加され[78]、イギリス車で固められた。

コーチビルダーは初代御料車のデイムラーと同じくフーバー社[78]。ボディ形式も初代と同じくオープンドライブリムジンだが、このことは後々問題になる(後述)。

御料車となるロールス・ロイスの輸入は、東京瓦斯電気工業が宮内省からの下命を受けてその任に当たった[80]。この指名は当時の同社が自動車の輸入販売業も行っていたためだが、このことが縁となったか[80]、1931年(昭和6年)に同社製のTGE・MP型トラックが宮内省に買い上げられ、皇室の公用車としては最初の国産車となった[80][注釈 26]

車両は1920年(大正9年)春に東京瓦斯電気工業に調達が下命され、翌1921年(大正10年)9月2日、2台の車両を積載した因幡丸が横浜港に到着し、9月2日と12日に分けて1台ずつ宮内省に納められた[75]

車両価格は、シャシーのみの場合では1台当たり約2,100ポンドで、この御料車では調度類を含めて2,425ポンドを要した[72]

虎の門事件

1923年(大正12年)12月27日、帝国議会の開院式に向け、皇太子摂政宮裕仁親王を乗せて走っていたこの御料車が、虎ノ門外(現在の虎ノ門1丁目の外堀通り上)で無政府主義者によって襲撃を受ける事件が発生した[81]。御料車はステッキ仕込みの散弾銃によって狙撃され、窓ガラスを撃ち抜かれた[81]。裕仁親王に怪我はなく、同乗していた東宮侍従長が軽傷を負ったのみの被害で済んだものの、この一件は、本車両が防弾装備どころか、運転席の横には窓すらないという無防備なものであることが認識される契機となった[82]

この時に、御料車そのものの不備以外に、供奉車に乗っていた随衛たちが変事に即応できなかったことも問題視され、側衛は騎馬に加えて側車(サイドカー)が導入され[82]、1925年(大正14年)には騎馬による側衛が廃止され、側衛は側車によるものに統一された[57]。並行して防弾装備の研究が進められ、1924年(大正13年)から日本自動車が臣下車のピアース・アローをベースとして防弾車の開発を極秘裏に始めた[83][82][注釈 27]。この装備は1925年(大正15年)には完成したが、実際に改造が行われたのかは定かでない[82][注釈 28]

いずれにせよ、こうした経緯から、次の代の御料車メルセデス・ベンツ・770では防弾車が導入されることになった。

退役後

退役後、1933年(昭和8年)か1934年(昭和9年)頃に解体されたとされる[72]。この際、エンジンだけはあまりにももったいないということで廃棄はされず、吹上御所内の緊急用井戸のくみ上げポンプの動力として使用された[72][84]。ラジエーターは民間へ払い下げられ、自動車収集家の濱徳太郎がそれを入手し、後に銀座ドイツ料理レストラン「ケテルス」のロールス・ロイスに使用された[85]

各車両

分類 年式 車体番号 / エンジン番号 導入年月日 備考
第3号御料車 1920年式 21UE[72][78] / N40[72] 1921年(大正10年)9月15日 退役時期不明。解体された。
第4号御料車 1920年式 28UE[72][78] / N86[72] 1921年(大正10年)9月15日 退役時期不明。解体された。
出典: [14]

メルセデス・ベンツ・770

使用時期 1932年(昭和7年) - 1968年(昭和43年): 36年間
通称 赤ベンツ
輸入業者 ルートヴィヒ・ラティエン商会[59]
車両数 7台(#各車両

1932年(昭和7年)に導入されたメルセデス・ベンツ・770(W07)は、昭和天皇の即位後に初めて導入された御料車にあたる。

形式を含んだ名称では、「770グローサー・プルマン・リムジーネ」[86][87]となる。全長およそ5.6 mの大型車で、「グローサー・メルセデス」と通称され、導入当時としては世界的に見ても最新鋭かつ最高級車の1台に数えられる車種だった。製造国であるドイツ国のほか、スウェーデン王国エジプト王国ブルガリア王国といった国々で国家元首専用車として用いられたことで知られる[59]

宮内省は御料車として計7台を購入し、戦前期の1932年(昭和7年)に導入され、戦後の1968年(昭和43年)に引退するまで、36年間もの長期に渡って運用された。第二次世界大戦終結後に行われた昭和天皇の戦後巡幸において全国各地で走ったことで、国民からも認知されて「赤ベンツ」と通称された。

