しん‐うち【真打/心打】
真打
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真打(しんうち)
注釈
- ^ 実例として立川キウイのケースがある。家元の談志が存命時ではあったが、キウイの著書『万年前座』を談志が評価する形で昇進試験を免除され、真打に昇進となっている[4]。
- ^ 小福の師匠である初代雷門福助が戦後東京を離れて、名古屋で旅館を経営する傍ら、地元の大須演芸場の高座に上がるようになったことも背景とされる。
- ^ (江戸落語家の)慣習として師匠が死去した場合、二ツ目以下の弟子は他の真打の門下に移籍する事が通例となっていることから、一門の中心として獅篭を「真打」に据えることで、なごや雷門一門を守るという意図もあったとみられる。
- ^ これらの事実は、獅篭が師匠である小福の没後にコラムで言及している[11]。その後、獅篭には2018年に入門した登龍亭獅鉄(旧名:雷門獅鉄)、2021年に入門した登龍亭篭二、2023年に入門した登龍亭篭登と三人の弟子がおり、獅篭の弟弟子の登龍亭幸福に2022年に入門した登龍亭幸吉も含め、いずれも「前座」の身分を称している(前座修業を終えた獅鉄は2021年11月に年季明けしている)。
- ^ 六代目文枝が三枝当時に2006年4月中席(11~20日)の鈴本演芸場・夜の部の興行で主任を務めた例がある[13]。文枝を襲名してからは2024年6月中席(11~20日)の鈴本演芸場・昼の部の興行で主任を務める予定となっている。いずれも落語協会の定席興行の枠内で行われている。
- ^ 3月に1969年入門の小遊三を抜擢真打とし、小遊三の前に入門していた二代目柳亭小痴楽、五代目三遊亭圓雀、五代目春風亭柳條、古今亭寿輔、四代目春雨や雷蔵、三笑亭夢之助、桂京丸が1か月遅れで真打に昇進している。
- ^ 後述する芸協内の落語家と講談師の香盤序列が整理される以前は、講談師としての香盤序列は守られる一方で、芸協内の当時の香盤上では9人抜きとなっていた。
- ^ 吉幸は芸協で二ツ目昇進後は3年で真打に昇進しており、落語立川流での修業期間(約17年)も算入された形で、形式的ではあるが当時の香盤で28人追い抜く形で真打に昇進している。もっとも吉幸が芸協で前座修業中の2015年10月に、かつての弟弟子(当時の二代目快楽亭ブラック門下)であった立川左平次、立川志ら玉が落語立川流で先に真打に昇進している[20]。
- ^ 圓生が会長に就任した1965年8月以降、退任する1972年3月までの約7年の間に真打に昇進できたのは9人に留まった。
特に自身の弟子であった三遊亭さん生(後の川柳川柳)や三遊亭好生(後の春風亭一柳)は、後から八代目春風亭柳枝の死去により圓生門下へ移籍した三遊亭吉生改メ六代目三遊亭圓窓(1969年真打昇進)、同じく八代目柳枝門下から移籍した三遊亭圓弥(1972年真打昇進)、さらに林家こん平(1972年真打昇進)と、香盤が下位だった者に相次いで追い抜かれるなど冷遇を受けている。
一方で人気先行型であったこん平の真打昇進は、圓生にとって自身の昇進基準と相容れずに承服しがたかったが「三平の弟子なので(仕方がなく)」という理由で渋々昇進を認めたとされる[21]。 - ^ 柳家かゑる(現:五代目鈴々舎馬風)、三升家勝彌(後の七代目三升家小勝)、橘家圓平、三遊亭さん生(後の川柳川柳)、三代目吉原朝馬、柳家小のぶ、三升家勝二(現:八代目三升家小勝)、桂小益(現:九代目桂文楽)、林家枝二(後の七代目春風亭栄枝)、柳家さん吉。
- ^ (初代)林家木久蔵(現:林家木久扇)、三遊亭好生(後の春風亭一柳)、桂文平(現:六代目柳亭左楽)、四代目三遊亭歌笑、三遊亭生之助、橘家三蔵、柳家小きん(後の六代目柳家つば女)、三遊亭歌雀(後の三代目三遊亭歌奴)、柳家さん弥(後の二代目柳家小はん)、金原亭桂太(現:金原亭伯楽)。
- ^ 大量真打が諮問された理事会では、談志が「(圓生)自身が認めるもの」という圓生の判断基準を「論理が成り立たない」と疑義を呈しているほか、五代目圓楽も圓生が「五代目橘家圓好」として昇進した当時の評(芸が拙く、継父である五代目圓生の強い引き立てもあり真打に昇進できた)を暗に持ち出し「本当にお客様が納得したんですか?」と問うと、圓生は「お前、痛い事を言うなよ」と苦々しく答えている[22]。
- ^ 圓生は弟子のさん生、好生の真打昇進決定に最後まで抵抗し、二人の昇進披露のパーティーや披露興行の口上には一切出席しなかったとされる[21]。
