近代以降の伝存状況
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/16 17:27 UTC 版)
「浜松中納言物語」の記事における「近代以降の伝存状況」の解説
古くは三条西実隆の日記である『実隆公記』の享禄5年3月26日(1532年5月1日)の条に、「載首座浜松物語之送」とあり、このときすでに首巻が欠けていたと見られる記述が存在する。江戸時代初期の『源氏物語』の注釈書である『湖月抄』には「浜松、今の世には見えぬものにや」と散逸してしまったかのような記述が見られる。 江戸時代の版本及びいくつかの写本によって4巻分の本文が知られていたが、この物語について取り上げている上記の文献の記述の中に現存する伝本には現存する伝本の中には含まれない場面や和歌などが見られることから現存分はもともとも物語から、おそらくは冒頭と末尾を欠いたものであると考えられていた。現存する伝本では各巻が固有の巻名を持たず巻序も記されていないことから、推定される巻序に従って単に「一の巻」・「二の巻」などとのみ呼ばれている。その後昭和初期になって松尾聰が全5巻のうち欠落していた末巻を持つ写本(尾上本)を発見し、その翻刻校訂の成果を『尾上本濱松中納言物語』にまとめたことによって末尾はこれで完結していると考えられるようになった。しかしながら、冒頭部の巻を持つ写本は未だに発見されていない。当初現存第一巻の前にあったと見られる冒頭部分はおそらく1巻であろうと考えられており(但し現存第一巻の前に2巻ないしそれ以上の巻があったとする説もある)、「散逸首巻」と通称されている。 またこの物語から優れた和歌を取り上げた「物語後百番歌合」は、巻一から採録した和歌8首と巻二から採録した和歌4首との間に現存する伝本には見ることの出来ない散逸した部分から採録したと見られる和歌2首を挙げており、もしこの「物語後百番歌合」が、物語の巻序に従って和歌を並べているとすると、現存する巻一と巻二との間に散逸した部分が存在することになるとする説などもある。
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