誰が命令を出したか?
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/01/01 06:53 UTC 版)
「第三次チャタヌーガの戦い」の記事における「誰が命令を出したか?」の解説
午後2時半頃、グラントはウェストポイント時代の級友トマス・J・ウッドと話をしていた。「シャーマン将軍が大変な時にあるようだ」とグラントが述べた。ウッドは「そうだ、将軍、彼は暖かい場所にいるようだ」と答えた。グラントは「彼が大変な時を過ごしているかのように見え、我々は彼を助けに行くべきとも思える。」と応じた。2人はもう少し会話をして、グラントは明らかにウッドとフィリップ・シェリダンの師団を尾根の底にある南軍射撃壕に対して送り出す決心をした。続いてグラントはトーマスにその考えを提案した。何らかの理由でグラントとトーマスの間は冷え込んでいた。トーマスはグラントの考えを否定した。一方第4軍団指揮官ゴードン・グランジャー少将が近くにおり、完全に砲台の動きに気を奪われていた。 グラントはイライラしてトーマスに向かい、グランジャーに「その軍団の指揮を執り、貴方の部隊を前進させ、敵の最初の射撃壕線を占領するよう」命令することを求めた。トーマスはその命令をグランジャーに渡した。午後3時頃だった。信じ難いことだが、グランジャーはその命令を無視し砲台指揮に戻った。グラントからさらに叱責を受けた後で、グランジャーは遂にウッドとシェリダンに命令を出した。伝令はジョン・M・パーマー少将の第14軍団に属するアブサロム・ベアードとリチャード・W・ジョンソン各准将にも行った。グランジャーのウッドに宛てた命令は「直ぐに行動を開始すること、貴方の命令を貴方の旅団指揮官にも即座に伝えること、前進の合図は砲台の6門の大砲からの急速連射である。」という内容だった。 左から右にベアード、ウッド、シェリダンおよびジョンソンの師団が並び、総勢は23,000名だった。各師団はジョンソン師団が2個旅団の他は皆3個旅団だった。旅団はすべて横隊で配置に付いた。旅団の並びは左から右にエドワード・H・フェルプス大佐、フェルディナンド・ヴァン・ダービア大佐、ジョン・B・ターチン准将、サミュエル・ビーティ准将、オーガスト・ウィリッチ准将、ウィリアム・B・ヘイズン准将、ジョージ・D・ワグナー准将、チャールズ・G・ハーカー大佐、フランシス・T・シャーマン大佐、ウィリアム・L・ストートン大佐およびウィリアム・P・カーリン准将だった。各旅団は2列横隊になり、散兵が先導した。 グラントの尾根の底にある射撃壕線で止まれという命令は、それを実行する圧倒的に多くの将軍達に誤解されていた。或る者は攻撃者が頂部からの銃火や反撃に最も脆弱になる瞬間に攻撃を止めるのは愚かと考えたのでその命令を疑った。他の者は、明らかにその命令の歪曲したものを受け取っていた。 午後3時40分頃、ベアードがターチンに説明できる前に合図の大砲が鳴った。連隊士官の中には同じ旅団から矛盾した命令が出たことに抗議した者がいた。どこで停止するのかを問われたときウィリッチはある士官に「わからない、こんちくしょう、予想する」と告げた。シェリダンはグランジャーに命令の復誦を送り、目標は底なのか頂上なのかを尋ねたが、回答を得る前に合図の大砲が鳴った。ターチンとカーリンは尾根の頂上を陥れることを期待されていると考えた。大半の士官はどの部隊が隣にいるかを知らされただけだった。 尾根の底で射撃壕線を守っていた南軍兵も矛盾した命令に悩まされた。或る者は一斉射撃した後に撤退すると命令され、また或る者はその陣地を死守することになっていた。留まって戦った者は北軍兵の数に圧倒され、多くが捕虜になった。他の者は後から撃たれることに怯えながら尾根の頂部まで長い距離を登り始めた。北軍兵の手を逃れた者はその辛さで完全にへたばり、暫くの間自分を守ることもできなかった。
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