- ^ もっとも、1973年の真打大量昇進後は、1978年までの真打昇進者は6人に留まり、二ツ目が滞留し始めていたことで、再び大量の真打昇進を行うかどうかの是非が背景にあった。
- ^ 柳家さん喬、六代目五街道雲助、七代目むかし家今松、三遊亭歌司、金原亭駒三郎改メ二代目金原亭馬の助、橘家竹蔵、三遊亭旭生改メ三遊亭圓龍。
- ^ 林家九蔵(現:三遊亭好楽)、柳家さん八、柳家さん治改メ柳家小袁治、立川談十郎改メ十代目土橋亭里う馬。
- ^ 1980年の第1回の真打昇進試験の対象者は20名であり、16人が試験を受験した一方で4名が受験しなかった。明らかになっている不受験者として初代古今亭志ん五がいる(志ん五は翌1982年11月に真打に昇進した)。
- ^ 立川談四楼、立川小談志(のちの喜久亭寿楽)。
- ^ 合格者は林家源平、柳家小里ん、蝶花楼花蝶(後の七代目蝶花楼馬楽)、林家正雀(抜擢での試験受験で合格)の4名で、談志が特に問題視したのは力量的に劣ると見られた源平の合格であった。
- ^ この試験では、初代林家三平の長男で当時は「親の七光り」と揶揄されていた林家こぶ平(現:九代目林家正蔵)が合格していた事も席亭らの反動を生む形となった。
ただし、同時に試験を受けて合格した三遊亭きん歌(歌之介を経て現:四代目三遊亭圓歌、きん歌は抜擢試験組)によれば、志ん八は試験会場に来るのも遅れ、噺の出来も明らかに不出来であったという。原因はその前夜に兄弟子達が前祝いと称して遅くまで飲ませたとされている[25]。
また、試験の当事者となった小さんも「志ん八については採点は間違いなかったと思う。出来はあんましよくなかったよ。あんときゃ、きん歌やこぶ平の方が光ってた。こりゃ剣道の試験の時と同じで、志ん八は本当の実力が出なかったのかもしれない」と語っている[26]。 - ^ 2023年10月に改修のため一時閉場となった後は「国立演芸場主催興行」という形で紀尾井小ホールを代替として公演を行う。
- ^ 落語協会は大須演芸場の定席興行に組み込む形で、落語芸術協会は年数回の貸席興行『芸協らくご名古屋寄席』の中に組み込む形で実施する。
- ^ 落語協会の場合、他の襲名披露興行などが入る関係で春・秋のいずれかが行われないケース(例:2023年は春に「五代目江戸家猫八襲名披露興行」を実施したため、真打昇進披露は9月のみとなった)がある。また、落語芸術協会では、2019年9月の三代目柳亭小痴楽、2020年2月の六代目神田伯山、2021年2月の桂宮治の真打昇進披露興行などが該当する。
- ^ 立川晴の輔は番組内で不定期に行われる「若手大喜利」コーナーのレギュラー出演者であったことから、番組内で真打昇進披露を行っている。また、2009年11月15日放送回では円楽一門会の2名(三遊亭大楽・三遊亭王楽)とともに立川志遊が昇進披露を行っており、立川ぜん馬とともに出演している。
- ^ 同年7月までの真打昇進者が対象。落語芸術協会:桂翔丸、春風亭吉好、柳亭明楽、落語立川流:立川小春志、五代目円楽一門会:錦笑亭満堂。落語協会はこの時点で真打昇進の対象者(同年9月より4名が真打昇進)がいないため、出演がなかった。
- ^ ただし、漫才協会所属芸人のうち正式に「真打ち」となっていないコンビも、定席のトリ(主任)を務めたり、弟子を採ったりしている(例:おぼん・こぼんなど)。また、死別などによりコンビが解散しピン芸人となった場合でも、実質的に「真打ち」と変わらない扱いを受けることがある(例:内海好江没後の内海桂子、Wコロン解散後のねづっちなど)。詳細は漫才協会#真打ち制度を参照。
- ^ 香盤は日本講談協会での序列に準ぜられるため、真打の序列は松鯉、陽子、紫、紅、山陽、京子、鯉栄、蘭、伯山、伯知(伯知については芸協での昇進披露は2024年5月に予定)。
- ^ 例外としては六代目神田伯山の真打昇進・襲名披露興行で、芸協における例年の披露興行の時期(通常は5月)から外れた2月に単独で行われる昇進披露であったこともあり、芸協での披露が先行して行われた。
- ^ 四代目宝井琴柳、四代目宝井琴調(以上、講談協会所属)、神田茜(日本講談協会所属)の3名のみ(2023年5月現在)。
- ^ 三遊亭王楽のYouTubeチャンネルにおける玉川太福の発言より[36]。
出典
- ^ 三重)「村正」の忠実な写しを制作へ ネットで資金募る - 朝日新聞デジタル
- ^ 小狐の太刀の話 - 福井市立郷土歴史博物館
- ^ 立川流の「二つ目、真打ちへの昇進基準」はなぜ厳しかったか 大事なことはすべて立川談志に教わった(立川談慶) - 一個人 2018年5月30日
- ^ 前座16年立川キウイ真打ちにスピード昇格 - nikkansports.com 2010年3月27日