仕様

メルセデス・ベンツ・W07には、スーパーチャージャーを搭載した「770K」と、非搭載の「770」があり、御料車として採用されたのはいずれも「770」にあたる[注釈 29]

初代御料車のデイムラーと、2代目のロールス・ロイスが一般的な仕様から装飾部分などを改装する程度の変更だったのに比べ、このグローサー・メルセデスには大きな改造が施された。

最初に輸入された2台は、日本に到着後、陸軍砲兵工廠防弾装甲ボディに改装された。重量は標準仕様の770が2.7トンであるのに対して、防弾車は4トンを超え、元々装着していたコンチネンタル製のタイヤは過大な重量のために摩耗が著しいものとなった[59]。そのため、1937年(昭和12年)に、釘などを踏んでもパンクしないことを条件として橫濱護謨製造(横浜ゴム)に専用タイヤの開発を命じ、本車両用に設計された特殊タイヤが製作された[59][89](→#タイヤ)。同社製のタイヤは、防弾仕様ではない他の車両でも用いられた。

外装

ボディはダイムラー・ベンツ社のジンデルフィンゲン工場で製造された[86]

この車両までは御料車は「溜色」と呼ばれる特徴的な赤系の塗色が用いられた(→#内外装の特徴)。戦後間もなくの昭和天皇の戦後巡幸でも使用され、昭和天皇と共に全国を周り、多くの日本国民の目に触れている[90]。そのことから、この車両は「溜色ためいろのベンツ」、「溜色の車」と通称されて親しまれた。

この時の巡幸にあたり、昭和天皇は、沿道の市民からもっとよく見えるようにしたいと要望を出し、これにより、既存の御料車に改造が施され、ルーフ後ろ半分を幌にしたランドーレット仕様が2台作られた[61][91]。この改造は、日産自動車出身の富谷龍一が設計し、住江製作所が施工を担当した[91]。この車両は、1950年(昭和25年)の四国巡幸から用いられた[61]

内装

後席内装には宮内省からダイムラー・ベンツ社に供給された西陣織が使用されている[92][86][93]。車内には神器を置くための御剣台があり、御璽台は座席のわきに支柱を差し込む形で設置できる[93]

侍従用の補助席は後部座席と向かい合わせで設置されている[93]。運転席と後部座席との間には仕切り壁が置かれており、運転士への指示は後部座席に備えられているスイッチで行うことができる[93]

防弾車と準防弾車

防弾車は、10 mの至近距離から発射された機銃弾を貫通しないことを条件として製作された車両で、ドアなどのボディパネルのほか、ボンネットにも厚さ5 mm以上の防弾鋼板が用いられていたとされる[86]。最も防弾性能の高い車両(どれかは不明)は、地雷を想定して床下やエンジン下面にも防弾鋼板を備えていた[86]。これにより、その重量は4.2トンに達していたとされる[89]。あまりにも重く、橋が落ちる懸念があったことから、戦後の巡幸で防弾車が用いられる際は床下の防弾鋼板は取り外されたという[89]

製造元のダイムラー・ベンツでは、製造の時点で、前後左右の窓ガラス、屋根とドアの鋼板を防弾仕様にしたとしている[94]。日本に最初に到着した2台は、更なる防弾性能向上のため、到着後すぐに陸軍砲兵工廠によって徹底的な改造が施された[59][86]

準防弾車は、防弾鋼板や3枚重ねの防弾ガラスを用いた車両で、標準仕様の770よりは防弾性能が強化されている[86]。防弾車ほど強化されているわけではないとはいえ、防弾仕様になっているボンネットは一人では開けられないほどの重さで、標準車との違いは明らかだったという[95]

タイヤ

防弾車の重量に耐え、かつ釘などを踏んでも絶対にパンクしないタイヤという条件で、1937年(昭和12年)に横浜ゴムにタイヤの開発が下命され、同社が開発した本車専用タイヤは1938年(昭和13年)6月に完成した[89]。元々、770の足回りはコンチネンタル製の柔らかい(空気圧の低い)タイヤを前提として設計されており、一方で、横浜ゴム製の特製タイヤはトラック用タイヤ以上に非常に硬いものとして完成したため、それを装着したこの御料車の乗り心地は本来の770ほど良好ではなかったと考えられている[89]

タイヤは770の標準タイヤは7.00-20だが、横浜ゴム製タイヤは7.50-20で、幅が太い[96]。加えて、6プライ(6層構造)とすることで、大きな重量を支えることに対応した[96]

