雑誌『漫画』と漫画家グループの合同
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「近藤日出造」の記事における「雑誌『漫画』と漫画家グループの合同」の解説
新体制運動の高まりの中、漫画界では漫画発表の場の狭まりが危惧されていた。1940年(昭和15年)のある日、若手漫画家グループの「新鋭漫画グループ」および「三光漫画スタジオ」のメンバーが「新漫画派集団」の事務所をおとずれ、今後の生活の不安を近藤らに訴えた。近藤は新鋭、三光ほか各漫画グループやフリーの漫画家のもとに出向き、意見を集約した。こうして同年8月、「新日本漫画家協会」が設立された。 漫画団体の統合と「新日本漫画家協会」の設立に近藤が奔走したことについて、峯島正行は「軍や情報局等の権力者の手で統制的な団体を作らされ、日常の行動や仕事の内容までその指導下、指揮下に入らされるのを危惧して、自分たちの力で、先手をうって連合体を作ったと考えるのが至当であろう」「権力から漫画、漫画家への干渉があった場合、この団体を受け皿にして、なるべく漫画家の自由が損なわれないようにしようと考えていたのではないか」としている。近藤が翼賛体制に反発的であったことは、大政翼賛会の文化部長だった岸田國士が、近藤と横山隆一に副部長の就任要請を出した際に、同時に「ピシャリと」断ったことや、のちに雑誌メディアの統合が画策された際、断筆をちらつかせて抵抗したこと(後述)に示されている。杉浦幸雄も「大政翼賛会から集団(=引用者注:新漫画派集団)を応援しようと言ってきたのをきっぱり断ったのは近藤だった」とし、「役人のいう通りになってはいい漫画は描けない」と近藤が発言したという証言をおこなっている。ともあれ、漫画家たちの生活の保証を目的としたこの頃の近藤の動きは、権力への抵抗という点では最終的に失敗し、戦後に批判にさらされることになる(後述)。 雑誌『漫画』は、近藤の師である岡本一平、平福百穂、下川凹天ら、「東京漫画会」(後の日本漫画会)系の漫画家によって1917年(大正6年)1月に創刊された、「漫画社」の発行による漫画雑誌であったが、当時経営危機におちいっていた。大政翼賛会や海軍の印刷物の発注先だった「協栄印刷」の経営者・菅生定祥(すがおい さだよし)は、翼賛会宣伝部の川本信正から「なんとかならないか」と、『漫画』の経営再建を依頼された。 これとは別に、第一徴兵保険(東邦生命の前身)に勤務しながら『銀座』というファッション雑誌を発行していた、漫画愛好家の山下善吉が、総合漫画雑誌を作る計画を持っていた。この話を持ち込まれた新漫画派集団の誰かが、雑誌を新日本漫画家協会の機関誌として創刊するなら、用紙の確保や発刊が容易だろうと考え、アイデアを山下に提案したとみられている。やがてこれらの異なった計画が組み合わさり、『漫画』に近藤を編集統括者として迎え、新たに新日本漫画家協会の機関誌として発刊していくこととなった。この山下版『漫画』は1940年(昭和15年)10月に刊行を開始した。 しかし、山下個人の資金に頼っていた『漫画』は、1941年(昭和16年)5月ごろには経営破綻の状態におちいる(峯島によると、菅生はこの段階ではじめて近藤に接触し、『漫画』の再建を申し出たとしている)。このとき、新聞メディア統合の実績があった前田久吉が『漫画』と大阪の『漫画日本』の統合を画策したが、それを聞いた近藤は「無理に合併を進めても自分は執筆しない」と拒否した。また、大阪毎日新聞社による漫画社の買収案についても、近藤は「そんなことになったら俺は土工になって筆を折る」と、激しい調子で拒絶した。 山下版『漫画』の経営破綻や統合・買収計画と、菅生と近藤の出会いの前後関係は定かでないが、彼らが会ったのち、菅生によって合資会社「漫画社」が新たに設立され、自主自立による経営再建が図られることになった。その後、菅生による川本への働きかけによって、1941年7月号から表紙に「大政翼賛会宣伝部推薦」の表記が入り、さらに翌月には「新日本漫画家協会機関誌」の表記が消えた。これ以降『漫画』の編集権を失った新日本漫画家協会は団体としての実態がなくなり、さらに事実上、一部の漫画界が戦争完遂を目的とした国家総動員体制に否応なく組み入れられることになった。 『漫画』は「見る時局雑誌」の副題が書かれ、一種のプロパガンダ的役割を帯びていた。『漫画』誌上で近藤は、得意の似顔絵を用いてルーズベルト、チャーチルなど連合国軍の首脳を徹底的に攻撃する一方、@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}同盟国のドイツのゲッベルスらを賞賛する漫画[要出典]を描いた。『漫画』には似顔漫画の他、将校待遇の記者として派遣された漫画家が戦地の様子を描いたルポルタージュ漫画、軍人や高級官僚らとの対談記事などが掲載された。
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