- ^ a b 朝日新聞デジタル:真打ち選び、基準は実力?年季? 東京落語で試行錯誤 - 朝日新聞デジタル(アーカイブ)2012年5月16日
- ^ 吉川潮『戦後落語史』新潮社、2009年12月20日、205頁。ISBN 9784106103438。
- ^ a b c d 協会員プロフィール - 落語芸術協会
- ^ “円楽 落語芸術協会に加入 落語界“統一”へ一歩”. デイリースポーツ. (2017年6月28日) 2017年7月6日閲覧。
- ^ 2019年度真打昇進について - 落語芸術協会 2019年12月28日
- ^ 東方落語とは? - 東方落語ホームページ
- ^ 『長屋の花見』の巻 | 達人に訊け! - 中日新聞プラス 2016年4月8日(アーカイブ分)
- ^ a b 「真打ち」がいない上方落語、若手の実力認定の取り組み…桂三枝会長時代には模索したが実現せず - 読売新聞 2024年3月17日
- ^ 『東京かわら版 平成18年4月号 東京寄席案内』東京かわら版、2006年3月28日、46頁。
- ^ 「上方落語・噺家成人式」公演、入門から15年となる落語家を対象 真打制度導入は継続審議 - 日刊スポーツ 2024年3月25日
- ^ 令和6年 春 真打昇進決定 - 一般社団法人 落語協会 2023年4月1日
- ^ 落語協会、12年ぶり抜てき真打ち 次世代ホープの林家つる子、三遊亭わん丈が来年3月昇進 - スポーツ報知 2023年4月1日
- ^ 弘文出版『落語』1988年第27号特大号 P16-P17より
- ^ 令和三年二月 桂 宮治 真打昇進について - 落語芸術協会 2020年3月17日
- ^ 昇太会長が決断「新しいスターを」29年ぶり抜てき真打ち誕生 来年2月に桂宮治が5人抜き昇進 - スポーツ報知 2020年3月17日
- ^ 真打ち目前で前座に逆戻り 数奇な運命を歩んだ立川吉幸が来年5月に真打ち昇進決定 - スポーツ報知 2018年8月6日
- ^ a b c 川柳川柳『ガーコン落語一代』P145、P151-154より。
- ^ a b c 弘文出版『落語』1988年第27号特大号 P10-12より
- ^ a b 弘文出版『落語』1988年第27号特大号 P13より
- ^ 弘文出版『落語』1988年第27号特大号 P15より
- ^ 三遊亭歌之介『月ば撃つぞ!落語家歌之介がゆく』、うなぎ書房、ISBN 978-4-901174-27-5、2009年、199-200ページ
- ^ 弘文出版『落語』1988年第27号特大号 P14より
- ^ 吉川潮『戦後落語史』P124-125より。
- ^ 蝶花楼桃花 真打昇進から4カ月の落語協会史上最速で初トリ決定 - デイリースポーツ online 2022年6月10日
- ^ 立川こはる、令和5年5月5日に真打ち昇進「魔法をかけられる人になりたい」立川流初の女性真打ち - スポーツ報知 2022年11月20日
- ^ 日記「真打昇進披露興行大初日」 - 九代目春風亭柳枝オフィシャルブログ「柳枝の一筆啓上」Powered by Ameba 2021年3月22日
- ^ 『東京かわら版 2022年5月号』東京かわら版、2022年4月28日、27頁。ISBN 9784910085210。
- ^ 芸協新真打2024年挨拶回りと空治さん二ツ目昇進! - 桂鷹治の「語る詞す」 噺家・桂鷹治のオフィシャルブログ 2024年3月1日
- ^ 新真打5人の「高座扇・口上書き」お求めのご案内 - 三遊亭丈助オフィシャルブログ 2020年4月15日
- ^ 令和四年秋 真打昇進襲名披露興行 祝扇会ご報告 - 十代目入船亭扇橋公式ウェブサイト
- ^ コロナ禍でできること、できないこと…知恵と配慮の真打ち昇進披露宴 - 読売新聞オンライン 2022年4月22日
- ^ (日本語) 【玉川太福の世界③】浪曲の世界に真打制度ってあるの?浪曲で新作をする上で心掛けている事とは? 2024年5月5日閲覧。
真打ち
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 16:50 UTC 版)
「海賊 (ONE PIECE)」の記事における「真打ち」の解説
百獣海賊団の幹部格。傘下に加えた海賊も、腕の立つ者は真打ちの称号を得る場合がある。メンバーの名前の多くはトランプゲームの名前に由来する。
※この「真打ち」の解説は、「海賊 (ONE PIECE)」の解説の一部です。
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