上皇后美智子 発言

上皇后美智子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/31 16:22 UTC 版)

発言

成婚前・皇太子妃時代(昭和)

  • 「とてもご誠実で、ご立派で、心からご信頼申し上げ、ご尊敬申し上げて行かれる方だというところに魅力を感じ致しました」 - 1958年(昭和33年)11月27日、婚約決定記者会見での明仁親王評。
  • 「難しいこともたくさんありましたし、辛いこともあります。いつになったら慣れるのか見当がつきません。(中略)時には八方ふさがりのような気持ちになることもあります」 - 1960年(昭和35年)4月11日、結婚一周年の記者会見で。
  • 「わたくしも差し上げるのならお点ではなく、感謝状を」 - 1984年(昭和59年)4月10日、銀婚記者会見にて。明仁親王の「点数をつけることはできないが努力賞ということで」をふまえ。

皇后時代(平成)

  • 「平成初めての大会にあたり、1947年(昭和22年)以来、42年の長い年月にわたって名誉総裁の責務をお果たしになった皇太后陛下に、わたくしどもの深い感謝をお奉げしたいと思います」 - 1989年(平成元年)5月31日、平成元年全国赤十字大会にて。
  • 「皇室も時代と共に存在し、各時代、伝統を継承しつつも変化しつつ、今日に至っていると思います。この変化の尺度を量れるのは、皇位の継承に連なる方であり、配偶者や家族であってはならないと考えています。伝統がそれぞれの時代に息づいて存在し続けるよう、各時代の天皇が願われ、御心をくだいていらしたのではないでしょうか。きっと、どの時代にも新しい風があり、またどの時代の新しい風も、それに先立つ時代なしには生まれ得なかったのではないかと感じています」「(皇室観について)私の目指す皇室観というものはありません。ただ、陛下のお側にあって、全てを善かれと祈り続ける者でありたいと願っています」 - 以上、1994年(平成6年)10月20日、還暦文書回答にて、「皇后美智子が天皇とともに皇室に新風を吹き込んだ」という指摘に対して。
  • 「国民の叡智がよき判断を下し、国民の意志がよきことを志向するよう祈り続けていることが、皇室存在の意義、役割を示しているのではないかと考えます」 - 1995年(平成7年)10月20日、誕生日の文書回答にて
  • 「常に国民の関心の対象となっているというよりも、国の大切な折々に、この国に皇室があってよかったと、国民が心から安堵し喜ぶことのできる皇室でありたいと思っています」 - 1996年(平成8年)10月20日、誕生日の文書回答にて。
  • 「不思議な波が、私たちの少し前で何回かとまり、左手の子供たちが、心配そうにこちらを見ておりましたので、どうかしてこれをつなげなければと思い、陛下のお許しをいただいて加わりました」 - 1998年(平成10年)10月20日、誕生日の文書回答にて、長野パラリンピックでのウェーブ参加に関して[107]
  • 「どの時代にも皇后様方のお上に、歴代初めての体験がおありになり(中略)先の時代を歩まれた皇后様方のお上を思いつつ、私にも時の変化に耐える力と、変化の中で判断を誤らぬ力が与えられるよう、いつも祈っています。これからの女性皇族に何を望むかという質問ですが、人は皆個性を持っていることであり、どなたに対しても類型的な皇族像を求めるべきではないと思います」 - 2002年(平成14年)10月20日、誕生日の文書回答にて[33]
  • 清子は、私が何か失敗したり、思いがけないことが起こってがっかりしているときに、まずそばに来てドンマーインと、のどかに言ってくれる子どもでした」 - 2005年(平成17年)10月20日、誕生日文書回答にて、数日後に控えた清子内親王の降嫁を前に[108]
  • 東宮妃の公務復帰については、専門医の診断を仰ぎながら、妃自身が一番安心できる時を待って行われることが大切だと思います。あせることなく、しかし、その日が必ず来ることに希望をもって、東宮妃も、また東宮も、それまでの日々、自分を大切にして過ごしてほしいと祈っています」 - 2006年(平成18年)10月20日、誕生日の文書回答にて[109]
  • 「(かくれみのを用いて)混雑する駅の構内をスイスイと歩く練習をし、その後、学生のころよく通った神田や神保町の古本屋さんに行き、もう一度長い時間をかけて本の立ち読みをしてみたいと思います」 - 2007年(平成19年)5月14日、欧州諸国歴訪前の記者会見にて、「身分を隠し好きなところで一日を過ごすとしたら」という問いに対し[110]
  • 「皇太子妃の健康についての質問ですが(中略)妃は皇太子にとり、また、私ども家族にとり、大切な人であり、『妃の快復を祈り、見守り、支えていきたい』という、私の以前の言葉に変わりはありません」
  • 「このごろ愛子と一緒にいて、もしかしたら愛子と私は物事や事柄のおかしさの感じ方が割合と似ているのかもしれないと思うことがあります。周囲の人のちょっとした言葉の表現や、話している語の響きなど、『これは面白がっているな』と思ってそっと見ると、あちらも笑いを含んだ目をこちらに向けていて、そのようなとき、とても幸せな気持ちになります。思い出してみると、眞子や佳子が小さかったころにも、同じようなことが、たびたびありました」 - 2008年(平成20年)10月20日、誕生日の文書回答にて[111]
  • 「このたびも私はやはり感謝状を、何かこれだけでは足りないような気持ちがいたしますが、心を込めて感謝状をお贈り申し上げます」 - 2009年(平成21年)4月8日、結婚50周年記者会見にて。先の25周年記者会見での発言をふまえ[112]
  • 「東宮も秋篠宮も孫として昭和天皇のおそばで過ごす機会をたびたびにいただき、また成人となってからは、陛下をお助けするなかでそのお考えに触れ、日々のお過ごしようをつぶさに拝見し、それぞれの立場への自覚を深めてきたことと思います。これからも二人がお互いを尊重しつつ、補い合って道を歩み、家族も心を合わせてそれを支えていってくれることを信じ、皇室の将来を、これからの世代の人々の手にゆだねたいと思います」 - 2009年(平成21年)11月11日、天皇即位20年に際する記者会見にて[113]
  • 「これがミクちゃんですか」 - 2013年(平成25年)8月20日六本木ヒルズ森美術館でのLOVE展にて[114]
  • 「80年前、私に生を与えてくれた両親はすでに世を去り、私は母の生きた齢(とし)を越えました。嫁ぐ朝の母の無言の抱擁の思い出とともに、同じ朝『陛下と殿下の御心に添って生きるように』と諭してくれた父の言葉は、私にとり常に励ましであり指針でした。これからもそうあり続けることと思います」 - 2014年(平成26年)10月20日、皇后誕生日に際し、80年の傘寿を迎えて[115]

