PCエンジンが与えた影響と評価
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/16 13:41 UTC 版)
「PCエンジン」の記事における「PCエンジンが与えた影響と評価」の解説
1987年当時の家庭用ゲーム機の常識を覆す高速・高性能であり、任天堂のシェアを崩すには至らなかったが、新規ハードとして一定の普及に成功し国内市場では1992年時点でスーパーファミコンに次ぐ24.7%のシェアを占めていた。1990年代前半の日本市場において、PCエンジンの周辺機器であるCD-ROM2(シーディーロムロム)は最も普及していたCD-ROMゲーム機である。 関係者 ハドソンの中本伸一はPCエンジン発売前のインタビューで「任天堂との共存、共栄を目指す」と発言しており、PCエンジンと並行して任天堂のファミリーコンピュータやスーパーファミコンへのソフト供給を続けた。当時任天堂の一強状態であった家庭用ゲーム機市場において初めて二番手市場を築き、それまで家庭用ゲーム機ではファミコンにしか参入していなかったサードパーティがPCエンジンに数多く参入し、任天堂ハードと共存できる市場を作り上げた。 またハドソンの工藤浩社長(当時)は「成功か失敗か?成功と言えば成功ですよね『PCエンジン』シリーズはトータルで450万台くらい売れて、ソフトも何千万本か売れたんだから。だけど市場から姿を消してしまったし、今ではもう作っていないわけですから、そういう意味で失敗したということもできるかもしれない。少なくともNECにとっては失敗だったかも。ハドソンとしては成功だったように思うけど、本当のことをいうと自分でも成功したのか失敗だったのかよくわからないね」と語っている。 ユーザー 1996年創刊の雑誌『ユーズド・ゲームズ』(後の『GAME SIDE』)では、PCエンジンの熱狂的なユーザのことを「PCエンジニア」と呼んでいた。この言葉は同誌2号のメガドライブ特集記事で誕生したものである。 外部団体 1988年度の商品デザイン部門でグッドデザイン賞を受賞している。 その他ファミリーコンピュータとは異なる以下の点が評価されている。 多人数プレイ コア構想の一環として、NEC-HEより本体と同時に発売されたマルチタップを使用することにより、対応するゲームでは最大5人まで遊べるようになる。ハドソンからは5人同時プレイ対応のアクションRPG『ダンジョンエクスプローラー』が発売された他、日本コンピュータシステムからはレースゲームの『モトローダー』が発売され、ナムコの『プロテニス ワールドコート』ではファミコンの『ファミリーテニス』では実現しなかった4人同時プレイによるダブルス対戦が可能になった。その後、ハドソンの代表作となるボンバーマンシリーズや桃太郎電鉄シリーズはマルチタップに対応することでパーティゲームとしてのジャンルを確立させ、「パーティゲームの定番」として21世紀初頭現在に至るまで新作が発売され続けている。ハドソンの中本伸一はボンバーマンシリーズについて「本当にラッキーだったのが、PCエンジンにマルチタップがあったことです」「5人プレイが出来るハードに移植された段階で全く新しいボンバーマンの歴史がスタートした」と、PCエンジン版の『ボンバーマン』とマルチタップを評している。 先進性 PCエンジンは家庭用ゲーム機として世界で初めてCD-ROMを採用したゲーム機であり、PCエンジンが世に送り出したCD-ROMゲーム機の思想はその後のゲーム機にも受け継がれていった。元NECアベニューの多部田俊雄は後に、「CD-ROMシステムは200万台近く売れた。PCエンジンがなければ全世界規模でCD-ROMの普及が1年は遅れていたでしょう」と語っている。またNEC(当時)の後藤富雄は「他のメーカーに先駆けてCD-ROMを採用したことに対しては、私としてはそれなりの自負がある」と述べている。 ゲームジャンルの拡大 PCエンジン専門誌のPC Engine FANでは「『R-TYPE』や『ドラゴンスピリット』。ほんとうにほしいゲームがよくそろっていました。その後、『ドラゴンナイトII』『卒業』『ときめきメモリアル』が登場。こういった今はギャルゲーと呼ばれるソフトがゲーム機で遊べるようになったのもPCエンジンの功績です。」という評価を受けている。
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