評価、論争
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1988年に「マム賞 (prix Mumm)」、1989年に「ブラックユーモア賞」を受賞した。 1991年、「アンジェ・スクープ・フェスティバル」で「稀覯文書賞 (Prix du document rare)」を受賞した。 1995年、『ル・モンド』紙の風刺画家だったプランチュは同紙の内部体制を批判し、特に幹部のジャン=マリー・コロンバーニ(フランス語版)とエドウィ・プレネル(フランス語版)について、「330人のジャーナリスト全員が民主的に自分たちの新聞に責任を負うべきであって、たった2人の人間の言いなりになるのはおかしい。懸念されるのは、まさに一部のジャーナリストが怖気づいていることだ。『耳を聾するほどの沈黙』は砲声や轟々たる非難より恐ろしい」と非難していた。もともとプランチュと幹部の関係は緊張をはらんでいたが、突然、幹部が「今後、プランチュは一面記事と関係のある画を描かなければならない、彼自身がテーマを選ぶことはできない」という決定を下したため、大規模な抗議デモを引き起こすことになった。2003年、ジャーナリストのピエール・ペアン(フランス語版)とフィリップ・コーエン(フランス語版)が当時ル・モンド社を牛耳っていたコロンバーニ、プレネル、そしてアラン・マンク(フランス語版)を批判する書物『ル・モンドの隠された顔 (La Face cachée du Monde)』を発表して話題になり、売上も20万部に達したが、この本にプランチュは「『ル・モンド』の新幹部に公然と盾突くことができる数少ない人間の一人だ」と書かれており、ようやく彼の行動の正しさが一般に認められることになった。 1996年、パリ破毀院で、裁判に関するプランチュの風刺画と人物小像の展示会が行われた。同年、第1回ガット・ペリヒ国際ユーモア賞(フランス語版)を受賞。この直後、オテル・ドゥルオー(フランス語版)で彼の風刺画が競売にかけられた。 1998年、フランス郵政公社が「国境なき医師団」を描いたプランチュの画を切手にして発売した。この他にも、アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所の解放60周年を記念した画、教育の普及を目指すフランス教育連盟(フランス語版)の設立150周年を記念した画が切手になっている。 公金横領と背任の疑いがかけられていたジャック・シラク大統領を批判する「本当に彼女は眠っているのか」と題する風刺画が物議をかもした。シラクがまどろむマリアンヌ(フランスの象徴)を後背位で犯す画であった。また、キリストがアフリカに向かってコンドームを投げている画、「神の意志は計り知れない」と題して司祭の小児性愛を風刺した画、司祭らの性的虐待に対する教皇の曖昧な態度を風刺した画などの一連の宗教・教会権力批判の画ついても反人種差別およびフランス人・キリスト教徒アイデンティティ尊重のための総同盟などのキリスト教団体から抗議を受けることになった。 なお、風刺画については、やはりムハンマド風刺漫画掲載問題を受けて2007年5月16日、ジュネーブで開催された国連主催の討論会「冒涜の休戦」を宣言した。「鷲鼻のユダヤ人やイスラエル人を描いていた中東の風刺画家」もまた「休戦」せざるを得なくなったと言う。これについて『シャルリー・エブド』の編集長・風刺画家シャルブは、「プランチュにとっての宗教批判は人種差別と同次元に置かれるものなのか」と批判している。 2013年9月、ベルギーのリエージュ大学から名誉博士号を贈られた。 2016年7月、ポルトガルのポルトで開催された第18回ポルト風刺画世界フェスティバルで彼の作品「ヴィヴァ・ユートピア」が第3位に輝いた。 2016年6月4日から8月28日までディナールの「アート・フェスティバル・パレ」で「平和のための風刺漫画」主催の大規模な回顧展が開催された。 2018年3月20日から6月3日まで、フランス国立図書館が「プランチュ - 風刺漫画の50年」と題する回顧展を開催し、プランチュの作品約150点が展示された。 1995年頃から、プランチュの画に可愛いネズミが描かれるようになった。どのような意味があるのかという質問に、「特別な意図があって描いているわけではない。そういう質問はちょっと困る。答えると、あの小さなネズミに私自身が望まないような重要性を与えることになるから」と語っている。
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