譲位(上皇明仁の退位)に関して

  • 8月に陛下の御放送があり、現在のお気持ちのにじむ内容のお話が伝えられました。私は以前より、皇室の重大な決断が行われる場合、これに関わられるのは皇位の継承に連なる方々であり、その配偶者や親族であってはならないとの思いをずっと持ち続けておりましたので、皇太子秋篠宮ともよく御相談の上でなされたこの度の陛下の御表明も、謹んでこれを承りました。ただ、新聞の一面に『生前退位』という大きな活字を見た時の衝撃は大きなものでした。それまで私は、歴史の書物の中でもこうした表現に接したことが一度もなかったので、一瞬驚きと共に痛みを覚えたのかもしれません。私の感じ過ぎであったかもしれません。」- 2016年(平成28年)10月20日、82歳の皇后誕生日に際しての宮内記者会の質問に対する文書回答[116]より。
  • 陛下の御譲位については、多くの人々の議論を経て、この6月9日、国会で特例法が成立しました。長い年月、ひたすら象徴のあるべき姿を求めてここまで歩まれた陛下が、御高齢となられた今、しばらくの安息の日々をお持ちになれるということに計りしれぬ大きな安らぎを覚え、これを可能にして下さった多くの方々に深く感謝しております。」 - 2017年(平成29年)10月20日、83歳の皇后誕生日に際しての宮内記者会の質問に対する文書回答[117]より。
  • 「約30年にわたる、陛下の『天皇』としてのお仕事への献身も、あと半年程で一つの区切りの時を迎えます。これまで『全身』と『全霊』双方をもって務めに当たっていらっしゃいましたが、加齢と共に徐々に『全身』をもって、という部分が果たせなくなることをお感じになり、政府と国民にそのお気持ちをお伝えになりました。5月からは皇太子が、陛下のこれまでと変わらず、心を込めてお役を果たしていくことを確信しています。」
  • 「陛下は御譲位と共に、これまでなさって来た全ての公務から御身を引かれますが、以後もきっと、それまでと変わらず、国と人々のために祈り続けていらっしゃるのではないでしょうか。私も陛下のおそばで、これまで通り国と人々の上によき事を祈りつつ、これから皇太子皇太子妃が築いてゆく新しい御代の安泰を祈り続けていきたいと思います。」
  • 「24歳の時、想像すら出来なかったこの道に招かれ、大きな不安の中で、ただ陛下の御自身のお立場に対するゆるぎない御覚悟に深く心を打たれ、おそばに上がりました。そして振り返りますとあの御成婚の日以来今日まで、どのような時にもお立場としての義務は最優先であり、私事はそれに次ぐもの、というその時に伺ったお言葉のままに、陛下はこの60年に近い年月を過ごしていらっしゃいました。義務を一つ一つ果たしつつ、次第に国と国民への信頼と敬愛を深めていかれる御様子をお近くで感じとると共に、新憲法で定められた『象徴』(皇太子時代は将来の『象徴』)のお立場をいかに生きるかを模索し続ける御姿を見上げつつ過ごした日々を、今深い感慨と共に思い起こしています。」
  • 「皇太子妃、皇后という立場を生きることは、私にとり決して易しいことではありませんでした。与えられた義務を果たしつつ、その都度新たに気付かされたことを心にとどめていく - そうした日々を重ねて、60年という歳月が流れたように思います。学生時代よく学長が『経験するだけでは足りない。経験したことに思いをめぐらすように』と云われたことを、幾度となく自分に云い聞かせてまいりました。その間、昭和天皇香淳皇后の御姿からは計り知れぬお教えを賜り、陛下には時に厳しく、しかし限りなく優しく寛容にお導き頂きました。3人の子ども達は、誰も本当に可愛く、育児は眠さとの戦いでしたが、大きな喜びでした。これまで私の成長を助けて下さった全ての方々に深く感謝しております。」
