雑誌『漫画』と漫画家グループの合同とは? わかりやすく解説

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雑誌『漫画』と漫画家グループの合同

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/29 13:44 UTC 版)

近藤日出造」の記事における「雑誌『漫画』と漫画家グループの合同」の解説

新体制運動高まりの中、漫画界では漫画発表の場狭まり危惧されていた。1940年昭和15年)のある日若手漫画家グループの「新鋭漫画グループ」および「三光漫画スタジオ」のメンバーが「新漫画集団」の事務所おとずれ今後の生活の不安を近藤らに訴えた近藤新鋭三光ほか各漫画グループフリー漫画家のもとに出向き意見集約した。こうして同年8月、「新日本漫画家協会」が設立された。 漫画団体統合と「新日本漫画家協会」の設立近藤奔走したことについて、峯島正行は「軍や情報局等の権力者の手統制的な団体を作らされ、日常行動仕事の内容までその指導下、指揮下に入らされるの危惧して自分たちの力で、先手をうって連合体作った考えるのが至当であろう」「権力から漫画漫画家への干渉があった場合、この団体受け皿にして、なるべく漫画家の自由が損なわれないようにしようと考えていたのではないか」としている。近藤翼賛体制反発であったことは、大政翼賛会文化部長だった岸田國士が、近藤横山隆一副部長就任要請出した際に、同時にピシャリと」断ったことや、のちに雑誌メディア統合画策された際、断筆ちらつかせ抵抗したこと(後述)に示されている。杉浦幸雄も「大政翼賛会から集団(=引用者注:新漫画集団)を応援しようと言ってきたのをきっぱり断ったのは近藤だった」とし、「役人のいう通りになってはいい漫画描けない」と近藤発言したという証言をおこなっている。ともあれ漫画家たちの生活の保証目的としたこの頃近藤動きは、権力への抵抗という点では最終的に失敗し戦後批判さらされることになる(後述)。 雑誌漫画』は、近藤の師である岡本一平平福百穂下川凹天ら、「東京漫画会」(後の日本漫画会)系の漫画家によって1917年大正6年1月創刊された、「漫画社」の発行による漫画雑誌であったが、当時経営危機おちいっていた。大政翼賛会海軍印刷物発注先だった「協栄印刷」の経営者菅生定祥(すがおい さだよし)は、翼賛会宣伝部川本信正から「なんとかならないか」と、『漫画』の経営再建依頼された。 これとは別に第一徴兵保険東邦生命前身)に勤務しながら『銀座』というファッション雑誌発行していた、漫画愛好家山下善吉が、総合漫画雑誌作る計画持っていた。この話を持ち込まれた新漫画集団誰かが雑誌新日本漫画家協会機関誌として創刊するなら、用紙確保発刊容易だろうと考えアイデア山下提案したとみられている。やがてこれらの異なった計画組み合わさり、『漫画』に近藤編集統括者として迎え新たに新日本漫画家協会機関誌として発刊していくこととなった。この山下版『漫画』は1940年昭和15年10月刊行開始した。 しかし、山下個人資金頼っていた『漫画』は、1941年昭和16年5月ごろには経営破綻の状態におちいる(峯島によると、菅生この段ではじめ近藤接触し、『漫画』の再建申し出たとしている)。このとき、新聞メディア統合実績があった前田久吉が『漫画』と大阪の『漫画日本』の統合画策したが、それを聞いた近藤は「無理に合併進めて自分執筆しない」と拒否したまた、大阪毎日新聞社による漫画社の買収案についても、近藤は「そんなことになったら俺は土工になって筆を折る」と、激し調子拒絶した山下版『漫画』の経営破綻統合買収計画と、菅生近藤出会い前後関係定かでないが、彼らが会ったのち、菅生によって合資会社漫画社」が新たに設立され自主自立による経営再建図られることになったその後菅生による川本への働きかけによって、1941年7月号から表紙に「大政翼賛会宣伝部推薦」の表記入り、さらに翌月には「新日本漫画家協会機関誌」の表記消えた。これ以降漫画』の編集権失った新日本漫画家協会団体としての実態なくなり、さらに事実上一部漫画界戦争完遂目的とした国家総動員体制否応なく組み入れられることになった。 『漫画』は「見る時局雑誌」の副題書かれ一種プロパガンダ役割帯びていた。『漫画誌上近藤は、得意の似顔絵用いてルーズベルトチャーチルなど連合国軍首脳徹底的に攻撃する一方、@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}同盟国ドイツゲッベルスらを賞賛する漫画[要出典]を描いた。『漫画』には似顔漫画の他、将校待遇記者として派遣され漫画家戦地様子描いたルポルタージュ漫画軍人高級官僚らとの対談記事など掲載された。

※この「雑誌『漫画』と漫画家グループの合同」の解説は、「近藤日出造」の解説の一部です。
「雑誌『漫画』と漫画家グループの合同」を含む「近藤日出造」の記事については、「近藤日出造」の概要を参照ください。

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