1960年代と時代の終焉
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「ライフ (雑誌)」の記事における「1960年代と時代の終焉」の解説
1960年代の同誌は、映画スター、ジョン・F・ケネディ大統領一家、ベトナム戦争、アポロ計画などのカラー写真で埋め尽くされていた。典型的なのは、女優エリザベス・テイラーと俳優リチャード・バートンとの関係についての1964年の長編特集である。ジャーナリストのリチャード・メリマン(英語版)はテイラーと一緒にニューヨーク、カリフォルニア、パリを訪れ、6,000語の記事を執筆した。 1960年代には、ゴードン・パークスの写真が掲載されていた。2000年にパークスは当時のことを振り返ってこう述べた。「カメラは、世界について私が嫌いなものや、世界の美しいものをどうやって見せるかということに対する私の武器です。私は『ライフ』誌のことは気にしていませんでした。私は人々のことを気にしていました。」 1964年6月のポール・ウェルチによる『ライフ』の記事「アメリカにおける同性愛」は、全国的な出版物でゲイの問題を取り上げた最初の記事だった。ライフの写真家はハル・コール(英語版)から、この記事のために「ツールボックス」という名前のサンフランシスコのゲイ・レザー・バーを紹介された。コールは初期のゲイ活動家の1人で、男性同性愛者は女々しいという神話を払拭するために長い間活動していた。この記事は、1962年にチャック・アーネット(英語版)が描いたバーの等身大のレザーマンの壁画の見開き2ページの写真で始まった。この記事では、サンフランシスコを「アメリカのゲイの首都」と表現し、多くのゲイがそこに移住するきっかけとなった。 1967年3月、『ライフ』はコロンビア大学ジャーナリズム大学院が選んだ全米雑誌賞(英語版)を受賞した。これは、1966年1月に掲載されたアンリ・ユエ(英語版)による傷ついた衛生兵の写真シリーズなど、東南アジアでの戦争で撮影された優れた写真が評価されたものである。『ライフ』がベトナム戦争の様子を掲載した写真は、死と喪失を痛烈に描いたものがますます増えていた。 1969年にアメリカの月探査ミッションを掲載し、業界の賞賛を浴びたが、一方で同誌は発行部数を減らし続けた。タイム社は1971年1月、縮小する広告収入を相殺するために、発行部数を850万部から700万部に減らすことを決定したと発表した。その1年後、『ライフ』は1972年1月14日号から、発行部数を700万部から550万部に減らした。『ライフ』は資金を失っていないと報告されていたが、制作費用の上昇は利益の上昇よりも速く進んでいた。1972年1月、ハワード・ヒューズの自伝を捏造したことが明らかになった作家クリフォード・アーヴィングを『ライフ』誌が支持したことで、多くの読者からの信頼を失った。同誌はアーヴィングの原稿の連載権を購入していた。 『ライフ』の発行部数の約96%は定期購読者によるものであり、より収益性の高いニューススタンドでの販売はわずか4%だった。一時は700万部の発行部数を誇ったが、1969年頃から慢性的に赤字体質となった。1972年12月8日、タイム社はこれ以上の改善は見込めないとして同年12月29日号をもって休刊とすることを発表した。 その後、タイム社は、「イスラエルの精神」、「アメリカの注目すべき女性」、「映画の中の年」などをテーマにした『ライフ』の特別版を1972年から1978年までの間に10冊発行した。広告も最小限のものとなり、刊行部数は50万部から100万部の間だった。
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