身体面の特徴
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/01 08:16 UTC 版)
サラブレッド競走馬の平均体重が470kg程度あるのに対し、ステイゴールドは最も重かったときで2001年の日経新春杯時の436kgと、小柄な体躯の持ち主であった。生まれた頃は他馬と同じ程度の体格だったが、成長が鈍く、じきに自分より小柄だった馬にも追い抜かれていった。これはゴールデンサッシュの産駒に共通して見られる成長過程だった。池江泰郎は「つくりの軽いスポーツカーみたいな馬」と評したことがあり、熊沢重文によれば、「大人のからだに変わってきたのが6歳の後半」だったといい、「ほんとうに大器晩成だったんだろうな」と述べている。また厩務員の山元重治は「骨格が牝馬みたいやった」と評しているが、調教助手を務めていた野村功は、体重60kgある人間が騎乗して調教を課すと失速する馬が多いなか、ステイゴールドは小柄だったにもかかわらず失速せずに走る馬力があったとしている。 また、ほとんど休養をはさむことなく50戦を走り抜いた頑健さに対する評価が高く、池江泰郎は「『無事是名馬』を地でいくような、素晴らしい馬」、岡田繁幸は「ほんとうに偉大なことで、よほど柔らかい筋肉を持っている証拠です」と述べている。共有馬主を統括する社台サラブレッドクラブ代表の吉田晴哉は、「この馬のすごいところは、引退の話を出すスキを決して見せなかったところですね」と語り、毎回の出走予定をきっちりとこなし、勝てずとも賞金は必ず稼いでいたステイゴールドを「クラブで持つ馬としては理想的」、「(ステイゴールドのような馬は)いません。うちのクラブだけじゃなくて、競馬界全体を見てもほとんどいないんじゃないですかね。信じられない存在です」と評している。
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身体面の特徴
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/04 08:21 UTC 版)
東京優駿出走時に計測された体高(キ甲=首と背の境から足元まで)は166cm、推定体重は500kg以上と、当時としては大型馬であったが、スマートさに欠ける体型で「ずんぐりむっくりの大型戦車」などと揶揄されていた。ライターの藤野広一郎が往時を知る調教師に取材したところによれば、「ああいう馬は、玄人には買えない馬です」と語ったという。「大尾形」と称された尾形藤吉も、セリでセントライトを見たものの敬遠していた。日本中央競馬会の理事を務めた青木栄一は「黒い巨体を、私の記憶では大きな蹄で、ノッシノッシという感じで馬場に出てくる様子は、暗闇の牛という感じであった」と述懐している。しかしその身体は健強で、小西は「セントライトは馬面中の馬面で好男子ではなかったが、利口で丈夫。感冒一つひいたことがなかった。横浜で走っていたころ体高を計ったら1メートル64センチ。それが東京へ来てから計ったら2センチ伸びていた。芯から丈夫な証拠だと思ったね」と述懐している。また、田中和一郎は「こんなに疲労回復が早い馬は見たことがない」と驚いていたという。 なお、セントライトが競走登録される直前まで、日本競馬会は体高164cmを超える馬の登録を認めていなかった。もしこの規定が撤廃されていなければ、セントライトは地方競馬で走ることを余儀なくされていた。大川慶次郎は一説として、計測の時に前脚の地面を少し窪ませてごまかしたという話もあったという。
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身体面の特徴
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/14 06:39 UTC 版)
ノーザンファームの中尾義信によれば、出生した年から「早来で1、2を争う好馬体の持ち主」であった。他方、同場の獣医師は「初仔ということもあって小ぶりな馬で、これといった印象はなかった」としているが、彼もスワンステークスの勝利時には「これほど立派な体になるとは思わなかった」と述べており、いずれにせよ好馬体を備えていた。父・サクラユタカオーを生産した藤原牧場の藤原悟郎は「ユタカオーは本当にきれいな馬だったけど、それを筋肉質にしたタイプがバクシンオーだと思う。柔らかさ、スピードのあるところが似ている」と評している。評論家・石川ワタルはその馬体を評し「日本の近代競馬が総力を挙げて生み出した最高のスプリンターにふさわしいものがある。名は体を表し、馬体はその馬の素質を表す。その一つの典型となるのが、サクラバクシンオーなのだ」と賞した。小島太によると「見ていると豪快なイメージがあるバクシンオーだけど、脚の関節がものすごく柔らかくて、コーナーリングもすごくスムーズ」だったといい、「あの感触を味わえる馬は他になかったね。最高の乗り味だった」と述べている。 その一方で、父同様の体質の弱さも備え、陣営は常に「これが最後のレースになるかもしれない」という覚悟のもとでレースに送り出していたという。評論家の大川慶次郎は「境勝太郎が嫌い」であると公言していたが、その大川も「サクラバクシンオーに関しては、境さんは名調教師といえる」、「休むときには休ませ、いいときに使っている。もちろんレース中に故障するようなこともなかった。(中略)引退までずっと大きな故障もなく競走に出られたのは、境さんがいい調教師だったから」と賞賛している。境自身は、日々献身的にバクシンオーの脚部をケアし続けた厩務員・吉村活彦の努力があってのことだとしている。
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