ティー‐ダブリュー‐アール【TWR】
読み方:てぃーだぶりゅーあーる
TWR
イギリスのコンストラクター、レーシングチーム。元ドライバーのトム・ウォーキンショーが1976年に設立し、その後はさまざまな自動車メーカーのレース活動を請け負ってきた。70年代後半にはマツダと提携して、81年のスパ24時間ではRX-7が日本車として初優勝を成し遂げた。また、80年代にはジャガーと組んで、84年にジャガーXJ-SでグループAチャンピオンを獲得。85年からWSPCに挑戦し、88年と90年にはルマンを制した(97年からは日産のルマン挑戦プロジェクトにも参画)。一方、ツーリングカーでは、94年からボルボと組んでBTCCに参戦し、98年にはタイトルを獲得した。97年にアロウズを買収してチーム運営にあたっていたが、財政難に苦しんで2002年で撤退している。レース活動にとどまらず、世界各国の自動車メーカーと契約を結び、高級スポーツカーの限定生産など広範囲の事業も展開している。
TWR
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/08/29 22:02 UTC 版)
TWR
- 東京臨海高速鉄道(Tokyo Waterfront Area Rapid Transit)の略称。
- 管制塔(コントロールタワー)のこと。航空交通管制を参照。
- トム・ウォーキンショー・レーシング(Tom Walkinshaw Racing)の略。アロウズを参照。
- 原子炉の一方式で、Travering Wave Reactor の略。進行波炉を参照。
- トランス・ワールド・ラジオ(Trans World Radio、宗教専門ラジオ局)
- 推力重量比 (Thrust-to-weight ratio)
TWR
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/22 00:55 UTC 版)
「トニー・サウスゲート」の記事における「TWR」の解説
XJR-9のルマン仕様(シルクカットジャガー)とIMSA仕様(カストロール)。 1984年にトム・ウォーキンショー・レーシング(TWR)に雇われ、ジャガーのスポーツプロトタイプのXJRシリーズの設計を手掛けることとなる。トム・ウォーキンショーとの面識はなかったが、以前シャドウのスタッフで当時TWRのチーム監督になっていたロジャー・シルマンから打診され移籍が実現した。 当時のグループCはポルシェ・956の独壇場であったが、サウスゲートは、ポルシェ・956は信頼性に大きな強みを持つものの車体剛性や空力性能など車体に投じられている技術はF1に比してそれほど高水準ではないと分析し、速さによって出し抜ける可能性を見出す。 TWRで最初に設計したのは1985年のジャガー・XJR-6で、この時にF1で得た知見を取り入れ、スポーツプロトタイプとしては他に先駆けてカーボンモノコックを採用し、堅牢な車体を実現した。シャシー性能が高かった一方で、エンジンとギアボックスの信頼性が低く、後継車両でも課題となる。3年目の挑戦となる1988年のル・マン24時間レースでは信頼性の低さを出走台数でカバーする方針を取り、「5台走らせて3台完走すればいい」という考えで5台のXJR-9LMを投入し、目論見通り3台が完走し、その内の1台(2号車)が優勝を手にした。 その後、1990年にTWRを離脱するまでの活動期間で、サウスゲートが設計した車両はスポーツカー世界選手権ではタイトル獲得2回(1987年・XJR-8LM、1988年・XJR-9LM)、ル・マン24時間レースでは総合優勝2回(1988年・XJR-9LM、1990年・XJR-12LM)、デイトナ24時間レースでは総合優勝2回(1988年・XJR-9、1990年・XJR-12D)という結果を残している。 ル・マン24時間レースにおける結果について、サウスゲート自身はベストレースとして、優勝した1988年や1990年ではなく、投入した3台全てが完走(2~4位フィニッシュ)した1991年を挙げている。 ウォーキンショーとの関係は良好だったが、アストンマーティンのルマン参戦プロジェクトに好待遇で誘われたため、TWRを離脱する。
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