TWR離脱後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/22 00:55 UTC 版)
「トニー・サウスゲート」の記事における「TWR離脱後」の解説
結果的にアストンマーティンの計画は数か月で白紙となり、その後はトヨタ・TS010(1991年)、フェラーリ・333SP(1994年)、日産・R390(1997年)といったいくつかのスポーツプロトタイプ車両の開発に携わった。 この時期の仕事は基本的にいずれもアドバイザーとしてのもので、自ら設計を手掛けた日産・R390にしても、TWR離脱以前に自身が手掛けたジャガー・XJR-15を手直しして設計したもので、完全に新規設計したものではない。 最後の仕事として、アウディがル・マン24時間レースに初参戦する際に製作したR8C(英語版)とR8Rの開発に技術コンサルタントとして携わっている。 2000年、R8C、R8Rの後継車両であるアウディ・R8の完成を見届け、60歳の時にエンジニア生活から引退した。
※この「TWR離脱後」の解説は、「トニー・サウスゲート」の解説の一部です。
「TWR離脱後」を含む「トニー・サウスゲート」の記事については、「トニー・サウスゲート」の概要を参照ください。
- TWR離脱後のページへのリンク