  • 「陛下の御譲位後は、陛下の御健康をお見守りしつつ、御一緒に穏やかな日々を過ごしていかれればと願っています。そうした中で、これまでと同じく日本や世界の出来事に目を向け、心を寄せ続けていければと思っています。例えば、陛下や私の若い日と重なって始まる拉致被害者の問題などは、平成の時代の終焉と共に急に私どもの脳裏から離れてしまうというものではありません。これからも家族の方たちの気持ちに陰ながら寄り添っていきたいと思います。」
  • 「先々には、仙洞御所となる今の東宮御所に移ることになりますが、かつて30年程住まったあちらの御所には、入り陽の見える窓を持つ一室があり、若い頃、よくその窓から夕焼けを見ていました。3人の子ども達も皆この御所で育ち、戻りましたらどんなに懐かしく当時を思い起こす事と思います。」
  • 「赤坂に移る前に、ひとまず高輪の旧高松宮邸であったところに移居いたします。昨年、何年ぶりかに宮邸を見に参りましたが、両殿下の薨去よりかなりの年月が経ちますのに、お住居の隅々まできれいで、管理を任されていた旧奉仕者が、夫妻2人して懸命にお守りして来たことを知り、深く心を打たれました。出来るだけ手を入れず、宮邸であった当時の姿を保ったままで住みたいと、陛下とお話しし合っております。」
  • 「公務を離れたら何かすることを考えているかとこの頃よく尋ねられるのですが、これまでにいつか読みたいと思って求めたまま、手つかずになっていた本を、これからは1冊ずつ時間をかけ読めるのではないかと楽しみにしています。読み出すとつい夢中になるため、これまで出来るだけ遠ざけていた探偵小説も、もう安心して手許に置けます。ジーヴス[118]も2、3冊待機しています。」
  • 「また赤坂の広い庭のどこかによい土地を見つけ、マクワウリを作ってみたいと思っています。こちらの御所に移居してすぐ、陛下の御田の近くに1畳にも満たない広さの畠があり、そこにマクワウリが幾つかなっているのを見、大層懐かしく思いました。頂いてもよろしいか陛下に伺うと、大変に真面目なお顔で、これはいけない、神様に差し上げる物だからと仰せで、6月の大祓の日に用いられることを教えて下さいました。大変な瓜田に踏み入るところでした[119]。それ以来、いつかあの懐かしいマクワウリを自分でも作ってみたいと思っていました。」
  • 「皇太子、天皇としての長いお務めを全うされ、やがて85歳におなりの陛下が、これまでのお疲れをいやされるためにも、これからの日々を赤坂の恵まれた自然の中でお過ごしになれることに、心の安らぎを覚えています。」
  • 「しばらく離れていた懐かしい御用地が、今どのようになっているか。日本タンポポはどのくらい残っているか、その増減がいつも気になっている日本蜜蜂は無事に生息し続けているか等を見廻り、陛下が関心をお持ちの狸の好きなイヌビワの木なども御一緒に植えながら、残された日々を、静かに心豊かに過ごしていけるよう願っています。」 - 2018年(平成30年)10月20日、84歳の皇后として最後の誕生日に際しての宮内記者会の質問に対する文書回答[120]より。

