誰が最初に上ったか?とは? わかりやすく解説

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誰が最初に上ったか?

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/01/01 06:53 UTC 版)

第三次チャタヌーガの戦い」の記事における「誰が最初に上ったか?」の解説

南軍大砲北軍最初突撃のときはほとんど当たらなかったが、一旦北軍兵が射撃壕線で止まる彼等全滅させる勢いだった。南部ライフル銃兵もその銃弾降り注いだ北軍何人かの部隊指揮官最悪銃火避けるために兵士前進させた。ウィリッチの散兵命令無し尾根登り始めた。ウィリッチは射撃壕線で虐殺されるよりも彼等の後に着いた方が良い決断し前進命令出したが、既に幾つかの部隊登り始めていた。これを見たヘイズンビーティ最初横隊登坂命令出したウッド射撃壕線に到達したとき2列目の横隊同じよう登坂命令を出すように請いウッド彼等前進させた。 グラント北軍兵が尾根登り始めたのを見て衝撃受けた。まずトーマス続いてグランジャー誰が命令出した尋ねた。どちらの将軍もその責任があると言わなかったが、グランジャーが「あいつ等が登り始めた誰も止められない」と答えた続いてグランジャーウッドに、もしウッド可能だと思うならば尾根頂上を取る許可与えると伝令送った何人かの伝令がほとんど同時に異な命令持って出て、さらに混乱増した最左翼ではフェルプスとヴァン・ダービアが射撃壕を捕獲してその陣地守った幾らか粗い地面格闘しながらターチンの旅団その後続いた。しかし、その部隊射撃壕を制圧するやいなや、「気違いロシア人」(ターチンのこと)は即座に尾根登り奨励したベアードが他の2個旅団送り出せ前に停止命令受け取ったワグナーとハーカーの部隊ウッド旅団の後を追って直ぐに登り始めたワグナー半分上った時に尾根の底で停止する命令受け取った。彼は部隊引き返し命じた彼等引き返し始めると勢いづいた南軍守備兵のために大きな損失受けたワグナーとハーカーの部下何人かが射撃壕線に戻ると、彼等の左にいたウッド師団と右にいた自分達の師団がまだ丘に登り続けているのを見た競争相手師団先に行かれて、ワグナーは第2列目に登坂命じたシェリダン間もなくハーカーに後退命じた。その右手では、フランシス・シャーマン旅団尾根半分くらいの所にある塹壕線に直面し苦心していた。遙か右では、ジョンソンの2個旅団射撃壕の決死抵抗遭い尾根登り開始遅れた南軍前線先ず午後5時頃にバーズミル道路破れた。ウィリッチの連隊1つヘイズンの2個連隊加わって南軍胸壁50ヤード (45 m)まで進んだ地形湾曲しているために保護され忍び寄り続いて突進してウィリアム・F・タッカー旅団が守る胸壁飛び込んだ近くにいた守備兵は急を衝かれて降伏する命からがら逃げ出した抜け目のない北軍士官がその連隊右左動かして南軍前線包み込み始めたタッカー勇敢に部下兵士達鼓舞したが、その時までにウィリッチとヘイズン兵士達頂上溢れていた。 ブラッグ軍には戦術的な予備隊が無かったので、その守備陣はほんの薄い皮一枚だった。裂け目を繕うために南軍将軍達近くにいる旅団指揮官達に幾らか連隊貸して貰うよう依頼し反撃移ろうとした。幾つかの場所では、これが守備主戦線を弱め、その前にいた北軍旅団頂上まで登らせてしまった。 ヘイズンは一旦尾根頂上に出るとその旅団を南に振ったこの方向の南軍前線アレクサンダー・W・レイノルズ旅団守っており、その部隊尾根の底からきつい坂を上ってきた者達だった。レイノルズ隊の疲れ切った兵士達正面側面から攻撃され崩壊したヘイズン隊は南へ進軍続け南軍ベイト師団R・Cタイラー旅団陣地から追い出し北軍ワグナー旅団頂上に着くことを可能にした。ベイトフロリダ旅団直ぐに追い出され北軍ハーカーの部隊頂上到着した南軍R・Lギブソン旅団はフランシス・シャーマンの部隊打ち負かされた。ジョンソンの2個旅団厳し抵抗険し斜面のために難渋しており、尾根上るために最も長い時間要したカーリン隊は午後5時半頃にやっと頂上達した南軍スチュアートはその陣地絶望的なのを見て取りオトー・F・ストラールマーセラス・A・ストーバルの旅団尾根から退かせた。 一方、ウィリッチの部隊北へ回り込みアンダーソン師団側面潰し始めた。ウィリッチが成功したことでビーティ旅団頂上達することができた。この2個旅団先ずアーサー・M・マニゴールト隊を駆逐し北へ回り込み続けた彼等尾根やってくる北軍ターチン、ヴァン・ダービアおよびフェルプス戦死していた)の旅団南軍ザカライア・C・デーズアルフレッド・J・ボーンおよびジョン・K・ジャクソン旅団への攻撃度合い強めた南軍兵の中には頑強に抵抗する者もいたが、多くの者は北軍兵が側面から圧力を掛けていることが分かった時に恐怖捕らわれ逃げ出した南軍歩兵砲兵がその大砲脱出させるのを助け前に逃げ出すことが多かった。この過程アンダーソン師団全軍とチーザム師団左翼にいたジャクソンムーア准将旅団崩壊した北へ向けた北軍進撃はウォルトホール旅団頑強な抵抗と夜の訪れ止められただけだった。チーザム、ギスト、スティーブンソンおよびクリバーンはあまり損失を受けることもなくその師団後退させたが、この敗北兵士士気落ち悔しがらせた。 シェリダン隊だけがミッショナリー・リッジの向こうまで追撃したが、その夜遅くグランジャートーマス支援も無いことが明らかになったときに遂に諦めた

※この「誰が最初に上ったか?」の解説は、「第三次チャタヌーガの戦い」の解説の一部です。
「誰が最初に上ったか?」を含む「第三次チャタヌーガの戦い」の記事については、「第三次チャタヌーガの戦い」の概要を参照ください。

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