柳家さん八とは? わかりやすく解説

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柳家さん八

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/24 20:53 UTC 版)

柳家 さん八(やなぎや さんぱち)は、落語家名跡。当代は二代目。


二代目 柳家 やなぎや さん ぱち
Yanagiya Sanpachi the 2nd

柳家さん八定紋「つたの葉」
本名 清水 しみず 聰吉 そうきち
生年月日 (1944-10-03) 1944年10月3日(79歳)
出身地 日本東京都江戸川区
師匠 七代目立川談志
五代目柳家小さん
名跡 1. 柳家そう助
(1966年 - 1971年)
2. 二代目柳家さん八
(1971年 - )
出囃子 東雲節
活動期間 1966年 -
活動内容 落語家
所属 落語協会
受賞歴
国立花形演芸会賞金賞(1981年)
備考
落語協会理事付役員
(2001年 - 2006年)
落語協会監事
(2006年 - 2020年)
落語協会相談役
(2020年 - )

二代目柳家 さん八1944年10月3日 - )は、東京都江戸川区平井出身の落語家落語協会所属で、同協会の相談役。本名∶清水 聰吉出囃子は『東雲節』。

来歴

江戸川区立松江第二中学校、東京都立江東工業高等学校を卒業後、印刷会社に入社して約3年間勤務した。その後親の反対を押し切り七代目立川談志に入門、柳家そう助を名乗るが破門になる。1966年12月に五代目柳家小さんに再入門。翌年6月に前座となる。前座名はそのまま「そう助」。

1971年11月三遊亭歌司金原亭駒三郎橘家竹蔵三遊亭歌橘三遊亭楽松林家九蔵三遊亭朝治と共に二ツ目昇進し、さん八と改名。1980年に第一回真打認定試験に合格し1981年9月林家九蔵柳家小袁治十代目土橋亭里う馬と共に真打昇進。また、国立花形演芸会賞金賞を受賞。

2001年10月に落語協会理事付役員に就任し、2006年6月に落語協会監事に転任した。2020年に監事を退任し、落語協会相談役となる。

芸歴

人物

三遊亭歌司三遊亭圓丈古今亭志ん駒柳家さん遊柳家小団治三遊亭圓龍むかし家今松古今亭志ん五金原亭馬の助橘家竹蔵柳家小袁治と共に同期会「落友舎」を結成している。

役職

活動

古典落語、世話講談、そして『私落語』と題した創作落語を演じる。創作落語(実録噺)の中には、東京大空襲をテーマにした『私は見ていた?東京大空襲 夜話』がある[2]。 1980年代には田中角栄福田赳夫大平正芳物真似でもテレビで人気を博した。

著書

  • 八っつぁんの落語一代記 噺家の来た道、日本の来た道(2015年1月7日、彩流社)- 共著・清水しゅーまい

脚注

  1. ^ 協会概要”. 落語協会 (2022年6月29日). 2022年9月13日閲覧。
  2. ^ 落語で平和憲法考える “禁演”にしちゃいけません 演目は東京大空襲”. しんぶん赤旗. 日本共産党 (2006年5月3日). 2020年10月21日閲覧。

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