御料車では770まで旧式な木製スポークのホイールが用いられたのも、堅牢さを重視したことによる[96]

その後

車齢が長くなったことから不調を来たすことも次第に多くなり、使用することがほとんどなくなっていたランドーレット仕様の2台を部品取り用に解体していくといった手段で、未改造車の延命が図られた[97]。最終的に3台が元の姿のまま退役し、1971年(昭和46年)に、製造元であるダイムラー・ベンツ社(現在のメルセデス・ベンツ・グループ社)の懇請によって1台が同社に寄贈され[62]、残りの2台は宮内庁で現在も保管されている。ダイムラー・ベンツ社に寄贈された1台は、同社のメルセデス・ベンツ博物館英語版で展示されている。

各車両

分類 年式 シリアルナンバー 導入年月日 備考
第1号御料車 1932年式 (不明) 1932年(昭和7年)6月15日 防弾車(日本到着の直後に改造)。退役時期不明。解体された。
第2号御料車 1932年式 (不明) 1932年(昭和7年)6月15日 防弾車(日本到着の直後に改造)。第二次世界大戦に際して消失[59][注釈 32]
第5号御料車 1932年式 85224[注釈 33] 1932年(昭和7年)10月10日 標準ボディ[87]。1969年に退役。現存(宮内庁内で保存)。
第6号御料車 1933年式 (不明) 1933年(昭和8年)12月26日 ランドーレットに改造された(終戦後・時期不明)。退役時期不明。部品取り用の車両となり、解体された。
第7号御料車→第2号御料車 1934年式[95] 85240[注釈 34] 1935年(昭和10年)4月19日 準防弾車[95]。番号が変更された時期は不明[14]。1969年に退役。現存(宮内庁内で保存)[14][13]
第8号御料車 1935年式 (不明) 1935年(昭和10年)4月19日 1969年に退役。現存(メルセデス・ベンツ博物館で展示)。
第9号御料車 1935年式 (不明) 1935年(昭和10年)2月24日 ランドーレットに改造された(終戦後・時期不明)。退役時期不明。部品取り用の車両となり、解体された。
出典: [14]

キャデラック・75リムジン

使用時期 1958年(昭和33年) - 1970年(昭和45年): 12年間[注釈 35]
車両数 1台(#各車両

キャデラック・75リムジンは、1951年(昭和26年に)に特別車として導入された。

当時の日本はダグラス・マッカーサー元帥を総司令官とする連合国軍の占領下にあり、この車両の導入は、マッカーサーの計らいによるものだった[102]、ということで知られている[注釈 36]

マッカーサーが日本を訪問するにあたり、御料車が上述のメルセデス・ベンツ・770では不都合であるため導入された。

この車両は、従来の御料車で「赤いベンツ」(赤ベンツ)として国民にも知れ渡っていたメルセデス・ベンツ・770(上述)と異なり、グレー[90](シルバーグレー[103])に塗装された地味な外観をしており、導入から5年ほどの間、国技館に相撲観戦に出向く際など、昭和天皇の非公式な外出において使用された[102]

1958年(昭和28年)から御料車となるが[14]、この車両は1台のみであり、公式な行幸については引き続きメルセデス・ベンツ・770が用いられた。一方で、戦後直後の地方巡幸によって770の老朽化が著しく進んでしまったため、770を補助する車両として、1957年(昭和32年)にはロールス・ロイス・シルヴァーレイス、1960年代にも2台のロールス・ロイス・ファントムVが、このキャデラックとは別に、御料車に加えられた[102]。これらの車両も、「赤ベンツ」までの御料車で用いられていた伝統的な溜色ではなく、漆黒で塗装された[102]。これは、戦前期は皇室専用の塗色とされていた溜色が、戦後は一般車にも使用が許されるようになったという事情によるものだとされる[102]

各車両
# 分類 車台番号 導入年月日 備考
皇6 第11号特別車→第6号御料車 5075-860117 1951年(昭和26年)2月1日 1958年から御料車(皇6)。1970年に退役。解体された。
出典: [14]

日産・プリンスロイヤル

使用時期 1967年(昭和42年) - 2008年(平成20年): 41年間
車両数 6台(#各車両

日産・プリンスロイヤルは、1967年(昭和42年)に初の日本製御料車として導入された車両で、後に日産自動車合併するプリンス自動車工業が開発、製造を担当した。一般向けの販売は行わない「御料車専用車」として開発されており、昭和天皇の意向を受けて、外観は親しみやすく、内装と装備は華美を避けてできるだけ簡素にすることをコンセプトとして開発された[104][65][注釈 37]

