評価・説明
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/23 23:49 UTC 版)
「尊属殺重罰規定違憲判決」の記事における「評価・説明」の解説
本件の最高裁判決日に行われていた刑法学会では、違憲立法審査権の発動を評価する声が多かった。また、1950年(昭和25年)の合憲判決を下した当時の最高裁判所裁判官で、合憲を主張した齋藤悠輔は判決に批判を加え、違憲を主張した真野毅は判決を評価した。 判決で目的が違憲であると主張した田中二郎自身は、戦後直後に違憲とすることに慎重な意見を示していた。また少数意見は、全体の同意を形成するより原理的な思考を展開しており、意見の立場が多様なものとなっている。 下田武三の合憲の意見に対しては、人権感覚・憲法感覚が、日本国憲法の理念とかけ離れているとの批判が加えられた。 高橋和之は、多数意見の立場から考えれば適用違憲で判決を下すことができ、そのほうが考えにより適合すると考えられなくもないが、重罰規定が平等権の侵害となるような、違憲的事例とならない合憲的事例を明確に線引きできないため、不可能だと説明している。 喜田村洋一は、最高裁昭和39年5月29日第二小法廷判決(奥野健一、山田作之助、城戸芳彦、石田和外の全員一致)や、最高裁昭和42年11月21日第三小法廷判決(田中二郎、下村三郎、松本正雄の全員一致)において、同罪を合憲と解していた3人の判事が、この判決で違憲であると突然に解釈を変えた理由については、何も明らかになっていないと述べている。また、尊属重罰規定の憲法適合性が最高裁で問題にされた例は少なく、たとえ問題にされた場合にも、尊属加重が違憲であると述べる判事は、昭和29年1月20日大法廷判決の真野毅裁判官以外に、昭和25年大法廷判決以降にはいなかった。そんな中で下されたこの判決は、異例であると述べている。ちなみにこの事件は、第二小法廷に係属したが、大法廷に回付された。 元内閣法制局長林修三は、多数意見は苦心と妥協の産物であり、筋が通っておらず弱いとし、少数意見は一貫しているものの、孝という道徳を法律にすることは好ましくないというが、違憲を主張するには、その道徳が憲法の趣旨に合わないといわねばならないと述べ、合憲の意見は最も筋が通っているが、司法の謙抑性と違憲審査権については、書きすぎであると評価している。
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