注釈

  1. ^ ただし、それ以前にも民間出身の皇后は多数存在する。皇族以外で初めて立后したのは、奈良時代の聖武天皇の后の光明皇后(藤原光明子)である。光明皇后は父親が藤原不比等、母親が県犬養橘三千代の、いずれも民間人の子である。それ以降、公家から皇后・中宮を出す慣例ができた。しかし、民間人の前例があるとはいえども、「庶民」から立后したのは上皇后美智子が初めてだと思われる。
  2. ^ 皇族かつ非華族、旧士族以下の意。ただし、実家の正田家は源義家の孫新田義重の重臣生田重幸の子孫と伝わっており、南北朝時代まで遡ると家格は決して低くない[要出典]
  3. ^ 通常は避暑地として使用された秩父宮家の別邸。
  4. ^ 午後2時半過ぎ、祝田橋付近で発生。犯人は長野県上伊那郡長谷村(現伊那市)出身で県立伊那北高校卒業の19歳の浪人生。走って馬車に接近、一発投石した。石は外れたもののさらに馬車の幌部分に飛び乗り、護衛官に押さえつけられ引きずりおろされて警視庁丸の内警察署に逮捕された。この模様はそのままテレビで生中継された。犯人は東京都練馬区の東京少年鑑別所に50日間拘留され、精神鑑定の結果、精神分裂症と診断され、未成年者であったこともあり保護観察処分となり釈放された。
  5. ^ 大正天皇貞明皇后の時代より改革が行われ、続く昭和天皇香淳皇后女官制度廃止(それまでの未婚で住み込みとりやめ、既婚女性に自宅からの通勤制で従事させるなど)・乳母は置いたがほぼ母乳で育てる・内親王を学齢まで手元で育てる等を行った。皇太子明仁親王夫妻の改革もこれに続くものである(1977年(昭和52年):昭和天皇・香淳皇后への那須御用邸での記者会見より)。
  6. ^ 帰国後、旧制雙葉高等女学校に入学するも1929年(昭和4年)に英三郎に嫁す(仲人は大蔵省顧問児玉謙次)。
  7. ^ a b 重幸。生田隼人は当主の代々名。
  8. ^ このビデオ講演は、NHK教育テレビETV特集(現)で、国民一般にも放送され、大きな反響を呼んだ。出雲大社社務所では、皇后の講演全文を小冊子にして、社頭にて一般に頒布(はんぷ)している。
  9. ^ この時の様子は津川雅彦小林よしのりも証言している[1] [2]

