2005年度の再建に向けた動き
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「三洋電機」の記事における「2005年度の再建に向けた動き」の解説
2004年(平成16年)10月23日に発生した新潟県中越地震により、子会社の新潟三洋電子(後の三洋半導体製造⇒オン・セミコンダクター新潟)の半導体製造工場が被災。地震保険に未加入であったため500億円を超える損害がほぼそのまま損失として計上されたほか、デジタルカメラの単価下落などの煽りを受けて、同年度は大幅な減収減益となった。2005年3月決算は1,715億円の当期赤字。 このため、2005年(平成17年)6月には、創業以来長らく続けてきた井植一族による同族経営の殻を破り、外部からジャーナリストの野中ともよを社外取締役として招聘した。野中はその後会長・最高経営責任者(CEO)に就任する。しかし2006年(平成18年)2月に野中はCEO兼務を解かれる。 2005年(平成17年)9月28日には、創業地である北條工場(兵庫県加西市)の閉鎖を含む追加再建計画を発表。同年10月22日、共同通信社が「冷蔵庫などの家電から撤退しこれらを生産している工場を閉鎖する」と報道したが、三洋電機側はこの報道を全て否定、「白物家電からの撤退を考えている事実はない」として、当該報道への遺憾の意を表した。しかし同年11月18日に総合家電メーカーから撤退を発表、今後は二次電池・太陽光発電といった自然環境に優しいクリーンエネルギー事業や、携帯電話をはじめとするモバイル関連事業を中心に経営再建を図る見通しとなった。白物家電については完全撤退しないものの、日本国外メーカーとの合弁も視野に入れ、事業は大幅に縮小される見通しだった。 2005年(平成17年)12月9日、再建に向けての重要課題とされてきた金融子会社の三洋電機クレジットについて、米投資銀行のゴールドマン・サックスに譲渡すると発表、株式譲渡と第三者割当増資によりゴールドマン・サックスが三洋に代わって筆頭株主となった。また同日、不振のテレビ事業についても、アジアメーカーとの提携に向けて協議中であることを明らかにし、2006年(平成18年)3月17日に台湾のクアンタ・コンピュータと提携すると正式に発表。クアンタ・コンピュータと薄型テレビ事業のための合弁会社を設立し、三洋ブランドの液晶テレビは新会社から発売されることとなった。 2005年(平成17年)12月21日、再建に向けて三洋電機の資本増強計画についての第三者割り当てによる新株式(優先株式)発行の基本合意が大和証券エスエムビーシープリンシパル・インベストメンツ株式会社(以下「大和証券SMBCPI」)、ゴールドマン・サックス・グループ、および株式会社三井住友銀行(以下「三井住友銀行」)の中で達したと発表した。この発表では、2006年(平成18年)2月末までに総額3,000億円の優先株式を発行し、大和証券SMBCPI、ゴールドマン・サックス・グループ、および三井住友銀行がこれを引き受け、このうち大和証券SMBCPI及びゴールドマン・サックス・グループに各1,250億円を、三井住友銀行へは500億円を割り当てる予定とし、2006年(平成18年)1月25日に上記内容を予定通り正式に決定したと発表。2月26日での臨時株主総会にて了承を得た後、3月14日に増資は完了した。なお、産業再生法の適用により、増資に伴う税金が一部軽減された。 また同時に人事変更の発表もあり、CEOとCOO、およびCFOは廃止し、9人の取締役のうち5人が今回の引受先の金融機関3社から就任する予定であることを明らかにした。 その後も12月には不具合による携帯電話機向け充電池130万個を回収、翌2007年(平成19年)1月の洗濯乾燥機16万台リコール、さらに2月には不適切な会計処理が問題化するなど、野中のCEO解任後も財務・事業両面で立て続けにトラブルが続いた。
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