選手・サポーターへの影響力
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/05 07:18 UTC 版)
「松田直樹」の記事における「選手・サポーターへの影響力」の解説
松田の戦力外の報道がされると、その日の内にクラブハウスにサポーターが大勢押し寄せ、戦力外を直接伝えたと言われる下條佳明統括本部長に撤回を求め詰め寄った。ファン・サポーターによって集められた再契約に関する嘆願書の署名数は数日で2万通を超えた。2010年12月4日の最終節後のセレモニーでは嘉悦朗球団社長と木村和司監督の挨拶はサポーターの松田のチャントでかき消され、セレモニー後のスタジアムには数千人のサポーターが6時間以上座りこんだ。 2011年12月4日、横浜FMの最終戦からちょうど1年後、松田の4か月目の月命日に松本山雅はホンダロックSC相手に2-0とJ2昇格を決定する勝利を納めた。試合後、選手たちは松田が着ていたユニフォームやフラッグと共に喜び、サポーターは松田の死後封印していた松田直樹のチャントを歌った。 生前、「練習試合でもいいからマリノスと戦いたい」。と発言していたが、2011年12月17日、松田が所属していた横浜FMと松本山雅FCが天皇杯4回戦で対戦した(4-0)。ウォーミングアップに入ると、松本山雅の選手全員が松田の背番号「3」入りの練習着を身にまとった。試合後には横浜F・マリノスの選手全員が松本山雅のサポーターの元に足を運んで深々と一礼し、山雅のサポーターからは「Fマリノス」と大きくコールを受けた。 親友である安永聡太郎と佐藤由紀彦は「一般財団法人松田直樹メモリアル」を設立し、2012年1月22日に横浜国際総合競技場にて松田直樹メモリアルゲームが開催された。4万人を超える観客と松田直樹と親交の深い多くのサッカー関係者・音楽関係者が国内外から集まった。また、この日のために5年ぶりにブラジルから来日した横浜FM時代の同僚のドゥトラは、2か月後、横浜F・マリノスに復帰することとなった。 メモリアルゲーム終了後のセレモニーでは、安永が挨拶している最中に突然、マイクの音声が乱れた。イタズラ好きだった松田の事もあり、安永は「直樹のイタズラです。こういうヤツなんすよ」と言葉を詰まらせた。メモリアルゲームに参加していた中山雅史も「ノイズがね。イタズラ好きな部分がそうさせたのか意味深だよねぇ」と話した。2019年12月に同じく日産スタジアムで行われたJリーグ最終節では、マリノスの15年ぶりの優勝を成し遂げた。試合終了後に松田とプレーした栗原勇蔵の引退セレモニーが行われ、栗原が話すセレモニー最中にマイクに同じくノイズが入り「マツさんかと思いました。マツさん、引退します」と報告した。 生前、親友の佐藤由紀彦の妻が妊娠した際、まだお腹が微妙な大きさの時期に松田はいち早く気づいていた。その半年後(松田の死後)に産まれた佐藤の四男は、松田の名前から一字とり、由紀彦の“紀”と組み合わせて“直紀”と名づけられた。 横浜FMの試合では松田の顔が描かれた横断幕が掲げられており、日産スタジアムの試合では3ゲートに掲げられている。日韓W杯で代表を共にした柳沢敦は、ベガルタ仙台移籍後初ゴールを決めたマリノス戦でのインタビューで「(松田の)横断幕を見ながらプレーした。また新しい思い出がつくれた。」と語っている。 横浜FM・松本山雅でチームメイトだった木島良輔は、松田の死後の直後の8月7日のJFL後期第6節の対SAGAWA・SHIGA・FC戦にて途中出場した際、松田の3のヘアバンドと自身のユニフォームの下に松田のユニフォームを着こみ試合に臨んだ。以降、試合に出場する際は必ず3のヘアバンドをつけている。 横浜FMへ背番号3の永久欠番を提案した中村俊輔は、2013年12月10日に「2013Jリーグアウォーズ」最優秀選手賞を受賞し「彼の存在なしに今の私はいないと思っています。」というコメントを残した。 全く同じ生年月日で 松田と深い交友のあった吉田孝行は、“いつも一緒に戦っていた”と語り、松田の死後の2011年8月6日に2ゴールを決め、その直後喪章と共に右手で3を作り天に示した。また自身の引退である2013年11月24日には1ゴールを決め、その直後に松田直樹メモリアルが製作した3のヘアーバンドを取り出して頭につけている。 松本山雅FCで3の背番号を引き継いだ田中隼磨は、2014年11月1日にJ1への自動昇格を決めた直後、ユニフォームを脱ぎ号泣しながらピッチへ膝をついた。名古屋グランパス所属時代から毎試合着用しているアンダーシャツ には“ありがとう松田直樹3”と書かれており、試合後には、5月に松田と同じ右膝半月板を損傷しながらも試合に出続けていたことを発表した。その理由について「マツさんの遺志を受け継いだチームをJ1へ昇格させることにサッカー人生を懸けていた。」と語った。 横浜FM時代チームメイトだった永井秀樹からは「自分が一緒にプレーした中で間違いなく最高のDF」と評され、2017年の松田の命日に自身の引退試合にJ LEGENDSの一員として発表。8月14日の引退試合では、松田の長男が背番号3のユニフォームを着てプレー。永井は試合後に「本当にDFの中で一番好き。今でも最高の選手だと思う。引退試合のお話をいただいてユニホームを発注する時、最初に書いたのが背番号3、松田直樹でした」と明かし、松田の長男のプレーについては「恥ずかしがってピッチに立たないのかなと思ったんですけど、堂々とやれた。少なからず直樹のDNAだなと思いました」と語った。 横浜FMでチームメイトだった栗原勇蔵は、松田と同じくマリノスから代表まで上り詰め、プレースタイルやメンタル面などから「第二の松田直樹」とも呼ばれた。2019年シーズンは、マリノスに在籍し、シーズン途中で移籍した選手のユニフォームがロッカールームに掲げられ、その中に松田のユニフォームも存在した。このシーズン、マリノスは松田が在籍中の2004年以来15年ぶりのリーグ優勝を果たした。松田と同時期にプレーした選手は栗原だけとなっており、この年限りで引退する栗原が松田の3番のユニフォームを着て優勝シャーレを掲げた。その際、サポーターから直樹コールが送られた。
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