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野村素軒


野村素介

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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/12 14:38 UTC 版)

野村素介
野村素介夫妻

野村 素介(のむら もとすけ、1842年6月26日天保13年5月18日)- 1927年昭和2年)12月23日)は、幕末から昭和初期にかけての日本武士長州藩士)、官僚政治家書家。正二位勲一等 男爵。幼名は範輔、は絢夫、は右仲、素軒。

幕末期

1842年(天保13年)5月18日に長州藩士 有地留之助の次男として周防国吉敷郡長野村(現在の山口県山口市)に生まれる。はじめ、萩の藩校明倫館で学ぶ。1859年安政6年)4月、江戸へ行き、長州藩上屋敷内の有備館で学ぶ。さらに儒学者 塩谷宕陰から漢籍経書・歴史を、書家 小島成斎から書道を学ぶ。1862年文久2年)に帰国して明倫館舎長となる。

1863年(文久3年)10月に同じく長州藩士 野村正名の養子となり、1866年慶応2年)2月、家督を継ぐ。攘夷を唱え勤王志士として国事に奔走。四境戦争では当初、藩主側近として働き、小倉城陥落後は九州方面の軍監を命ぜられ参謀 前原彦太郎(後の前原一誠)とともに講和談判などの戦後処理にあたった。

明治期

1868年明治元年)に山口藩参政公議人 兼 軍政主事となり、翌年には権大参事となる。1871年(明治4年)官命によりヨーロッパ諸国を視察する。翌年3月に帰国すると茨城県令、文部大丞、学務局長、大督学、文部大書記官、元老院大書記官を歴任し、1881年(明治14年)11月には元老院議官となる。さらに博物局長兼務、亜細亜大博覧会組織取調委員、内国勧業博覧会委員、同評議員などを命ぜられる。

1890年(明治23年)に貴族院が発足すると同年9月29日に勅選議員に任命され[1]、同年10月20日、錦鶏間祗候となる[2]1900年(明治33年)にはこれまでの功績を認められ男爵を叙爵。

大正・昭和期

1927年(昭和2年)12月23日に東京上大崎長者丸の自宅にて没。享年86。勲一等旭日大綬章を授与される。

書家として

晩年は素軒の号で書家として活躍。日本書道会幹事長、書道奨励会会頭、選書奨励会審査長などを務めた。

行書を得意とし各地に筆跡が残されている。石碑も多くを手がけ、京都霊山護国神社の木戸公神道碑、上宇野令香園の毛利公神道碑といった勅撰碑のほか、全国で40基ほどを確認できる[3]

同じ長州出身の書家、杉聴雨長三洲と合わせて「長州三筆」と呼ぶことがある。「明治の三筆」の一人に数える文献もあるが「明治の三筆」と言えば日下部鳴鶴中林梧竹巖谷一六の3人を数えるのが一般的。

栄典

位階
爵位
勲章等
受章年 略綬 勲章名 備考
1888年(明治21年)5月29日 勲二等旭日重光章[8]
1889年(明治22年)11月25日 大日本帝国憲法発布記念章[9]
1890年(明治23年)11月1日 藍綬褒章[10]
1906年(明治39年)4月1日 勲一等瑞宝章[11]
1915年(大正4年)11月10日 大礼記念章[12]
1927年(昭和2年)12月23日 旭日大綬章[13]

作品

  • 長野県大町市 大町西小学校 渡邊敏記恩碑
  • 長野県松本市 四柱神社 中柴氏寿碑
  • 埼玉県狭山市 廣瀬神社 社号額
  • 東京都文京区 小石川宗慶寺 珂北野口先生碑
  • 東京都目黒区 目黒不動瀧泉寺 昆陽青木先生碑銘
  • 神奈川県中郡大磯町 大磯駅前 海内第一避暑地ノ碑
  • 静岡県伊豆の国市 韮山反射炉 反射炉記念碑
  • 京都府京都市左京区 京都府立図書館内 吉田松陰拝闕詩碑
  • 京都府京都市東山区 東福寺三門傍 防長忠魂碑
  • 京都府京都市東山区 京都霊山護国神社 木戸公神道碑
  • 兵庫県洲本市 高田屋嘉兵衛翁記念館 高田屋嘉兵衛翁記念碑
  • 山口県山口市 上宇野令香園 毛利公神道碑
  • 山口県下関市 高杉東行終焉之地碑
  • 山口県山口市 大内長野神社 二義少年碑
  • 山口県山口市 山口大学教育学部玄関横 碑
  • 山口県下関市長府川端町2丁目 桂弥一旧宅 額
  • 山口県山口市 湯田温泉高田公園 七卿之碑
  • 山口県山口市 山口サビエル記念聖堂 周布政之助顕彰碑 来島又兵衛顕彰碑
  • 山口県下関市 覚苑寺 杉聴雨先生頌徳碑
  • 香川県丸亀市 中津万象園 茶屋の額
  • 貨幣の文字の手本(1905年3月1日〜不明)

家族

プッチーニが「蝶々夫人」のオペラを制作する際に、日本の事情や民謡に関して助言した、当時の在イタリア日本公使大山綱介夫人大山久子は野村素介の娘。久子は夫の死後、聖母の園養老院火災にて悲劇的な最後を遂げた。

脚注

  1. ^ 『官報』第2182号、明治23年10月6日。
  2. ^ 『官報』第2195号、明治23年10月22日。
  3. ^ 林淳『近世・近代の著名書家による石碑集成-日下部鳴鶴・巌谷一六・金井金洞ら28名1500基-』収録「野村素軒石碑一覧表」(勝山城博物館 2017年)
  4. ^ 『官報』第994号「叙任及辞令」1886年10月21日。
  5. ^ 『官報』第3266号「叙任及辞令」1894年5月22日。
  6. ^ 『官報』第268号「叙任及辞令」1913年6月21日。
  7. ^ 『官報』号外「授爵叙任及辞令」1900年5月9日。
  8. ^ 『官報』第1473号「叙任及辞令」1888年5月30日。
  9. ^ 『官報』第1928号「叙任及辞令」1889年11月30日。
  10. ^ 『官報』第2205号「彙報 - 官庁事項 - 褒章 - 藍綬褒章下賜」1890年11月4日。
  11. ^ 『官報』第7272号「叙任及辞令」1907年9月23日。
  12. ^ 『官報』第1310号・付録「辞令」1916年12月13日。
  13. ^ 『官報』第300号「叙任及辞令」1927年12月27日。

参考文献

  • 一坂太郎 「防長の隠れた「偉人」たち」 春風文庫、2002年1月1日。
  • 林淳 『近世・近代の著名書家による石碑集成-日下部鳴鶴・巌谷一六・金井金洞ら28名1500基-』勝山城博物館 2017年4月

関連項目

外部リンク

その他の役職
先代
金井之恭
書道奨励協会会頭
1907年 - 1927年
次代
杉渓言長
日本の爵位
先代
叙爵
男爵
野村(素介)家初代
1900年 - 1927年
次代
野村素一


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