近代以降の受容
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ヴァルキュリャは、19世紀以降、詩や美術、音楽など、さまざまな芸術作品のモチーフとされてきた。特にドイツでは、ロマン主義と汎ゲルマン主義の潮流の中で、『ニーベルンゲンの歌』などを通してゲルマン文化としてのつながりを示す北欧神話への興味が高まり、多くの作品が制作された。 詩では、ハインリヒ・ハイネの「ワルキューレ」(『ロマンツェロ』所収、1847年)やH・フォン・リンゲの「ワルキューレ」(1864年)、スウェーデンの詩人カリン・ボイェの「スケルドモン」(『ゲンダランド』所収、1924年)などがよく知られている。 美術作品としては、J・G・サンドバーグやM・エヒター、A・ウェルチ、T・ピクシス、A・ベッカー、K・エーレンバーグ、H・ギュンター、H・ヘンドリッヒ、J・C・ドールマン、A・コルブ、E・ハンセンといった作家が、ヴァルキュリャを主題とした作品を制作している。 音楽作品で最も有名なのは、リヒャルト・ワーグナーの楽劇『ニーベルングの指環』の第1幕『ヴァルキューレ』であろう。『ニーベルングの指環』は、『シグルドリーヴァの歌』や『ヴォルスンガ・サガ』など北欧のシグルズとブリュンヒルドの物語をベースとして作劇され、9人のヴァルキューレがヴォータン(オージン)の娘として登場する。彼女らの名前は(ブリュンヒルデを除き)ワーグナーの創作であり、古ノルド語の資料には登場しない。ワーグナーの創造した神話世界は、原資料の描写を侵食するほどの印象を大衆に与え、後世のヴァルキュリャのイメージにも大きく影響した。 現代では、北欧神話や『ニーベルングの指環』をモチーフとしたファンタジーやテレビゲームなどにおいて、戦闘を担う女戦士としてヴァルキュリャが登場することがある。例えば『ヴァルキリープロファイル』では主人公がヴァルキュリャであり、来たるラグナロクに備えて斃れた戦士の魂を集める役割を担う。 現代のドイツでは、ブロンドの大女を軽蔑的にワルキューレということもある。
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近代以降の受容
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ドイツにおけるブリュンヒルトの再受容は、1755年に『ニーベルンゲンの歌』が再発見されたことに始まる。しかし、初期にはブリュンヒルトではなくクリームヒルトが注目された。スカンディナヴィアにおいて、いわゆる「スカンディナヴィア・ルネッサンス」といえば、ブリュンヒルドの伝承がエッダから現代まで残っており、ブリュンヒルドが登場するバラッドの伝統にある程度影響を与えているということを指している。 ドイツの聴衆に北欧の資料がもたらされると、ブリュンヒルトはドイツでより重要視されるようになった。北欧の異版は、より「原典に近く」「ゲルマン的」なものとして見られ、しばしば宮廷風の『ニーベルンゲンの歌』よりも好まれた。フリードリヒ・ヘッベルの悲劇『ニーベルンゲン』3部作では、ブリュンヒルドは、ディートリヒ・フォン・ベルンが表象するキリスト教によって克服されるべき異教の過去を象徴するものとされた。 リヒャルト・ワーグナーの楽劇4部作『ニーベルングの指環』は、ブリュンヒルドを主要人物の座に引き上げた。大筋は古ノルド語の資料に従っているものの、ワーグナーは『ニーベルンゲンの歌』からの要素や自らの着想を加える場合もあった。ワーグナーは、このキャラクターをブリュンヒルデ(Brünnhilde)として導入した。中高ドイツ語の与格を示す-eを語末に加え、現代ドイツ語のBrünne (鎧)との連想をよりはっきりさせるためにBrünnにスペルを変更したのである。ワーグナーによる描写は、大衆の想像力においては元々の資料のそれを侵食しており、現代におけるブリュンヒルドへの言及は、特にドイツ・北欧の外においては、ワーグナー由来のものがほとんどである。 ブリュンヒルドは、フリッツ・ラングの2部作『ニーベルンゲン』においても主要な役割を果たす。ここでは『ニーベルンゲンの歌』における役割に準じているが、ジークフリートとの関係や自殺など、北欧の伝承からの要素も取り入れている。 漫画やゲームなど現代の大衆文化におけるブリュンヒルドは、中世の資料と直接関係のあるものはほぼない。
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