部屋継承騒動
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/14 09:17 UTC 版)
1995年には大島部屋に所属していた旭豊勝照を長女の婿養子に迎えて養子縁組を結び、1999年の自身の停年退職と同時に旭豊へ部屋を継承させた。しかし、継承直後から部屋の経営方針や指導に関する意見の違いで対立が目立ち、停年退職後も部屋の稽古場に監視カメラを設置して指導方法に口を出すようになった。挙句の果てには旭豊の引退相撲において、その収益を妻と共に持ち逃げしたことで旭豊の元に届いたのは税金の督促状のみという事態を引き起こした。これに激怒した旭豊は養子縁組を解消して離婚するが、先代・立浪も「親方株の譲渡代金」として旭豊へ対して1億7500万円の支払いを命じる民事訴訟を起こした。一審では勝訴したものの控訴審で逆転敗訴となり、最高裁での上告も棄却されたが、旭豊は騒動を受けて部屋を移転させ、かつて双羽黒から暴行を受けて脱走騒ぎを起こしたと報じられた羽黒海憲司の要請で、部屋のアドバイザーとして北尾光司を招聘した。北尾は安念山に対する態度を軟化させており、光文社のインタビューでは自ら安念山との確執について「若さ故の未熟さ」と語っており反省の様子を見せていた。 2021年2月8日、東京都内の病院で死去。86歳没。訃報は日本相撲協会から同年12月13日に公表された。
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