計7台が製造され、当初、宮内庁は5台を購入した。残りの2台は外務省によって1970年(昭和45年)の日本万国博覧会(大阪万博)の接遇用に購入され、会期終了後に日産自動車に譲渡された。1978年(昭和53年)に宮内庁がその内の1台を既存車の置き換えのために日産自動車から購入した[14]。そのため、製造された全7台中の6台が宮内庁で運用された車両となる。1台は1981年初めに寝台車対応のワゴンタイプに改造され、昭和天皇大喪の礼(1989年)などで使用された。

平成期には、天皇明仁の方針により、日常の公務にはセダンの御料車が用いられるようになり、プリンスロイヤルは限られた国家行事のみで用いられるようになった。(→#セダン御料車の導入

外国首脳の接遇用としても用いられ、イギリス女王エリザベス2世アフガニスタン国王ザヒル・シャーインドネシア大統領スカルノアメリカ合衆国大統領ロナルド・レーガンを始め、各国の要人を乗せた。

最も長期に渡って使用された御料車

導入から10年ほど経た時点で、次期御料車を開発するという話は持ち上がっていたが、国家財政が思わしくない時期だったことに加えて、いずれ次代の天皇となる皇太子明仁親王が大げさなリムジンを好んでいないということが知られていたこともあり、開発は見送られた[105]。1989年(平成元年)に即位した天皇明仁は、予想されていたようにこの車両のみを御料車として用いることは好まず、セダン御料車を導入し、プリンスロイヤルと併用することにした[105]。その結果、プリンスロイヤルはこれまでの御料車の中では最も長く使用されることになった。

2000年代に入り、経年劣化が進んだうえ、部品の調達が困難になってきたことなどを受けて、2004年(平成16年)2月に日産自動車が宮内庁に公式行事などでの使用を段階的に見合わせるよう要請があった[65]。これを受け、次期御料車の開発が始まることになり、トヨタ・センチュリーロイヤル(後述)の導入に伴い、引退が決まった。最後に残った2号車(寝台車)は2008年に退役し、プリンスロイヤルは41年間に及ぶ御料車としての務めを終えた[65]。この記録は今後も破られることはないだろうと考えられている[65]

各車両
# 分類 車台番号 導入年月日 備考
皇1 第1号御料車 A70-000001 1967年(昭和42年)2月27日 1978年に退役。部品取り用の車両となる。
皇2 第2号御料車 A70-000002 1967年(昭和42年)7月19日 1980年11月から1981年3月にかけて寝台車に改造。2008年9月に退役。現存(宮内庁内で保存)。
皇3 第3号御料車 A70-000003 1968年(昭和43年)9月16日 2007年に退役。現存(宮内庁が貸与し昭和天皇記念館で展示)。
皇5 第5号御料車 A70-000007 1969年(昭和44年)12月17日 特装車(防弾車)。2008年3月に退役。現存(宮内庁内で保存)。
皇6 第6号御料車 A70-000008 1972年(昭和47年)3月24日 特装車(防弾車)。2008年4月に退役。現存(宮内庁内で保存)。
皇11 (外務省貴賓車→)第11号御料車 A70-000006 1978年(昭和53年)3月24日[注釈 38] 特装車(防弾車)。2008年4月に退役。現存(宮内庁内で保存)。
- (外務省貴賓車) A70-000005 (導入されていない。参考のため記載) 特装車(防弾車)。外務省が所有した車両。退役後に日産自動車に譲渡。現存[注釈 39]
出典: [14]

トヨタ・センチュリーロイヤル

使用時期 2006年(平成18年) - 現用
車両数 4台(#各車両

トヨタ・センチュリーロイヤルは一般向けには販売されない御料車専用車種で、2006年(平成18年)に導入された。セダンの御料車のセンチュリー(後述)と併用されており、国会開会式全国戦没者追悼式といった特に重んじられている恒例行事で天皇皇后によって用いられるほか、皇族の慶弔事、国賓接遇、信任状捧呈式(大使が自動車を選んだ場合)における差し回しでは基本的にセンチュリーロイヤルが用いられる。

市販車の2代目センチュリーをベースに開発されたものだとされているが、大型リムジンである本車の車体は一回り以上大きく、先代御料車のプリンスロイヤルやロールス・ロイス・ファントムVを手本に取り入れて開発された[18]

