ゾンド2号
分類:月・惑星探査
名称:ゾンド2号(Zond2)
小分類:火星探査
開発機関・会社:ソ連
運用機関・会社:ソ連
打ち上げ年月日:1964年11月30日
運用停止年月日:1965年4月
打ち上げ国名:ソ連
打ち上げロケット:ソユーズA-2-e
打ち上げ場所:バイコヌール宇宙基地
ゾンド(探測器の意味)2号は、火星1号が失敗した翌々年に打ち上げられた火星探査機ですが、やはり打上げから半年ほどした1965年4月に地球との交信が途絶えてしまいました。ゾンド2号自体は誘導には成功して、1965年8月には火星に約1,500kmまで近づきましたが、なんのデータももたらしませんでした。ソ連がこの頃打ち上げた火星探査機は、すべて失敗に終っています。
1.どんな形をして、どんな性能を持っているの?
円筒形に2枚の太陽電池板。打ち上げ重量は約1,150kg。
2.どんな目的に使用されたの?
火星の接近観測と着陸カプセルを送るために打ち上げられました。
3.宇宙でどんなことをし、今はどうなっているの?
1965年4月火星接近を前にして通信が途絶えました。
4.打ち上げ・飛行の順序はどうなっているの?
パーキング軌道から火星への太陽中心軌道へ。1965年8月8日火星の約1,500km近傍を通過しました。
ゾンド2号
(Zond 2 から転送)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/29 04:39 UTC 版)
ゾンド2号 (Зонд-2) | |
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NASAによる画像
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国際標識番号 | 1964-078C |
カタログ番号 | 00945 |
状態 | 運用終了 |
目的 | 惑星探査・技術試験 |
観測対象 | 火星 |
打上げ機 | モルニヤ |
打上げ日時 | 1964年11月29日 13時12分(UTC) |
最接近日 | 1965年8月6日 |
通信途絶日 | 1965年5月5日 |
物理的特長 | |
質量 | 890 kg |
姿勢制御方式 | 三軸制御 |
ゾンド2号(ロシア語: Зонд-2)とは、1964年にソビエト連邦が打上げた火星探査機である。技術試験と火星観測を目的としていたが、火星到達前に通信が途絶えたため後者の目的は果たせなかった。
設計
ゾンド2号の重量は890 kgで、設計は先に打上げられたマルス1号を踏襲した。変更点として火星大気圏に突入する降下機が追加され、プラズマイオンエンジンの試験機6基を予備の姿勢制御エンジンとして搭載した[1]。
飛行
ゾンド2号は1964年11月30日にカザフスタンバイコヌール宇宙基地より、チャジョールイ・スプートニクとして高度153x219 kmの宇宙待機軌道へ打上げられ、その後火星へ向かう軌道に投入された。2枚の太陽電池パネルの片方が故障し、電力が半分しか得られなかったため、火星へ飛行途中の観測を中止するなど計画は制限を受けた[2]。
1964年12月8 - 18日にプラズマエンジンの試験が行われ、宇宙空間での動作が実証された[1]。1965年初めには軌道修正を行い火星より数千 km以内を通過する軌道に乗った。しかし同年4月から通信システムが異常を示し始め、5月5日に交信不可能となった[2]。探査機は同年8月6日に火星から1500 kmの距離を通過し太陽周回軌道に入ったが、惑星観測は行えなかった。
ゾンド2号打上げ直前の1964年11月28日、アメリカ火星探査機マリナー4号が打上げられた。マリナー4号はゾンド2号を追越し、7月14 - 15日に火星近接観測を世界で初めて成功させた。
参考文献
関連項目
「Zond 2」の例文・使い方・用例・文例
- こんな暖かい陽気は2月にしては異常だ
- 投票の結果は賛成5, 反対4, 棄権2であった
- 被告人は容疑のうち2つについては無罪となった
- その畑は約2エーカーの面積がある
- 紀元前30年から紀元20年までは50年間です
- 隣り合っている2つの部屋
- 議会は2週間休会になった
- 講演の入場料は2ドルです
- この切符は1枚で2人入れます
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- 7月20日の午後にニューヨークへ立ちます
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