2003年9月・店舗放火事件
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「館山市一家4人放火殺人事件」の記事における「2003年9月・店舗放火事件」の解説
Tは1998年の事件後、飲酒運転により免許停止処分を受けダンプカーなどを運転できなくなったため、2000年(平成12年)2月ごろには勤務先を退職して以前アルバイトをしていた館山市内の土木業者で働き始めたが、依然として収入の多くを飲み代・パチンコなどに充てる生活を続けたため、消費者金融からの借入額が増大していった。一方で2002年(平成14年)夏ごろからは勤務先の業績が悪化したことで日当を減額された上、稼働日数も減ったことから収入が減少し、消費者金融への借金返済・税金などの滞納分支払いが滞りがちになり、以前にもまして頻繁に返済・支払いの督促を受けるようになった。さらに2002年10月ころには知人に依頼されて自己名義で消費者金融から借り入れた30万円をその知人に貸したが,知人がその金を全く自分に返済しようとしなかったことなどから腹を立てるとともにその返済についても思い悩むようになった。 館山市内では約10年前から不審火が断続的に発生していたが、中でもTが当時住んでいた館山市船形地区では1996年(平成8年) - 2003年(平成15年)11月末にかけて約8年間に計17件の不審火が発生していた。 2001年(平成13年)12月末にはT宅に近い船形地区の飲食店に対し「火を点けるぞ。船形を火の海にしてやる」など脅迫電話が掛かり、直後の2002年(平成14年)1月17日2時40分ごろに同店舗軒下の発泡スチロールが焼失する不審火が発生していた。またこれに加え、2002年2月17日未明(3時5分 - 4時15分ごろ)には同じくT宅近くの店舗で網戸・物置などが焼失した3件連続の放火事件が発生していたが、いずれの事件でも約1週間前に狙う相手の苗字を挙げ「火を点けてやる」などといった犯行予告の電話が地元の消防団に寄せられ、予告通りに発生していた。 特に2002年 - 2003年には民家の洗濯物が燃えるなど計11件の不審火が確認されており、2003年だけでも一連の事件前に住宅2棟が全焼する5件の不審火が起きていた。一連の火災は約1キロメートル(km)圏内で集中して発生していた(いずれも立件はされていない)。 2003年1月17日0時ごろ - 木造一部2階建ての無人住宅約145㎡が全焼した。 2003年4月30日 - 物置が全焼。 2003年8月20日3時 - 5時ごろに3件の不審火が発生。被害建物2軒は高齢者2人が住んでおり「初めて人が住む住宅が狙われた」事件となった。1件目の被害建物で洗濯物が燃え、その近くにある2件目の木造2階建て住宅約99㎡(午前4時30分ごろ出火)が全焼したほか、別の住宅では玄関付近のカーテンが燃えた。 館山署はこの火災翌日(2003年8月21日)以降、市などと連携して毎夜21 - 23時に合同パトロールをしたり、チラシを配ったりして船形地区を重点的に警戒していたが、後の4人焼死事件はその警戒網の裏をかく形で発生した。またTはこのパトロールに参加していなかったほか、不審火でTと似た人物が目撃されていたため「犯人ではないか?」という噂が立ち、館山署からも事情聴取されていた。 2003年10月3日未明、船形漁業協同組合所有の木造平屋建てスレート葺倉庫(漁具などの倉庫)から出火して倉庫約130㎡のうち大半の65㎡が焼けた。Tは同事件に関しても容疑を認めたが、立件はされていない。 10月3日を最後に不審火は発生していなかったが、(8月20日の火災を除き)空き家・物置など人の住まない建物ばかり狙われていたため地域住民の間では「地元に詳しい者の犯行ではないか?」とささやかれていた。 Tは本事件から丸3か月前の2003年9月17日に「渚銀座」のスナックに放火して建物2棟を全焼させる現住建造物等放火事件を起こした。同日夜、Tは「渚銀座」のスナックに行ったところ、店内で前の勤務先の社長と偶然出会い、その連れの男性から「金がないのにこんな店に来るな」などと言われて立腹したが、何も言い返すことができなかった。その後、翌18日2時30分まで2軒のスナックで飲酒したTはその男性への怒りが収まらなかったことに加え、自己の経済状況などを思い返したことで鬱憤を募らせ「どこかに放火して怒り・鬱憤を晴らそう」と考え、「渚銀座」のスナック2軒の間の通路を奥へ進んだところ、その片方の建物側に接してタオルのようなもの(後に足拭きマットと判明)が置いてあったことに気づき、放火しようと考えた。火災現場となった建物2軒はいずれも「渚銀座」中心部に当たる「なぎさ本通り」沿いに位置する1階が店舗・2階が住宅となった建物で、1998年に放火被害に遭った「クリフサイド」からはわずか50メートルほどしか離れていなかった。1階部分にはスナック・小料理屋など計4店の飲食店が入居していたが、1店舗は事件当時既に廃業しており、残る3店舗も出火当時は同日の営業を終了していた。 Tは2003年9月18日2時30分ごろ、館山市北条の「渚銀座」でスナックとして利用されていた店舗兼住宅(木造トタン葺2階建て・延べ床面積合計約369.2㎡)に放火することを企て、その南西側勝手口付近に掛けられていた足拭きマットに持っていたライターで点火して放火し、その火を店舗兼住宅に燃え移らせることで全焼させたほか、隣接していた別の店舗兼住宅(木造トタン葺2階建て・延べ床面積合計約266.3㎡)にも燃え移らせて全焼させた(現住建造物等放火罪)。その直後の2時40分ごろ、通行人から119番通報を受けた消防は建物が密集していることなどから通報直後に2時出動を指令し、消防団を含めて計22台の消防車を動員して消火活動を行い、約2時間後に火を消し止めたが、Tが年に3,4回来店していた飲食店「サンチョパンザ」など木造2階建て店舗兼住宅2棟約600㎡が全焼した。この建物は被害に遭った建物の住居部分に計5人が住んでおり、出火当時は男性1人がいたが避難して無事だった。
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