2006年(平成18年)7月に標準車1台(「皇1」)が導入され、同年9月28日の国会開会式に出席する際から使用された。

2007年(平成19年)から2008年(平成20年)にかけて、防弾性能が強化された特装車2台(「皇3」と「皇5」)と、寝台車1台(「皇2」)が追加導入された[14][15]。これにより、計画台数の調達は終了し、プリンスロイヤルの時よりも1台少ない、4台が運用されている[106]

令和に改元された2019年の時点で、4台いずれも車齢が10年以上経過していたため、2021年(令和3年)までに、1回目の延命工事が実施された[13]

各車両
# 分類 車台番号 導入年月日 価格 備考
皇1 第1号御料車 東[41]61111東 2006年(平成18年)7月7日 5250万円[15]
皇2 第2号御料車 東[41]81205東 2008年(平成20年)9月26日 - 病患輸送車
皇3 第3号御料車 東[41]71131東 2007年(平成19年)9月14日 9450万円[15] 特装車(防弾性能強化)[15]
皇5 第5号御料車 東[41]8144東 2008年(平成20年)3月11日 9450万円[15] 特装車(防弾性能強化)[15]
出典: [14]

諸元比較表

メルセデス・ベンツ・770(W07) 日産・プリンスロイヤル トヨタ・センチュリーロイヤル
試用期間 1932年(昭和7年) - 1968年(昭和43年) 1967年(昭和42年) - 2008年(平成20年) 2006年(平成18年) -
車体
全長 5,600 mm[59] 6,155 mm 6,155 mm
全幅 1,840 mm 2,100 mm 2,050 mm
全高 1,830 mm 1,770 mm 1,780 mm
ホイールベース 3,759 mm 3,880 mm (非公表)
トレッド 1,540 mm / 1,540 mm 1,650 mm / 1,700 mm (非公表)
全備重量 3,200 kg (標準車)[注釈 40]
4,299 kg (防弾車)
3,200 kg (標準車)
3,660 kg (防弾車)
3,300 kg (標準車)
3,710 kg (防弾車)
3,170 kg (寝台車)
乗車定員 7名 8名 8名
エンジン
型式 メルセデス・ベンツ・M07英語版 日産・W64英語版 トヨタ・1GZ-FE
シリンダー形式 直列8気筒 V型8気筒 V型12気筒
排気量 7,603 cc 6,373 cc 4,990 cc
最高出力 150馬力 260馬力 (非公表)
出典 [59][19][107] [108][20][109] [18]

