雪まつりの発展とは? わかりやすく解説

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雪まつりの発展

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/09 21:59 UTC 版)

さっぽろ雪まつり」の記事における「雪まつりの発展」の解説

初期雪まつり雪像作ったのは、札幌中学校・高等学校生徒で、その数は5, 6であった当初雪像の高さが7メートル限度としていたが、1953年第4回で、北海道札幌伏見高等学校(現・北海道札幌工業高等学校)が、高さ15メートル大雪『昇天』制作したの塊を石材のように積んだアーチ構築物の上立像建てたもので、大量が必要であったため、市はトラックブルドーザー導入して準備あたった。これは現在のような機械力を用いた大規模な雪像づくりの端緒となった1954年第5回からは市民制作の像が加わった1955年第6回には、陸上自衛隊商社、市の出張所加わり様々な参加者による多数の像が並ぶスタイル定着した。しかし、高校生による雪像製作は同回で打ち切りとなった1959年第10回あたりから、雪まつり目当て道外から訪れ観光客増え始めた札幌オリンピックがあった1972年第23回には世界的に雪まつり紹介され、これ以降海外からの観光客も目立つようになった1974年第25回には折からオイルショック影響で、運搬用のトラック燃料十分に確保できず、雪像中にドラム缶詰めて乗り切った。 同じ1974年第25回からは、国際親善目的に、海外都市派遣による「国際雪像コンクール」が始まっている。第1回参加は、カナダアメリカ合衆国フランス南ベトナム大韓民国日本の6チームで、その後参加チーム増加し1998年第49回雪まつり)の第25回コンクールでは20チーム合計80名もの選手参加した。 「すすきの氷の祭典」は雪まつり開催合わせた独自のイベントとして1981年から始まったが、1983年第3回より雪まつり会場一つとして組み込まれている。 1986年第37回からは、それまで12月上旬から1月上旬まで、大通公園中心に行われていた夜間電飾イベントホワイトイルミネーションさっぽろプラザ」(現・さっぽろホワイトイルミネーション)の開催期間2月雪まつり閉幕まで延長され日没後にも雪氷鑑賞楽しめるようになった1987年第38回からは原則2月5日から11日までの1週間開催となり、全国ニュースでも大きく取り上げられるうになる。さらにこの時期から、民放テレビ局が、開催中土曜日日曜日に、特別番組全国放送するようになる1990年第41回から、中央区中島公園が第4の会場として加えられたが、1992年第43回をもって廃止された。3回限り廃止され要因として、中島公園会場市民制作雪像メインであったため、大雪像が少なく集客力欠けたことが挙げられる

※この「雪まつりの発展」の解説は、「さっぽろ雪まつり」の解説の一部です。
「雪まつりの発展」を含む「さっぽろ雪まつり」の記事については、「さっぽろ雪まつり」の概要を参照ください。

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