1960年代における国家資格化の検討と頓挫 - 米国の修士号要件とのずれ
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「言語聴覚士」の記事における「1960年代における国家資格化の検討と頓挫 - 米国の修士号要件とのずれ」の解説
1960年に、世界保健機関(WHO)の短期顧問マーティン・フランクリン・パーマーが来日し、言語聴覚障害分野における指導者の養成はASHAの規定に準ずるべきであると勧告した。この勧告を受け、1963年、医療制度調査会が厚生大臣に対して、「リハビリテーションに従事する専門職種として、理学療法士(PT)、作業療法士(OT)、言語士(ST)、聴能士(AT)、弱視訓練士(ORT)等があるが、これらの者については、教育、業務内容の確立等その制度化を早急に図る必要がある」ことを答申した。 この答申を受け、厚生省は高卒後3年の養成での国家資格法制化を提案したが、言語療法士については、大学院修士課程修了を求めるASHA基準とのずれが大きく、関連医学会を含む関係者の賛同が得られなかった。結果として、1965年に理学療法士と作業療法士の資格制度が先に成立した。これらの職種の業務は、「看護婦の独占業務である診療の補助を他の職種が行なってもよい」というかたちで、具体的には保健婦助産婦看護婦法の一部解除というかたちで立法化がなされた。 1965年、厚生省に「ORT、ST等身分制度研究会」が設置され、言語士(スピーチ・セラピスト、ST)と聴能士(オーディオロジスト、AT)に分けて検討され、1970年に意見書を提出した。そこでは、言語士・聴能士の職務は、従来の看護婦が担ってきた診療の補助にとどまるものではないとの認識に基づき、米国と同様に、養成は、4年制大学で大学院課程と連なる形で行い、医学的診療を補助する職種として位置づけないことが提案された。しかし、この意見書に沿った制度化が検討されることにはならなかった。 他方で、1968年、厚生省は、「聴能言語治療専門職員養成所設置委員会」を設置し、翌年、調査報告書が提出される。これを受けて、1971年、日本初のST養成校である国立聴力言語センター附属聴能言語専門職員養成所(現在の国立障害者リハビリテーションセンター学院)が設置される。大学卒1年でSTを養成する専門学校であり、意見書の内容に沿わないものであった。 さらに、1972年、参議院社会労働委員会でST身分法が討議され、厚生省が短大卒+2年の専門教育を提案したのに対して、日本音声言語医学会は、「言語治療士(仮称)の身分制度に関する要望書」を提出した。同要望書では、言語治療士を、「医療、社会福祉、教育の各分野にわたって、密接に関連しつつ働く独立した専門職に属すべきもの」と位置づけ、やはり、4年制大学で大学院課程と連なる形での養成を求めた。医療系と人文科学系、社会科学系の科目がバランスよく配置されたカリキュラムでの養成が必要であるとされたからである。他方で、日本耳鼻咽喉科学会は1975年に、「聴・平衡機能訓練士の身分制度に関する要望書」提出し、「医師の監督下で業務を行う」ことと、「高卒後3年か大卒後1年で養成する」ことを求めた。
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