注釈

  1. ^ 弔事は葬儀の際に寝台車が用いられる[4]
  2. ^ ナンバープレート一般についての規定を定めている。
  3. ^ 皇ナンバーの制度が始まる以前に、「第4号御料車」が存在したことはある[14]。鉄道や馬車の御料車では「4号」の車両も存在する。
  4. ^ 回送の際は、これら4つの紋章には革製もしくはビニール製のカバーがかけられる[18]
  5. ^ この装置は一部の特別車も有している。
  6. ^ 先代の日産・プリンスロイヤルも同様。メルセデス・ベンツ・770など、戦前期の車両では西陣織が用いられていた。
  7. ^ 正確な時期は不明とされていたが、2010年代に公刊された『大正天皇実録』では、1902年(明治35年)5月4日に、主馬寮分厩(赤坂分厩)広庭にて、嘉仁親王が電気自動車の試走を見たと記されている。
  8. ^ 『威仁親王行実』では12日のことは記載があるが[26]、15日のことについては記載がない。10月15日の出来事は『昭和天皇実録』に記述があり、当時の幼少の迪宮裕仁親王(後の昭和天皇)は自動車をとても気に入ったと記されている[23]
  9. ^ 吉田は当時の東京で唯一の自動車工場を経営していた人物[27]。依頼した時期について、「1905年冬」とする説[28][29]と、「1906年春」とする説[27]がある。
  10. ^ 威仁親王は日本に自動車を導入すべく精力的に活動していたが、病に倒れ、1909年4月にメルセデスが届いた頃には転地療養に入るほかなくなり、1913年の明治天皇の大喪の礼に際して、自身は参列できなくなっていたため、これらの車は外国来賓の接遇用にと宮内省に提供された[27]。療養先からも、御料車の選定には関与した(後述)。
  11. ^ 皇太子献納車について、皇太子成婚への献納品陳列所に明治天皇は行幸しており[31]、その際に見ていた可能性もある。
    ダラック号とタクリー号については、威仁親王が参内に用いたという記録はあるが、明治天皇がそれらを見たかは定かではない。
  12. ^ 三越に宮中にトラック(もしくは乗用車)を持って来させたという説[34][35]もある。三越は商用車(トラック)を日本で最初に導入した事業者で、三井呉服店だった頃の1902年に最初の1台を注文したとされる[36][37]。そのトラックは三越の宣伝にも巧みに用いられていたことから、当時の人々にはよく知られていた。
  13. ^ この写真でも運転席に座っている[38]。助手席には徳川昭武松戸徳川家)が座っている[38]。この写真は威仁親王が自身の運転で徳川慶喜とともに松戸(戸松邸)に出向いた時に撮影されたもので、同道した慶喜が写っていないのは撮影好きな慶喜が撮影した写真だからだと考えられている[38]
  14. ^ 当初、馬車を扱う主馬寮ではなく、物品を扱う調度寮が自動車を扱うことになったのは、国外からの物品の取り寄せに慣れていたからだろうと考えられている[40]
  15. ^ この時点で威仁親王は神戸舞子で病気療養中で、その後も東京に戻ることなく、1913年(大正2年)7月に同地で薨去することになる。
  16. ^ 一番最初に回答をしたのは駐英大使館の加藤高明で、最も詳細だったのもこの報告だった[40]。この中で、イギリス国王ジョージ5世の自動車がデイムラーのリムジンであることが報告されたが、イギリス王室ロールス・ロイスを最良と評価しつつ、価格面からデイムラーを採用しているということも伝えた[42]。ロシア、ドイツ、イタリアの3国の報告も届き[43]、それらも参考にされた。
  17. ^ 大倉は、車両製造監督の任を果たした上で、各国王室の運転士の服もサンプルとして入手して日本に持ち帰ったものの、馬車の御者のそれと比べてもあまりに華美だったため、採用は見送られることになる[47]。大倉が入手したそれらの服は、その後も宮内省の庁舎で保管されていたが、戦時中の空襲で焼失した[47]
  18. ^ 到着した車両の購入手続きや、前年に建設が進められた車庫などの設備、訓練が行われていた運転士の準備などが全て整ったことによる[46]
  19. ^ 1920年(大正9年)に、裕仁親王の東京市内の非公式な外出について事情がない限りは自動車を使うことが決められた[55]
  20. ^ この時の随衛は御料車の前方を走る第1供奉車に乗車していて、事件が発生した際にすぐに車外に出ようとしたが、敏速な行動ができなかった[55][57]
  21. ^ 騎馬による側衛は即座に完全に廃止されたわけではなく、公式の鹵簿では廃止されたが、式外の鹵簿ではその後もしばらくは用いられることがあった[57]
  22. ^ 鹵簿の平均速度は、1924年までは通常は時速12マイル(19 km)、最大で時速15マイル(24 km)とするよう決められていたが、1925年10月の改定でサイドカーに統一されてからは通常時の速度は時速16マイル(25 km)に引き上げられた[57]
  23. ^ 「ドイツと接近していたから御料車がドイツ車になった」と説明されることがしばしばあるが、時系列としては齟齬がある。国際関係に原因を求める場合、御料車の研究者からは、イギリスとの関係が冷え込み出したことが理由として挙げられている[59][60]
