部屋持ち親方時代
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2016年4月、師匠の19代千賀ノ浦(元関脇・舛田山)の定年まで2週間を切り、出羽海一門からの後継者を擁立出来ず、同一門内の他の部屋との合併も合意に至らず、消滅間際になった千賀ノ浦部屋の継承を要請された。「力士の居場所が無くなるのはかわいそうだ」との思いから、家族にも同意を得て5年後に名跡を元に戻す事を条件に名跡を交換し、20代千賀ノ浦を襲名、異例の一門外からの部屋継承に至った。この師匠交代に伴い、千賀ノ浦部屋は出羽海一門から貴乃花一門へ移った。 師匠になってから1年半で、17歳で幕下に上がった後長く足踏みしていた隆の勝を出稽古と猛稽古で鍛え上げ、無事関取に育て上げている。隆の勝は、自身が師匠になってから初の関取となった。 2018年6月、貴乃花が離脱したことにより、貴乃花一門は消滅した。同年7月の相撲協会理事会で全ての親方は5つある一門のうちのいずれかに所属することが決定されたため、元々所属していた二所ノ関一門に加入を申請し、同年9月21日に認められた。同年10月には退職する貴乃花より「全員が千賀ノ浦部屋への移籍を希望しています」との強い依頼を受け、貴乃花部屋の力士たちと裏方全員を千賀ノ浦部屋へ迎え入れた。同月4日、部屋のTwitterに「どの子も我が子」と自ら書いた一筆をアップし、自らの弟子となった力士たちへの歓迎の意をあらわしている。 同年11月場所では、旧貴乃花部屋から移籍したばかりの小結・貴景勝が幕内最高優勝を果たした。しかし冬の九州巡業中に同じく旧貴乃花部屋から移籍した貴ノ岩が付け人であった貴大将に対し暴行を加えていたことが明らかになり、同年12月に貴ノ岩は引責引退となった。20代師匠である千賀ノ浦も監督責任を問われ、譴責処分を受けた。 20代千賀ノ浦は貴ノ岩を厳しく叱責 したが、「幕内で相撲を取った男だから最後の花道としてやってあげたい」と尽力し、2019年2月2日に両国国技館で断髪式を執り行っている。 2019年3月場所後、弟子の貴景勝が大関に昇進した。 同年9月場所直前の9月2日に弟子の貴ノ富士の付け人ら3人の序二段力士が部屋から姿を消した。20代千賀ノ浦は、同日深夜に連絡を取って貴ノ富士が付け人に暴行を加えた事態を把握。翌3日に鏡山コンプライアンス部長に報告し、19日の協会コンプライアンス委員会の会合では貴源治とともに貴ノ富士の弁明に立ち会った。同委員会による調査の結果、貴ノ富士による付け人への暴行・差別的発言 や貴源治による新弟子への理不尽な命令・処罰 が判明。千賀ノ浦についても「2018年10月に旧貴乃花部屋の力士たちが移籍してきた際、所属力士全員に対し『暴力・いじめ等をしない』という誓約書を提出させ、日頃から『暴力をしたらおしまいだから』と注意喚起してはいた」が、同月26日の理事会で師匠としての監督責任を問われ、報酬減額6ヵ月(20%)の処分を通達された。 2020年、コロナウィルス感染拡大防止の為、無観客で行なわれた三月場所で弟子の隆の勝が12勝3敗の好成績をおさめ初の三賞、敢闘賞を受賞した。 同年11月場所には、弟子の貴景勝が大関になってから初の幕内最高優勝を果たした。優勝インタビューで貴景勝は「自分が調子が悪い時でもどんな時でも懐で守ってくれた親方、おかみさん、部屋の皆んな、日頃からサポートしてくれている人たちに感謝している」と語っている。 同年11月26日、両者間の当初からの取り決めだった5年で名跡を元に戻すことが理事会で承認され、20代千賀ノ浦は17代常盤山に戻った。これに伴い同日付で部屋の名称も「常盤山部屋」となり、同年2月16日には常盤山部屋としての新宿舎を板橋区前野町に構えた。稽古場には17代常盤山の師匠にあたる土俵の鬼と呼ばれた第45代横綱若乃花の写真が三枚飾られていると関係者により伝えられている。コロナ禍中の為、二所ノ関一門の親方や関取が参加する部屋開きなどは行われない。 2021年7月場所中、大麻使用の噂が流れていた弟子の貴源治が協会の聴取に当初は否認したが尿検査で陽性反応が出たことから使用を認めた。同月30日に貴源治は懲戒解雇となり、噂の情報提供が他の部屋からであったことからも17代常盤山は厳しく監督責任を問われ、委員から年寄に二階級降格処分を受けた。 2022年2月4日、協会は常盤山が新型コロナウイルスに感染したと発表。
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