評価・逸話
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/08 09:36 UTC 版)
10世茂山千五郎(2世茂山千作)は印象に残った能役者の第一として晋三を挙げ、その迫力を「安宅の弁慶などで、向方に廻るとほんたうに恐はかつたものです」と述懐している。一方で「紅葉狩」のシテなどでは「振ひつきたいほど」の艶があり、また癖のある謡だったが、その癖が「また一種言ふに言はれぬ味」を出していたという。 孫の観世左近によれば、3世八千代は夫・晋三の「道成寺」について、「芸が大きくて艶があつた」と賞賛し、それに比べて「今の能役者は芸が小さい」と評している。実際に当時晋三の「道成寺」は評判高く、たびたびこれを舞っている。 また大の酒好きであり、演能の前には必ず「おはる! 一杯!」と叫んで八千代に湯呑み一杯の冷酒を出させ、それを飲んでから舞台に上がったという。金剛謹之輔、狂言の野村又三郎父子とともに招かれて広島で演能旅行に出た時には毎日酒を飲み続け(一方の謹之輔は毎日しるこを頼んでいた)、すっかり一文無しになってしまった。直後に福山での演能を依頼されて事なきを得たが、その福山でも毎日酒を飲んでいたという。 娘の光子によれば、八千代との間の夫婦げんかは日常茶飯事であったが、大抵は晋三の側が分が悪く、火鉢や鉄瓶を飛ばされていた。最後には八千代が家を飛び出してしまうので、晋三が詫び状を書いて光子に持たせ、仲直りをしていたという。
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