  24. ^ 実車や外装部品、色見本などが残っておらず、写真も白黒写真しかない。2代目御料車のロールスロイスの導入時に、この塗料は宮内省の指示でイギリスの塗料会社で作られた特色だと説明されている[75]
  25. ^ 具体的には、戦前期の警視庁内務省)による自動車車両検査取扱覚書の施行規則第13条に禁止の規定がある[76]。輸入車については、(華族の車両などで)当局の承諾があれば赤い車の使用は可能だったものの[76]、そうして許された例でも御料車に遠慮して塗り替えが行われている[77]。この規定は戦後もしばらく残り、1962年(昭和37年)に本田技研工業S360S500を発表する際に運輸省から認可を取得し、これが赤い市販車の始まりとなった[76]
  26. ^ このことに感激した同社は自社の車両の名前を「TGE」から「ちよだ」へと順次改名した[80]
  27. ^ 窓や側面パネルを防弾にするだけでなく、タイヤも厚さ25 mmのタイヤがダンロップに特注された[83][82]
  28. ^ 1927年(昭和2年)に宮内省が陸軍省に御料車改造の照会を行った記録が残っている[82]。その際に費用として「1万7000円」かかると見積もりの記録があるものの、実際に発注が行われたのか、定かではない[82]。この額は臣下車を新車で1台購入するのに相当する額だった[82]
  29. ^ ただし、2010年代の調査で、現存している5号車(1932年式)の車体のシリアルプレートに刻まれている型式は「30/150/240」で、770Kとして製造された車体であることが判明している[88]。過給機(スーパーチャージャー)は搭載されていないものの、車体は770Kを流用している可能性が指摘されている[88]
  30. ^ 巡幸先でも塗装の補修が可能なよう、塗料はどこでも売られているものとするよう、開発段階で宮内庁からプリンス自動車に要望が出された[100]
  31. ^ 菊花紋章が外された状態で引き渡されたため、フードマスコットはスリーポインテッド・スター、車体側面の紋章はレプリカ(花弁の枚数が16枚ではない)で代用されている[101]
  32. ^ 赤坂離宮の車庫が空襲を受けた際に失われたとされる[59]。「焼失した」[89]とも言われているが、詳しい状況は不明。
  33. ^ 車体のシリアルプレートに刻まれている型式は「30/150/240」で、一般に知られている770ではなく、過給機搭載型の770Kの型式に当たる[88]。ただし、保存車両に過給機は搭載されていない[88]
  34. ^ 車体のシリアルプレートに刻まれている型式は「30/150」[88]
  35. ^ 貴賓車だった頃から数えると19年間。
  36. ^ この「マッカーサーの計らい」についてはどういったものだったのかが定かでない。「マッカーサーからの贈答品」だと紹介されることがあるが、自動車評論家の五十嵐平達は、そうではなく、当時の日本で禁止されていた自動車の輸入とドルの使用が、この車両の導入時には(GHQから)特別に許可されたというものだったと述べている[103]
  37. ^ 外装のデザイン(スタイリング)の責任者を務めた森典彦は、「華麗さは避け、質実な中にも重厚さ、貴賓を感じさせるもの」とすることをコンセプトにしたと述べている[104]
  38. ^ 元々は外務省日本万国博覧会(1970年。大阪万博)に際して国外からの来賓を送迎するために導入したもので、万博終了後は日産自動車に譲渡され、同社で保管されていた[14]。1978年(昭和53年)に「皇1」のプリンスロイヤルを退役させた際に、その代替として、宮内庁が日産自動車から購入した[14](御料車としては珍しい中古車)。
  39. ^ 同社の横浜工場(子安工場)で動態保存されているとされる[14]
  40. ^ 市販車のカタログスペック上は2.7トン[59]
  41. ^ 1996年に「皇1」で登録された車両の場合も、導入時の価格は989万2120円で[112]、当時の市販仕様と比べても、大差はない。
  42. ^ 2021年末時点で、第8号御料車は3代目センチュリーに置き換わっている。第13号御料車として2代目センチュリーが1台使用中で[13]、第8号から番号が変わったとも考えられるが、裏付けとなる典拠がない。
  43. ^ 2019年(令和元年)9月に第9号御料車は3代目センチュリーに置き換えられている[16]。その時点で退役していると考えられるが、裏付けとなる典拠がない。
  44. ^ 皇室の人物では、1953年(昭和28年)に秩父宮雍仁親王が薨去してから、1987年(昭和62年)に高松宮宣仁親王が薨去するまでの34年の間で弔事が一度もなかった。宣仁親王が薨去した時点ではプリンスロイヤルの1台が既に寝台車化されていたため、この車両の出番はなかった。
  45. ^ この車両は1991年以降も整備と試運転が行われて維持されていたが、2006年に燃料ポンプの故障から走行できなくなったという[122]。ロールス・ロイス社へ修理部品の問い合わせが行われたものの、(オーダーメイドのため)納品がいつになるかわからないという回答で、修繕の見込みが立たなかった[122]。宮内庁としては、高額で納期のわからない調達はできないため、導入から16年が経過し、使用予定も当面なかったことも考慮し、廃車手続きを取ることにしたという[122]