出典

  1. ^ 宮内庁公式サイト 英語版
  2. ^ 天皇の退位等に関する皇室典範特例法第四条第二項「上皇后に関しては、皇室典範に定める事項については、皇太后の例による。」
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  18. ^ 講談社『美智子さまと皇族たち』(河原敏明・1994年)44-46頁
  19. ^ あくまで猛反対した理由は「平民に対する差別的な意図」ではなく、「民間の女性が皇室という特殊な世界に嫁ぎ、務めを果たしていくことを危惧してのもの」であったとされる
  20. ^ 朝日新聞』2009年3月9日 「ご成婚パレード「儀装馬車」展示 京都御所の特別公開で」 - ウェイバックマシン(2009年4月16日アーカイブ分)
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  25. ^ a b c (板垣 2006, pp. 34–40)
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  27. ^ 『文藝春秋』昭和62年1月号。 
  28. ^ FOCUS』昭和57年12月3日号
  29. ^ 大内糺 著「皇室の危機-「菊のカーテン」の内側からの証言」、宝島30編集部 編『「皇室の危機」論争』宝島社、1993年11月、5-34頁。ISBN 4-7966-0714-5 
  30. ^ a b c d e 島田雅彦『おことば 戦後皇室語録』新潮社、2005年、192-193頁。ISBN 4-10-362207-5 
  31. ^ a b c (板垣 2006, pp. 196–199)
  32. ^ この時の一連のエピソードは24年後の2019年にて、平成時代における最後の国会での施政方針演説であった、「“平成31年1月28日 第百九十八回国会における安倍内閣総理大臣施政方針演説”. (2019年1月28日). https://www.kantei.go.jp/jp/98_abe/statement2/20190128siseihousin.html 」の冒頭部分で、内閣総理大臣安倍晋三第4次安倍改造内閣)が取り上げた。
  33. ^ a b c d 宮内庁. “皇后陛下お誕生日に際し(平成14年)”. https://www.kunaicho.go.jp/okotoba/01/kaiken/gokaito-h14sk.html 2019年6月25日閲覧。 
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  35. ^ 宮内庁、宮中三殿祭祀と両陛下のご健康問題・天皇皇后両陛下のご健康問題について - ウェイバックマシン(2008年10月20日アーカイブ分)
  36. ^ 『バザードラボ』2015年07月30日 09時39分「美智子皇后 心筋虚血の疑いで精密検査へ」
  37. ^ 江戸時代後期にあたる1817年5月7日(旧暦:文化14年3月22日)の光格天皇から仁孝天皇への譲位以来
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  109. ^ 宮内庁、2006年10月、皇后陛下お誕生日に際し(平成18年)
  110. ^ 宮内庁、2007年5月、ヨーロッパ諸国ご訪問に際し(平成19年)
  111. ^ 宮内庁、2008年10月、皇后陛下お誕生日に際し(平成20年)
  112. ^ 宮内庁、2009年4月、天皇皇后両陛下御結婚満50年に際して(平成21年)
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  115. ^ 宮内庁にて(2014年10月20日)皇后陛下お誕生日に際し(平成26年)
  116. ^ (2016年10月20日)皇后陛下お誕生日に際し(平成28年)
  117. ^ (2017年10月20日)皇后陛下お誕生日に際し(平成29年)
  118. ^ イギリスの作家P・G・ウッドハウスによる探偵小説「ジーヴスの事件簿」に登場する執事ジーヴス。
  119. ^ 広く知られている言い習わしに「瓜田に履を納れず」(瓜畑で靴を履き直すと瓜を盗むのかと疑われるのですべきではないとの意から、疑念を招くような行為は避けるようにとの戒め)がある。
  120. ^ (2018年10月20日)皇后陛下お誕生日に際し(平成30年)





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