K3脱走事件
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2004年11月13日午前9時30分ごろ、被疑者・被告人K3は拘置されていた福岡県久留米警察署から福岡地検久留米支部(久留米市篠山町)に移送された。この時、護送車を運転していたのは大牟田署刑事課巡査長(当時27歳)で、大牟田署警備課巡査部長(当時49歳)大牟田署警備課巡査長(同25歳)がそれぞれK3に付き添っていたが、3人はいずれも留置管理担当者ではなかった。 その後K3は同所で検察官による取り調べを受けていた。元力士で大柄なK3の逮捕後は、機動隊員2人を大牟田署に派遣し護送などの応援に当たらせていた。 K3は福岡県警から「特別要注意者」に指定され留置場では機動隊員も監視に加わることになっていたが、護送業務は通常体制だった。またK3は機動隊員の同行を嫌がり反抗することが多かったため、護送を担当した3人はこの日、同行を断っていた。 17時過ぎ、K3と大牟田署員3人の計4人は夕食を摂るため被疑者の待機・休憩に使われる検察庁舎3階の「同行室」に移動した。この時、同行室の鍵を開けたのは地検支部の事務官だった。事務官から鍵を手渡されなかったことなどから3人は「扉は施錠しないでおくものだ」と思い込み、誰も鍵を取りにいかなかった。地検支部は当時建て替え中で仮庁舎に移転していたが、旧庁舎の同行室の扉は施錠できない構造だった。 K3は両手から手錠を外され正面奥に座り、その左隣に巡査部長、扉の左右に巡査長2人がそれぞれ椅子に座った。この時、巡査長の1人が室外に右足を出した状態だったがK3の腰縄は誰も持っておらず、床に放置していた。 17時40分ごろ、K3は大牟田署員3人の付き添いの下、同行室にて夕食の弁当を食べていた。弁当を食べ始めた当初は署員1人が室外にいたが、K3から「一緒に食べよう」と誘われ全員が室内に入ってしまった。 弁当を食べ始めてから約10分後、署員より早く弁当を食べ終えたK3は室内をうろつき始め「部屋が暑い。エアコンを調整したい」と言った。そしてまだ食事中の巡査長2人の間をすり抜け、いったんオートロックの扉の外に出た。エアコンのリモコンは隣の事務室にあったため、大牟田署員1人がK3に付き添い隣室に向かった。エアコンのリモコンを取り扉近くに戻ったところ、K3が「(操作は)1人でできる」と言ったため、警察官が先に隣室を出て同行室に戻った。 K3は脚を出していた巡査長に対し「眼鏡を貸してくれ」と言った。巡査長が眼鏡を差し出すと、K3は眼鏡をかけるふりをして同行室内に投げ入れ、巡査長が足をひっこめた瞬間、同行室のオートロックの鉄格子扉を閉め3人を閉じ込めた。 福岡県警の被留置者管理規定によれば、食事をする間を含め同行室に被留置者を入れた際は警察官は自動的に施錠される同行室の扉を閉め、隣の小部屋で待機し外から監視を続けることとなっていた。 しかし警察官は鍵を持たず3人とも同行室に入った上、扉を完全に閉めていなかった状態で、室外で待機していた者はいなかった。その上、同行室から退出することなくK3と一緒に食事を摂るという「内規違反に油断が重なる」事態が逃走につながった。2004年11月26日、K3が福岡地検久留米支部の仮庁舎から逃走した際の詳細な経緯が判明した。 警察官は室内から解錠する鍵を持っていなかったためドア越しに説得したが、K3は腰縄を外しながら「担当者さん、悪い」「俺は(強盗殺人などを)やっていない。死刑になるかもしれないから逃げる」「3日経ったら戻ってくる」と言い残し、階段を降り履いていたスリッパを1階に残したまま裸足で検察庁舎から逃走した。これを受け、警察官は携帯電話で110番通報しK3が逃走したことを知らせた。 K3は脱走から約15分後の17時55分、地検支部から南へ約800mの久留米市本町の福岡県道23号久留米柳川線で待機中のタクシーに客を装って乗り込んだ。そしてタクシー運転手に対し「3日ほど暴力団に監禁されていて脱走してきた。金は知人に持ってこさせるから柳川市方面に行ってくれ」と指示した。 このタクシー運転手は裸足だったK3の「ヤクザから逃げてきた」という言葉を信じ込み、「組から逃げてきたな」と思っただけで特に不審には思わなかったという。運転手は普段車中でラジオを流していたが、後述のようにK3に自分の携帯電話を貸し通話させていたため音量を小さくしていた。そのため運転していたタクシーが後述のように警察官に取り囲まれるまで、客だと思って乗車させたK3の正体にまったく気づかなかったという。 また、タクシー運転手によればこの時のK3は「タクシー料金のみならず、途中に立ち寄ったコンビニエンスストアで運転手が購入したペットボトルのお茶代なども含めきちんと料金を払おうとしており、普通の客より丁寧な口ぶりだった」という。 柳川市の沖端川河口付近に到着後、K3は運転手に対し「熊本県玉名郡南関町経由で大牟田市に向かってくれ」と指示した上で「(大牟田市内の)幹線道路は見張りがいるから行けない。裏道を知らないか」と尋ねた。 その後K3は運転手の携帯電話を借り、知人と数十回にわたり「金を貸してくれ」「もうすぐ着く」などと連絡を取り、タクシー料金として現金を届けるように要請していた。 逃走から約3時間後の20時50分ごろ、地検支部から南に約35km離れた熊本県荒尾市上井手の駐車場に到着した際、タクシー料金が20400円に達していた。そのような中、K3はタクシーからいったん下車し、車外で電話をかけた。 しかしK3が車内に戻ったところ数人の捜査員がタクシーを取り囲んだ。K3は当初後部座席でドアを開けさせまいと抵抗したが、観念した様子で車外に出て警察に取り押さえられた。 福岡県警が通話記録などを調べた結果、携帯電話でK3とやり取りしていた相手は、父K1の配下の暴力団組員だった。K3は2005年(平成17年)1月4日に大牟田署から単純逃走罪で福岡地検久留米支部へ書類送検され、2005年1月11日に福岡地検久留米支部からへ福岡地裁久留米支部に追起訴された。
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