2000年代以降 - 経営破綻と再建
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「水間鉄道」の記事における「2000年代以降 - 経営破綻と再建」の解説
2000年(平成12年):日産チェリー阪南販売株式会社を「水間保興株式会社」へ商号変更。 2003年(平成15年)9月1日:貸切バス事業を株式会社ミズマ(現:日本観光)に譲渡し、貸切バスから撤退。 12月1日:貝塚市コミュニティバス「は〜もに〜ばす」運行開始。 2005年(平成17年)水鉄タクシー株式会社の株式を譲渡。岸交グループ(岸和田交通)グループ入りし「岸交グループ水鉄タクシー株式会社」となる。 4月30日:大阪地方裁判所に会社更生法の適用を申請、経営破綻。負債額は約258億円。 7月:グルメ杵屋会長の椋本(むくもと)彦之が、戦時中に貝塚へ疎開していた縁から、水間鉄道の経営再建支援を名乗り出る。 9月:元南海電気鉄道の関西(せきにし)美津治が無報酬で立て直しを引き受け、水間鉄道の代表取締役社長に就任。娘の関西佳子が父の依頼でシステムエンジニアとして入社。 2006年(平成18年)1月1日:バス熊取・粉河線の運行から撤退。 4月6日:グルメ杵屋が株式を100%取得し、同社の完全子会社となる。 6月16日:大阪地方裁判所より会社更生計画終結の決定を受け、会社更生手続きが完了。 2007年(平成19年)2月1日:小型バス6台にて貸切バス事業を再開。 4月1日:水間線で自動列車停止装置 (ATS) の使用を開始。 6月8日:スルッとKANSAI協議会に加盟。 2008年(平成20年)5月20日:関西佳子が代表取締役社長に就任。鉄道会社では全国初の女性社長となる。前社長で父の関西美津治は取締役に就任。 本社を貝塚市近木1488-8へ移転。 2009年(平成21年)6月1日:水間線と路線バス(コミュニティバスを除く)にPiTaPaを導入。水間線は全10駅中8駅が無人駅のため、駅構内ではなく車内にICカードリーダーを搭載する。これについて関西佳子は、叡山電鉄からの助言によるものであると述べている。 PiTaPa導入に伴い、水間線全線でワンマン運転を開始。 同時に、水間駅を「水間観音駅」へ駅名変更。 2010年(平成22年)9月20日:貝塚駅のバリアフリー化を完了。 2011年(平成23年)4月1日:水間線のワンマン運転化により車掌がいなくなったため、女性アテンダントを導入。 2013年(平成25年)3月23日:交通系ICカード全国相互利用サービス開始に伴い、Suica・PASMOなど8種類のICカードにも対応。 2014年(平成26年)5月4日:水間観音駅の待合室で「まち愛Café みずかめ庵 和」を営業開始。 6月:関西佳子が入社10年を機に、社長職を退き会長となる。 2015年(平成27年)11月15日:貝塚市コミュニティバス「は〜もに〜ばす」にPiTaPaを導入。 12月17日:三ツ松駅付近で2013年8月27日に発生した踏切事故で、作動しない遮断機があったのに放置していたとして、助役や運転士らが書類送検される。 2016年(平成28年)5月:トミーテック「鉄道むすめ」のキャラクター「水間みつま」がデビュー。水間鉄道水間線のアテンダントという設定で、水間観音駅と三ツ松駅から命名された。イラストは伊能津が担当。 2017年(平成29年):東急車輛製造(現:総合車両製作所)製の元東急7000系電車をともに保有・使用していることが縁で、青森県の弘南鉄道とコラボレーション企画を実施。 2019年(平成31年/令和元年)4月25日:女性アテンダントの制服変更に伴い、「鉄道むすめ」キャラクター「水間みつま」新制服バージョンが登場。 5月1日:平成から令和への改元を祝う記念行事として、写真展「平成を振り返る」を開催し、鉄道車両に記念ヘッドマーク(副標)を装着して運行した。ヘッドマークは弘南鉄道に加え、北陸鉄道でもコラボ掲出された。また改元記念一日乗車券として「令和」の文字が揮毫されたデザインと「水間みつま」新制服バージョンの2種類が発売された。
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