SETI計画
過去さまざまな形でおこなわれてきた「地球外知的生命探査」の試み
1997年に公開された映画「コンタクト」は、ジョディ・フォスター扮する女性科学者が知的外宇宙生命の存在を確信し、ついには宇宙船に乗り込んで宇宙文明探査に旅立つという壮大な物語でしたが、現実にこうした宇宙人探しの試みは、過去にさまざまなかたちでおこなわれてきました。いまは中断しているものの、NASAはSETI(=Serch for Extraterrestrial Intelligence、地球外知的生命探査)計画を推進していましたし、SETIに取り組む国々の間では「地球外知的生命の発見後の活動に関する諸原則の宣言」として、万一、異星人から交信があった場合の対応について真剣な討議がおこなわれたこともあります。
SETIで求めているのは宇宙からの人工電波
SETIとは、具体的には、地球外文明からの電波信号をさぐる試みです。地球上を飛び交っている電波にはさまざまな周波数のものがありますが、さまざまな天体から地球に来る「自然電波」と、放送局や航空機などを発信源とする「人工電波」の2通りに大きく分かれます。このうちSETIで探索しているのは「宇宙からの人工電波」ですが、これを見つけるのは、広大な砂浜で失くしたピアスをさがすようなもので、並大抵の努力では不可能といえます。
最初は1969年の「オズマ計画」その後、世界各地で同様の試みが実施される
もともと電波天文学は第2次大戦中のレーダー技術をもとにしたものですが、これを使った初めてのSETIは、アメリカの天文学者フランク・ドレークによって1960年に実施された「オズマ計画」(「オズの魔法使い」の王女の名にちなむという)です。彼は、くじら座のタウ星とエリダヌス座のイプシロン星にアンテナを向けて観測をおこないました。残念ながら彼のコンタクトは成功しませんでしたが、その後SETIの試みは世界に広がり、世界的な課題となっていったのです。
NASAのSETI計画は1993年打ち切り今後の見通しは今のところ白紙
NASAのSETI計画は1993年、通信が途絶した火星探査機マーズ・オブザーバーに代わる新たな探査機打上げ予算確保のため、やむなく打ち切りとなりました。1990年代に入ってからのNASAのSETI計画は、プエルトリコのアレシボ天文台などの電波望遠鏡を使い、全天を億単位のチャンネルに分けてくまなく調べる詳細なものでしたが、こうした多額の資金を使った計画には、その実現の可能性も含めてつねに批判がつきまといます。あわせて、地上から発信される航空機のレーダーや放送・通信の電波、そして人工衛星による電波の反射など、SETI計画を妨げる要素も増大しています。はたして映画のように、人類が異星人と接触できる日が来るかどうか、簡単に結論が出そうにはありません。
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