クリフサイド
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クリフサイド(英: Cliff Side)は、神奈川県横浜市中区元町にある、株式会社クリフサイドが運営する多目的イベントホール[1]。1946年にダンスホールとして創業し[2]、1950年代から1960年代にかけて、ナイトアンドデイ、ブルースカイと並んで横浜を代表する大規模なナイトクラブであった[3]。
- ^ “多目的イベントホール クリフサイド”. クリフサイド. 2020年9月25日閲覧。
- ^ a b c 小園弥生. “History”. クリフサイド. 2020年9月25日閲覧。
- ^ 大橋巨泉. “古き良き時代のヨコハマ”. 横濱JAZZプロムナード実行委員会事務局. 2015年11月5日閲覧。
- ^ a b “クリフサイド(街角のフェニックス 横浜・元町物語:9)”. 朝日新聞・朝刊・神奈川. (1990年11月20日) - 聞蔵IIビジュアルにて閲覧
- ^ a b c 二階堂勇 (2006年9月4日). “ハマの社交場、夜彩り60年 クラブ「クリフサイド」”. 朝日新聞・朝刊・横浜: p. 31 - 聞蔵IIビジュアルにて閲覧
- ^ a b c “今夏で50周年 横浜・元町のナイトクラブ「クリフサイド」”. 朝日新聞・朝刊・神奈川. (1996年5月11日) - 聞蔵IIビジュアルにて閲覧
- ^ 猪上杉子 (2013年2月25日). “横濱JAZZ PROMENADE”. 2015年11月5日閲覧。 “私の世代の横浜の若者達は、ナイトクラブで遊んだものでした。“ナイトアンドデイ”、“ブルースカイ”、“クリフサイド”、“ゼブラクラブ”といったナイトクラブに行くと、レイモンド・コンデだとか南里文雄率いるホット・ペッパーズ、秋吉敏子なんかが演奏していて、座って聞くだけではなく踊りまくったものでした。もともと横浜には戦後に(アメリカの)進駐軍が真っ先に入ってきたので、ジャズの土壌が作られていました。関内地区、山下公園、横浜公園、本牧、山手、港湾施設などには米軍施設が建てられて、ジャズをやるクラブもあちこちにあったんです。”:猪上杉子による鶴岡博へのインタビュー
- ^ バーリット・セービン (2005年10月19日). “(かながわ見聞録)クリフサイド”. 朝日新聞・朝刊・神奈川. "奥に行くと、250人が収容できるボールルームがある。つり天井で柱が少なく、ダンスフロアが特に広い。バンドが演奏する舞台もある。伝説のトランペッター南里文雄さんは昭和20年~30年代に、この舞台でよく吹いた。二階の「トランペット・ルーム」の名が南里さんに由来する。" - 聞蔵IIビジュアルにて閲覧
- ^ 上海帰りのリル - MOVIE WALKER PRESS
- 1 クリフサイドとは
- 2 クリフサイドの概要
- 3 外部リンク
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