  46. ^ このことが2018年5月1日に『朝日新聞デジタル』によって報じられた際は、「4000万円で購入した車両が2回しか使われなかった」という報じ方の報道姿勢や、「ロールス・ロイスは修理体制が整っており、直せるはず」といった点について、物議をかもした[123][119]
  47. ^ 特別架装を行えるメーカーが現在では実質的にトヨタ自動車しかなく、競争入札が成立しないため随意契約となる[125]
  48. ^ 前記したように、御料車のような公用車であれば、国税である自動車重量税などは納める必要があるが、地方税である自動車税は免除される(皇室が用いる公用車であっても一般的な公用車と扱いは変わらない)。
  49. ^ 猶子は相続権を持たない養子。長じた後の威仁親王への明治天皇からの信頼は非常に厚く[25]、1899年(明治32年)には東宮輔導を任され、皇太子嘉仁親王(後の大正天皇)の教育係を務めた。このことは大正天皇と自動車との関係に影響を及ぼしたと考えられている[137]
  50. ^ 1923年(大正12年)9月の関東大震災で宮内省の馬車舎が被災し、主だった儀装馬車がいずれも大破したため。
  51. ^ 次代の天皇明仁もこれを踏襲し、在位期間中に即位の礼以外で馬車に乗ることはなかった。
  52. ^ この年のグランプリで、ビラ王子は前座の下位クラスに参戦[143]。翌年はグランプリに参戦している。
  53. ^ このマスコットは皇居の三の丸尚蔵館に収蔵されている。
  54. ^ 威仁親王は明治天皇からの信頼も厚く、大正天皇の皇太子時代の東宮輔導を任されており、大正天皇にとっては教育係にあたり、強い結びつきがあった。
  55. ^ 有栖川宮は元は1672年(寛文12年)に高松宮から改称された宮号[38]
  56. ^ この車両のカーナンバーは有栖川宮家が登録していたナンバープレートの「380」を継承した[145]
  57. ^ どのレースのことかは不明。レストア車が完成披露されたのが1979年(昭和54年)11月のJAFグランプリなので、その時か、1980年代のことだと考えられる。
  58. ^ ゴルフや私的な旅行で何回か同道したことがあると本田は述べており[147]、本田の著作にも時折り登場する。
  59. ^ 皇族の死は上記した雍仁親王以来34年振りだったため、検討が必要になった。まず、霊柩車を馬車にするか自動車にするかで議論され、交通渋滞を避けるため、自動車に決まった[4]。次いで、民間から借り上げた霊柩車を使用するか、プリンスロイヤルを改造した寝台車を霊柩車として使用するか検討され、両車両を併用することに決まった[4]。このプリンスロイヤル寝台車は当時の第2号御料車で、1980年から1981年にかけて行われた改造でリムジンから寝台車に改装されていた[114][4]
  60. ^ 前年の1953年(昭和28年)秋に軽井沢に滞在していた際に、運転技術を習得したとも言われている[34]。運転免許は品川の自動車試験場(鮫洲運転免許試験場)で取得した[146][149]
  61. ^ 大手のトヨタ自工日産自動車ではなく、小メーカーに過ぎなかったプリンス自動車を選んだ理由はいくつかあったとされる。
    まず、同社の技術力は大手メーカーと比較して見劣りしないどころか、むしろ先進的だったという点[152]、2点目に、同社が東京に拠点を置いていたことは、アフターサービスを受ける上で好都合だった[152]
    加えて、東宮侍従の戸田康英(後の侍従長)の実兄・戸田康泰が同社の社員だったこと[146]、その上司の新山春雄の父親は御料牧場長の新山荘輔だったこと[146]、同社設計部長の中川良一の母方に宮内省次官がいたこと[146](母方の祖父の中村雄次郎は宮内大臣経験者)、といった人的関係も影響したと考えられている[152]。同社が日産自動車と合併した後は、明仁親王の学友で、日産自動車の系列会社に在籍していた明石元紹により、宮内庁との間で円滑な関係が築かれた[146]
  62. ^ ほかに、学習院の学友のアルファロメオ・1900を運転したであるとか[148]、静養先で宮内庁の庁用車を運転した[130]、といったエピソードもある。
  63. ^ 2016年(平成28年)に運転免許の更新を行っており[153]、これが最後の更新となる。2018年(平成30年)12月23日の天皇誕生日(85歳)の記者会見に際して、翌年1月の運転免許更新を行わないことを表明した[154][129]
  64. ^ 1966年(昭和41年)にプリンス自動車が日産自動車に吸収された後、当時の私用車プリンス・グランドグロリア(4速MT)の後継として日産・プレジデントの購入を勧められたが、「プレジデントにはMTがない」という理由で不満を示したという[152](購入もしなかった)。

出典

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