近代以降のヴィラ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/07 05:15 UTC 版)
18世紀初め、英語にこの単語が取り入れられた。イニゴー・ジョーンズがパッラーディオへの興味を復活させ、新パラーディオ主義のヴィラがテムズ川沿いに点在するようになった。トーマス・ジェファーソンのモンティチェロは多くの観点でヴィラと言える。イングランドの Marble Hill House は18世紀的な意味でヴィラを名乗っていた。 19世紀には、郊外の邸宅でランドスケープの中にぽつんと立っているものを全般にヴィラと呼ぶようになった。20世紀には二戸建て住宅までヴィラと名付けるようになり、意味が拡大され乱用されすぎて、本来の意味が失われた。19世紀後半、ドイツ語圏で大規模な "Villenkolonie"(「ヴィラのコロニー」の意)が多数建設された。これは人工的な計画に沿って大邸宅だけを並べた一種の団地である。ベルリンのリヒターフェルデ西(英語版)の Villenkolonie Lichterfelde は、建築家がイングランド南部を旅した後に設計した。 イギリスでは第一次世界大戦後に価値観が変化し、都市近郊のヴィラはバンガローへと変化し、オーストラリアやニュージーランドでも特に1920年代から1950年代に都市近郊の開発が進み、バンガローが多く建設された(ここでいうバンガローは日本語での意味とは異なる)。ヴィラの概念はドイツ語圏、南ヨーロッパ、ラテンアメリカ、特にアメリカ西海岸で生き残っており、上流階級のライフスタイルと結びつけて用いられる用語となった。 近代建築において、「ヴィラ」と呼ばれる重要な建築物がいくつかある。 落水荘(フランク・ロイド・ライト) Villa Lewaro(Vertner Tandy) サヴォア邸(ル・コルビュジエ) トゥーゲントハット邸(ミース・ファン・デル・ローエ) 最近では貸し別荘をヴィラと呼ぶことも多い。特にパキスタンやフランスの影響を受けた西インド諸島の島々、サン・バルテルミー島、セント・マーチン島、グアドループ、マルティニークなどである。 韓国では、高級な小規模共同住宅(日本でいうアパート)をヴィラと呼ぶことが多い。
※この「近代以降のヴィラ」の解説は、「ヴィラ」の解説の一部です。
「近代以降のヴィラ」を含む「ヴィラ」の記事については、「ヴィラ」の概要を参照ください。
- 近代以降のヴィラのページへのリンク